拓也がこのDVDの女性が瞳であることを知ったのは、今から6年前。
瞳と奈良で再会したとき、拓也は浦和のお店のことを知った。
自分から瞳に会うのは、律子を裏切るようで躊躇したが、
会うことを実行する決意が心の底で芽生えていた。
律子に出張の話をした拓也は、メモに記された「スナックヒトミ」
第一カトレアビル3Fの住所に向かった。
銀色文字の「スナック*ヒトミ」を確認すると、静かにドアを開けた。
中は薄暗く静かで、右手のソファーではサラリーマンと思われるお客が7,8人。
ホステスたちと楽しそうにペチャクチャ。
カウンターに目をやると、ヒトミがカウンターの客にグラスを手渡していた。
拓也に気づいた15,16歳と思われる赤のドレスのホステスが、
「いらっしゃいませ」と明るく声をかけた。
条件反射のようにドアのほうに顔を向けた瞳は、
驚きを隠した笑顔で口を少し動かした。
「タクヤ!」
声はかすかであったが、あの懐かしい女子高生の声。
「やあ」
拓也は足元を気にしながら、カウンターの席につく。
「すぐにわかったでしょう」
化粧は大人の瞳をつくっていたが、笑顔は少女のときと同じ。
「ああ」
拓也は学生のように軽い返事。
「奥があいているわ」
瞳の甘い香水は、拓也を奥のテーブルに誘う。
拓也はより薄暗いテーブルのソファーに腰を落とす。
肌を感じるほどに近くにいる瞳。
瞳の笑顔がキャンドルライトに浮かぶ。
瞳は膝で喜びのサインを送りながら、
白い手に包まれたグラスをそっと正面のコースターの上に置く。
「瞳がこんなに近くにいるとはね」
女子高生とまったく同じ笑顔は、瞳への気持ちを活火山のように爆発させた。
「ほんとね!」
「明日、会わないか?」
勝手に瞳の手を握ろうとした右手を急いで左手が止める。
「そうね、明日は休みなの。それじゃ、駅前のコスモクラシックに来てよ」
少女のような弾む声。
「ほら、駅前にあったでしょ。パチンコ屋よ。12時ころ来て。88番でやってるから」
「僕はやんないよ」
「12時には引き上げるから。ね、タクヤ」
拓也の手を軽く握る。
翌日、拓也は浦和駅裏のビジネスホテルを10時30分に出る。
駅のエレベーターで3Fに上がり、パチンコビルへの通路を歩く。
パチンコビル3Fはゲームセンター。
子どもたちが意味のわからない言葉をしゃべっている。
2Fにエスカレーターで降りると、ルパンⅢ世が大きく描かれたドア。
自動でドアが開くとロックとジャズをアレンジしたような爆発音。
人間の店員はいない。カウンターにロボ3台。
キョロキョロと瞳を捜す拓也。
「88・・・」つぶやきながら番号を目で追う。
拓也は列の中央まで歩き足を止める。
「よう!」
瞳の肩に軽く手を置く。
「見て!134029個よ!」
瞳はデジタル表示を指差すと、緊張した顔つきでピンを見つめている。
「そいじゃ、入口のところで待っているから。早めに頼むな」
拓也はコーヒーを飲むことにした。
「いいわ、もう潮時だわ」
拓也に笑顔を送る。
拓也は入口のカウンターでコーヒーを飲みながら辺りを眺めていた。
10分ほど待つ。カワユイおへそが目に飛び込む。
丈の短いブラウンのシャツを着た瞳。
笑みを浮かべレゲエを踊りながらやってくる。
あのころとまったく同じ。
「タクヤ、ごめん、お待たせ。しっかりおごるから」
「瞳、勝ったみたいだね」
「たまにはね」
瞳は500ドル札を5枚、自慢げに大きな胸の谷間にはさむ。
二人は大通りに出るとあたりを見渡す。
「タクヤ、何食べたい?」
「何にしようか」
「そいじゃ、パスタにする?チョー人気の店に行くとすっか」
「いいね!」
二人は高校生のときと同じ会話。
パスタ店の入口の前には若いカップルの長い列。
「多いな、やめとくか」
「そいじゃ・・・隣のレストランに入る?」
レストランボンジュールに入ると、二人は奥の日の当たらない席に座った。
拓也は瞳の今の仕事が気になった。
切り出す言葉に戸惑ったが、何気なく聞くことにした。
「今の仕事、長いのかい?」
「別れて、それから。タクヤこそどうしたのよ」
「僕は主張さ。まあそういうことで」
「それって、バレバレじゃない」
瞳はあきれた顔。
「今、別れたって言ったけど」
「自業自得ってやつね。5年で破滅しちゃった」
瞳は窓に視線を向ける。
拓也の気持ちを察したように、ステーキが運ばれてくる。
「おいしそうだね」拓也はナイフとフォークを手にする。
「コレって、ロボがステーションで創った肉よ。
ロボ肉もここまでおいしくなると、地球の牛さん、安心ね」
瞳はレアで焼かれた肉を切り取ると大きな口に放り込む。
「うまい。本物以上だ」
拓也は笑顔で味わう。
「ロボって、何でも創っちゃうのね」
瞳は感心しながら、あまりかまずに飲み込んでいる。
「ああ、さすがだね!」
拓也は豪快に食べる瞳の口を唖然と見ている。
瞳は赤ワインをグイっと半分ほど流し込むと、拓也の顔をしばらく見つめうつむく。
「奥さん、きれいな方でしょうね」
「いや、なんと言うか。まあ」
「タクヤ、子どもは?」
「一人、娘がいるよ。ヨシエと言うんだ」
「こっちは二人よ。女と男。レイコとタツヤ」
瞳は話し終えると、すぐに口を大きく開けて肉を押し込む。
「女で一つで、大変だね」
「そうでもないわ、母がいるから。タクヤ、浦和に主張ってことはないでしょう。
奥さんと喧嘩したんでしょう。顔に書いてあるわよ」
「女の勘にはかなわないな。喧嘩じゃないけど、羽をのばしたいだけさ」
「あら、きれいな奥さんがいるのに」
「どうだか、歯ぎしりがひどいんだぜ」
「そんなに。拓也って、女運が悪いのかしら。私を捨てたからよ」
「昔の話はよそう。明後日、帰ることになっているんだ。今夜、どう?」
「誘ったりして、後悔するわよ」
瞳はハンカチを取り出すと、笑顔で光る胸を拭く。
「ところで、瞳こそ、なぜ別れたんだよ」
自分の話をこれ以上したくなかった。
「それはいえないわ。ダメよ」
瞳は顔をすばやく左右に振ると、切ったばかりの肉を放り込み、
黙々と食べる。
「幼なじみの仲じゃないか、隠すなよ」
「DVD]
瞳は、小さく、かすれた声で拓也だけに聞こえるように口を動かす。
「わかるように言えよ」
拓也はむっとなりにらみつける。
「怒んないでよ、怖い顔。20歳のころ、女優をやってたってこと」
瞳はグラスに残っていたワインを一気に空ける。
「例の女優か?」
「そう。びっくりしたでしょ。それが亭主にばれたってわけ」
拓也はしばらく黙っていた。
今までDVDでたびたび見ていた女優は、やはり瞳であった。
拓也の頭の中はDVDの瞳でいっぱいになった。
「がっかりしたでしょう。まあ、こんな女なの。
なんだか、寂しくなっちゃた」
「伊豆にでも行こうか」
拓也は高校時代の瞳を誘っていた。
「そうね・・・いいのね!」
瞳の笑顔は、高校時代、遊園地で遊んでいたときと同じ。
「車を飛ばせばすぐだ。だけど、家の方は?」
「母に電話するわ!」
二人は高校時代に戻っていた。
瞳とは幼なじみであり、妹のように接していた。
東京に出るときも、妹と別れるような気持ちで奈良を去った。
当時、瞳は意味のない理由で東京の大学をけなしていた。
また、なぜ京都の大学に行かないのか、しつこく言っていた。
瞳は東京に就職できないことを口惜しく言っていたが、
拓也は瞳が言いたいことを察知できなかった。
拓也の頭にあるのは数学だけ。
「必ず、夏休みには帰ってきてよ。いい?
タクヤ、電話もよ。約束よ。待ってるから」
このとき、瞳はすでに女性であった。
拓也は話すこともなくて電話する気になれなかったが、
瞳は毎日のように電話をかけてきた。
瞳は意味のわからないことを長々と話しては、一方的に切っていた。
しばらくすると、かけてこなくなった。
このときは、瞳を一人の女性と見ることができなかった。
拓也が瞳を女性として感じたのは、DVDを見てから。
心の底では瞳を愛していたのだろう。
「温泉は何年ぶりかしら。すてきだわ、この眺め。タクヤ、来て!」
瞳の笑顔は子どものころ、公園で鬼ごっこをしていたときとまったく同じ。
「ああ、やっぱし、来てよかった!」
「俺もだよ」
「タクヤ、瞳が幸せにしてあげる!」
拓也の右手を両手でしっかり掴む。
「俺って、ドンくさいよな。今頃になって気づくとは」
「いいの、これも女神が与えた試練なの。拓也も瞳も、
他の人を経験したからこそ、二人の愛が見えたの。
きっと、本当の愛が生まれるわ。信じてたの、今日が来る日を。
うれしいわ、本当に幸せ!」
瞳は拓也の右手の甲をふくよかな胸に押し当てる。
ドアを開ける音がした。ロボ仲居が挨拶にやってきた。
日本人系美女、かなり色っぽい。
「失礼します。本日はようこそお越しくださいました。浴衣はこちらにございます。
食事は7時になっております。ご指定がございましたらおっしゃってください」
「ちょうどいいじゃないか」
「何かございましたら、電話でお申しつけください。お風呂は岩風呂で、
お肌がつるつるになる温泉です。きっと気に入っていただけると思います。奥様!」
仲居は丁寧な言葉遣いで瞳に向かって言う。
ロボ仲居は、人間以上に美しい日本語をしゃべる。
「すてきだわ、ここまで来た甲斐があったわ。ねえ、あなた」
「ああ、そうだね」
「ごゆっくりなさいませ」
ロボ仲居は丁寧にお辞儀すると、静かにドアを閉めて消えた。
「奥様だなんて」
瞳は子どものように、ニコニコしながら浴衣を渡す。
二人は岩風呂に向かう。
二人が風呂から上がると、ロボ仲居が食事の準備をしていた。
「お食事の準備は整いました。お飲み物をお持ちいたしましょうか?」
「ビールを1本とブランデーをボトルでお願いします」
「あら、ステキなお料理。日本酒もお願い。2本ね」
瞳は仲居にチップを渡す。ロボ仲居、丁重にチップを受け取る。
仲居がドアを閉めると、拓也は少し腰をずらし、
妖艶さを増した浴衣姿の瞳に近づく。
「ブラ、外して」
拓也に背中を向けると、浴衣の襟はストンと落ちる。
拓也がぎこちなくホックを外すと、瞳はブラをテーブルの下に放り込む。
瞳の透き通るうなじに見入っていると、ロボ仲居の澄んだ声がする。
「お飲み物、お持ちいたしました」
ロボ仲居はやわらかい腰つきで飲み物を置くと、
深くお辞儀をし、甘い香りを残して消えた。
瞳は二人のコップに勢いよくビールを注ぎ、一つを拓也に手渡す。
「はじめましょ、タクヤ、カンパーイ!」
瞳は一気にグラスを開ける。
「タクヤ、日本酒は?」
「日本酒は勘弁してくれ。ダメなんだ」
「酔いたいときって、日本酒がいいの。とてもいい気分!二本、飲んじゃうわよ」
「かまわんよ、強いんだな」
「おいしそうだわ、タクヤ、これ食べて」
タイの刺身を拓也の口元に運ぶ。
「何か嘘みたいだな。こんなところに、二人がいるなんて」
瞳の手を握り、口に含んだブランデーを流し込む。
「今、とっても、幸せ!」
瞳はまぶたを閉じてささやく。
瞳の甘い香りとブランデーで、拓也の心は芯までやわらかくなっていた。
突然、頭の中にDVDの瞳が現れた。
「DVDなんだが・・・」
口がひとりでに動いた。
「DVDがどうしたの?」
「いや何も」
「タクヤはDVD見たことあるの。まさかね」
「いやあ、ちょっと。学生のときに」
「うっそー・・・アーベル大生が。イヤー・・・タクヤったら、エッチなのね。
まさか瞳を見たなんていわないでしょうね」
「チョット似ていたものだから。いや、まあ」
「ヤー・・恥ずかしいわ、ハハハハ・・・・・モーイヤ」
太鼓でも叩くように、拓也の右肩を叩いた。
拓也の口からタイの刺身が飛び出した。
「いや、ちょっと、あの」
完全に酔った口は勝手なことを言っていた。
「だけど、ハハハハ、うれしいわ。あのころの瞳を見ていてくれて。
もう、おばんだもの」
と言ったとたん、気絶したように拓也の膝に顔を落とした。
「酔ったみたい。あ、ダメ、しっかりしなくっちゃ」
瞳は何かを思い出したように急に起き上がる。
「おいしそうな天ぷらが残っているけど、どう」
拓也はえびの天ぷらを指差す。
「いいわ、脂っこいのは苦手なの。お茶漬け、いただきましょ」
瞳はすばやくお茶づけの準備をする。
「タクヤ、酔っちゃダメよ!」
ルルルル・・・電話の音が拓也の酔いを醒ましてくれた。
「はい、お願いします」
拓也はロボ仲居からの確認の電話に応える。
「床の準備をしてくれるとさ」
拓也の言葉は瞳には聞こえていないみたい。
「お風呂に入りましょ。タクヤ、酔い、醒ましてね」
瞳は拓也を置いて風呂に向かう。
部屋に戻ると、二つの枕。
「瞳、冷えるんじゃないか」
声をかけたが、瞳はベランダで遠くを眺めている。
拓也も潮の香りを求めてベランダの椅子に腰掛ける。
「気持ちいいなあ・・」
「タクヤ、あの空見て!」
瞳は時間を越えた空を見つめている。
「きれいだね」
「茜色の空、ほら、中学生のころ二人で見た空!
あ、そうだ、家の近くの公園で、話したこと、覚えてる?」
「なんだっけ?」
「夢よ、二人の!タクヤはなんと言ったでしょ?」
「たぶん数学者になりたいと言ったんじゃないか」
「あら、タクヤったら、フィールズ賞を取りたいって言ったのよ」
「よく覚えてんな」
「瞳はなんと言ったでしょう?」
「自分のことも忘れているのに、瞳の夢を覚えているわけないよ」
「今考えると、恥ずかしいこと言ってたの。タクヤのお嫁さん!」
瞳は両手で顔を隠す。
「そうだったかな。僕はがきだったからな」
「今日、夢がかなうのね」
瞳はメルヘンモード。
「まあ・・・そうだな」
「本当に生まれてきてよかったわ」
瞳は万歳をしてジャンプ。
「冷えるぞ」
タクヤは瞳の両肩に手を当て、部屋に誘う。
「灯り、小さくして」
瞳は先に横になり、目を閉じた。
浴衣の中には、シルクのように滑らかな肌、
麻酔薬のようにすべてをえ忘れさせてくれる甘いバラの香り。
すでに時間は止まっていた。
そっと二つの白くて甘い桃を唇で味わうと、
バラの花と蜜で作られた真っ赤な唇に、今までの思いを重ねた。
拓也は目を閉じた瞳の優しい表情を見つめ、
ゆっくりと瞳の肌にとけていった。