大学時代を思ってみれば…

2章 奇妙な同棲生活、そして別れ( 3 / 36 )

9 海の外に僕の目が向いたわけ

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2章 奇妙な同棲生活、そして別れ( 4 / 36 )

海の外に僕の目が向いたわけ

ぼくに大きな影響を与えたのは、まぎれもなく親父だった。

 

ぼくの知っているかぎり、彼は金と縁のない貧乏油絵描きだった。若い頃、一時的に若手の画家として認められ、絵もけっこう売れた時もあったようだ。友達と渡仏祝いに繰り出して、渡航費用を飲んじまったとか聞いたことがある。

 

そんな親父の世界は、ヨーロッパに向いて広がっていたのはあたりまえ。とくに、家にはフランスの画集がいっぱいあった。親父が好きだったのは、若いときは、ブラマンク、佐伯、ユトリロ。年取ってくると、ルオーになっていった。

 

貧乏だったけれど、油絵の具には金をかけていた。ニュートンとか外国の物を使っていた。家はいつもターペンタインのにおいにあふれていた。

 

画集でパリ・モンマルトルの風景を見ていると、絶対に自分で歩いてみたいと思った。

 

中学2年のある日、学校から帰ってくると親父が僕にぽろっと言った。「高校から先は、もう責任もてないな…」と。谷中のアトリエを空襲で焼き、遠い親戚を頼って疎開した一家だった。

 

親父の言葉の意味はすぐには分からなかったが、その後じわっと伝わってきた。学校の先生に相談すると、入試前に試験を受けて特別奨学生に選ばれると、高校入学から奨学金がもらえるという。勉強した。そして高校に入った。

 

これがぼくの突然の独り立ちだった。「モラトリアム人間の時代」って、小此木啓吾先生は言ったけれど、そんな時間は全くなかった。その後、自分の事は全部自分でやるということになった、大学も含めて。

 

「モンマルトルを歩こう、パリ乞食でも…」が、その後、僕のキャッチフレーズになった。

 

親父のほかに、僕の目を海の外に向けた人がいる。それは、アメリカ人と日本人のミックスのJちゃん。高校時代、ガールフレンドの家で、出会った10才くらいで、かわいい女の子だった。アメリカ育ちで、日本語はからっきし話せなかった。僕のほうが、つたない英語をしゃべるしかなかった。

 

単純だから、のって英語を勉強し始めた。受験英語もさることながら、話す、聞くができること、それが目的。FENを聞き始めたのも、ジャズっぽいものを聞き始めたのも、それがきっかけだった。

 

それはその後役立った。バイトや、友達の広がりとか、大学のクラブ、やがて就職で…。

そんなこんなで、いつか僕の目は海の向うに焦点が合ってきた。

 

大阪での60年安保闘争の挫折と、その後の息苦しさが、同じく僕を後ろから押し出していったのかもしれない。

 

(親父が描いた教会)

2章 奇妙な同棲生活、そして別れ( 5 / 36 )

10 日本語を教える

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2章 奇妙な同棲生活、そして別れ( 6 / 36 )

日本語を教える

先日、テレビのニュースを見ていたら、懐かしいビルが偶然映った。コクドの事件で、カメラが一瞬捕らえたのだ。

 

それは、豪華マンションとして40年も前から有名だったコープ・オリンピアだ。原宿駅の前、表参道に面してその頃はピカピカのビルだった。そんなところにはどんな奴が住んでいるんだろうと思ったものだ。

 

今も、深いけやき並木の中に元の黒い色調のままで立っている。その頃のことが、バッとフラッシュ・バックしてきた。人間って、いろんな事忘れているけれど、なんかのきっかけで急に思い出す。完成直後のこのマンションに何回か、人を訪ねたことがある。若いアメリカ人で、大手町にあったニューヨークの銀行の日本支店で働いていた。その人に、僕はどういう経緯だったか忘れてしまったが、日本語を教えていた。週に12回だったのだろうか。

 

すごく割のいいバイトだった。普通は、大手町のオフイスに、夕方出向いて教えていた。その頃、英語で書いた日本語の教科書は数少なくて、苦労して丸善で探した。僕も楽しかった。何しろ、自分自身の英語も磨けるわけだ、金を貰いながら。でも、ほんとに日本語を説明するのには、手こずった。文法が、例外だらけで、その例外を説明していると結果として、自分でも何だか分からなくなってくる。Why? って何回も聞かれたものだ。

 

それと、日本語には同じ意味でも、ニュアンスの違う表現がイッパイある。どう違うのかを説明するったて、限界にすぐぶち当たる。「なってこった!」と自分で悲しくなる。英語は、かなり単純だなって思ったことがある。でもとにかく、このバイトは長く続いた。彼がニューヨークに帰るまで続いた。

 

コープ・オリンピアの夏、屋上のようなところで、ホーム・パーティによばれたことを思い出す。アメリカ女性の着た原色の洋服が、目の前をちらついて飛んでいく。彼がシェイカーを振って作ってくれた、カクテルも色鮮やかによみがえる。フッカフカのじゅうたんの彼の部屋も、ぼくの生活レベルとの大きな差にびっくりしたものだ。

 

やっぱ、海の外を見てやろうと思った。

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
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