人生手帳

2011年11月( 20 / 20 )

自分がグラグラしているのならば、まわりがどうこうなんて言っている場合ではない

最近自分の思い、信念、主張、志しが日に日に衰えを見せているようでならい。軸がぶれているようでは激動の時代の中でこの先混迷を極める。しっかり地に足をつけて歩かねば。そのためによく
 
Climbing Up... / tallpomlin
 
 刺激を外的要素に求めようとするが、一時的には改善するものの長続きはしない。軸は内側にあるため内的要素からしっかりと固めて行かなければ、常に外的要素に依存して終わる。環境に順応していくのも大事だし、外的要素を取り入れるのも良きことだが、それにはそれらを吸収し、消化していくための、栄養として取り込んでいくため自分の芯が必要だ。
 
Columns / Loozrboy
 
芯とは、心であり、意志、mind、spiritだ。これらを固めていくためには、自分が納得がいくまで自問自答の繰り返ししかない。自問自答を消化し受け入れることができなければ、外的要素は全く意味が無くなる。軸がぶれないための芯が自分の中にあるのか。無いのならそれはなぜなのか。どうすればよいのか。どうしたいのか。どうありたいのか。今の自分は過去にそう描いた自分になっており、描いたとおりにしかなっていないのだ。今の自分に納得がいなかければ、これからの自分を変えるしかないし、どう変えるのか描かなければならない。描くことの無くして未来の自分はない。
 
Look what's in store / Phil and Pam
 
この前のダンスだって、周りの目を気にせず、自分の世界で踊りたいようにおどろうと芯と決めて踊ったら、それなり踊れたし、姫や周りの人たちも喜んでくれたのだ。まずは自分ありき。自分がグラグラしているのならば、まわりがどうこうなんて言っている場合ではない。

2011年10月( 1 / 21 )

ゲストと姫と私とお茶会

定番になりつつあるゲストを我が家に迎えた姫と私の3人の、第二回お茶会が昨夜も開かれた。 


Guest 1 / donger
 

ゲストが本や体験について語り倒す。語り倒すというくらいだから、その様子はすさまじい。今回はやや冷え込んだこともあり鍋を用意したのだが、食べることも飲むこともわすれて、思考が止まるまでひたすら語る。ゲストの頭の中はすさまじいデータ量である。それをアウトプットする術や機会に今まで恵まれなかったようで、ずっとガマンにガマンを重ねていたのがお茶会を機に爆発したようだ。


Explosion / *S A N D E E P*
 

第一回のお茶会ではそのゲストの話の内容に圧倒された。非常に興味深く、あまりに貴重な内容なのでなんらかの形に残したいと思った。ゲストもそれを考えていたらしいが、その術がなかなか見つからなかったらしい。というのも、話しが激流のごとく流れでるので形にするのがなかなか難しいし、そんな激流的な話しをまともに聞いてくれる人もいなかったようである。『なんてもったいない』と私と姫は思った。しかしその激流の情報もデジタル機器の力を借りればなんとかなりそうである。次回からそのアクションを少しずつ起こそうと思う。

 
Picnik Bionnassay Torrent / SNappa2006 

次回からその内容に少しずつ触れていこうと思う。大まかに説明すると、ゲストがある日突然「ニーチェ」の本の内容が確信的に頭の中に降りて来た時期があり、それが今までの人生、大きく言えば人類の歴史を頂上から見渡せたというところから話しは始まる。

 
Overlooking / SeanKing93
 

一見あまりに広大で、難しいそうな内容に感じるが、意外にも常識的で日本人としての生き方の原点を思い起こさせてくれる。価値観が変化し、いろんな幸せの在り方が見えてきたという。そんな幸せの在り方をゲストはたくさんの人に広めたいという。ゲストが企画・運営している音楽イベントもそんな思いから始めたらしい。そんな内容をゲストは自分の体験談や分かりやすい事例で激流のごとく話してくれる。私の中でこんな興味深く、面白く、幸せなことを形にしない訳には行かないとある種の使命感が走ったくらいだ。

ちょっとずつね。

2011年10月( 2 / 21 )

比較的幸せのハードルは低い私

幸せのお話しを少し。

 
Happiness / Peter Hellberg
 

 どんな時が幸せかと問われると、 当たり前のことが幸せと感じれるとき と応える。食事ができること。寝ること。働けること。その幸福感はなんらかの困難を乗り換えたときにやってくる。 


Sleep, Don't Weep / kudumomo
 

 まともに飯を食えなかったとき、誰がにご馳走になったとき。 ハードワークで会社に数日寝泊りしたあとに、家で風呂に入ったり、布団に入ったりしたとき。 仕事にありつけない期間が長く続いたあと、採用してもらったとき。 親友と酒を酌み交わしているとき。 元気な姫(家族と)一緒に居るとき。 逆に言えば当たり前のことが幸せと感じれなくなったときは、自分は不幸の中にいると思っている。まぁ。幸せの感じかたは人それぞれだから、賛否両論はあるかと。もっともっと幸せを感じれる生き方があると最近教えてもらった。つまりは幸せか不幸かは感じかたの問題だよな。 自分の幸せのハードルが低いだけに、相手に幸せに感じてもらうとに関しては非常に下手くそである。まわりを人を幸せにできたらもっと幸せの感度は上っていくだろう。下手くそなりに頑張ってみるか。

幸せの定義はそれぞれの心の中にある。なぁーんてな。

2011年10月( 3 / 21 )

某大手企業のおかしなルール

仕事場でおかしなルールを耳にした。それは某大手会社の社内ルールらしいのだが「仕事でカッター使用禁止」らしい。

■カッターで社員が大怪我を


DSCN5182.JPG / Osamu Iwasaki
 

そのルールができた経緯が、ある社員が仕事中にカッターで大怪我をして救急車で運ばれてからだという。そんなルールを大手企業が慣行しているとうのだから、現代社会の有り様を顕著に物語っていると感じずにはいられなかった。

リスクは何でも排除という風潮


swing / Runder
 

子供がのブランコで怪我をしたから公園からブランコが消えたりなどの事態の結果による物理的要因の単なる排除は、果たして対策といえるのだろうか。この積み重ねが社会的秩序のバランスを崩しているようでならない。事態の当事者からすれば大ごとであるから、気持ちもわからないでもないが。それに対する当事者が生み出したクレーム社会の風潮である。そんな近視眼は長期的リスクを孕(はら)んではいないか。自己防衛本能による責任の擦り合いは、その集団を腐敗させてしまい兼ねない。

■リスクと向き合う


Jack-o'-lanterns Face Off / wwarby
 

カッターの話に戻るが、例えば小学生の図工の授業で、児童がカッターで怪我をしたからといって、カッターの使用を禁止にすることが解決策なのだろうか。事態のあるがままを受け入れ、そのようなリスクと向き合って行くことが今後必要である。人はリスクと向き合いながら進歩してきたはずだ。

様々な危険と隣り合わせで生きている。それと向き合って私たちは生きてきた。
浦 祐介
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