さやかとアンナ

「ところで、瞳こそ、なぜ別れたんだよ」

自分の話をこれ以上したくなかった。

「それはいえないわ。ダメよ」

瞳は顔をすばやく左右に振ると、切ったばかりの肉を放り込み、

黙々と食べる。


「幼なじみの仲じゃないか、隠すなよ」

「DVD]

瞳は、小さく、かすれた声で拓也だけに聞こえるように口を動かす。

「わかるように言えよ」

拓也はむっとなりにらみつける。

「怒んないでよ、怖い顔。20歳のころ、女優をやってたってこと」

瞳はグラスに残っていたワインを一気に空ける。


「例の女優か?」

「そう。びっくりしたでしょ。それが亭主にばれたってわけ」

拓也はしばらく黙っていた。

今までDVDでたびたび見ていた女優は、やはり瞳であった。

拓也の頭の中はDVDの瞳でいっぱいになった。


「がっかりしたでしょう。まあ、こんな女なの。

なんだか、寂しくなっちゃた」

「伊豆にでも行こうか」

拓也は高校時代の瞳を誘っていた。

「そうね・・・いいのね!」

瞳の笑顔は、高校時代、遊園地で遊んでいたときと同じ。

「車を飛ばせばすぐだ。だけど、家の方は?」

「母に電話するわ!」


二人は高校時代に戻っていた。

瞳とは幼なじみであり、妹のように接していた。

東京に出るときも、妹と別れるような気持ちで奈良を去った。

当時、瞳は意味のない理由で東京の大学をけなしていた。

また、なぜ京都の大学に行かないのか、しつこく言っていた。

瞳は東京に就職できないことを口惜しく言っていたが、

拓也は瞳が言いたいことを察知できなかった。

拓也の頭にあるのは数学だけ。


「必ず、夏休みには帰ってきてよ。いい?

タクヤ、電話もよ。約束よ。待ってるから」

このとき、瞳はすでに女性であった。

拓也は話すこともなくて電話する気になれなかったが、

瞳は毎日のように電話をかけてきた。


瞳は意味のわからないことを長々と話しては、一方的に切っていた。

しばらくすると、かけてこなくなった。

このときは、瞳を一人の女性と見ることができなかった。

拓也が瞳を女性として感じたのは、DVDを見てから。

心の底では瞳を愛していたのだろう。

「温泉は何年ぶりかしら。すてきだわ、この眺め。タクヤ、来て!」

瞳の笑顔は子どものころ、公園で鬼ごっこをしていたときとまったく同じ。

「ああ、やっぱし、来てよかった!」

「俺もだよ」

「タクヤ、瞳が幸せにしてあげる!」

拓也の右手を両手でしっかり掴む。


「俺って、ドンくさいよな。今頃になって気づくとは」

「いいの、これも女神が与えた試練なの。拓也も瞳も、

他の人を経験したからこそ、二人の愛が見えたの。

きっと、本当の愛が生まれるわ。信じてたの、今日が来る日を。

うれしいわ、本当に幸せ!」

瞳は拓也の右手の甲をふくよかな胸に押し当てる。


ドアを開ける音がした。ロボ仲居が挨拶にやってきた。

日本人系美女、かなり色っぽい。

「失礼します。本日はようこそお越しくださいました。浴衣はこちらにございます。

食事は7時になっております。ご指定がございましたらおっしゃってください」

「ちょうどいいじゃないか」


「何かございましたら、電話でお申しつけください。お風呂は岩風呂で、

お肌がつるつるになる温泉です。きっと気に入っていただけると思います。奥様!」

仲居は丁寧な言葉遣いで瞳に向かって言う。

ロボ仲居は、人間以上に美しい日本語をしゃべる。


「すてきだわ、ここまで来た甲斐があったわ。ねえ、あなた」

「ああ、そうだね」

「ごゆっくりなさいませ」

ロボ仲居は丁寧にお辞儀すると、静かにドアを閉めて消えた。

「奥様だなんて」

瞳は子どものように、ニコニコしながら浴衣を渡す。

二人は岩風呂に向かう。


二人が風呂から上がると、ロボ仲居が食事の準備をしていた。

「お食事の準備は整いました。お飲み物をお持ちいたしましょうか?」

「ビールを1本とブランデーをボトルでお願いします」

「あら、ステキなお料理。日本酒もお願い。2本ね」

瞳は仲居にチップを渡す。ロボ仲居、丁重にチップを受け取る。


仲居がドアを閉めると、拓也は少し腰をずらし、

妖艶さを増した浴衣姿の瞳に近づく。

「ブラ、外して」

拓也に背中を向けると、浴衣の襟はストンと落ちる。

拓也がぎこちなくホックを外すと、瞳はブラをテーブルの下に放り込む。


瞳の透き通るうなじに見入っていると、ロボ仲居の澄んだ声がする。

「お飲み物、お持ちいたしました」

ロボ仲居はやわらかい腰つきで飲み物を置くと、

深くお辞儀をし、甘い香りを残して消えた。


瞳は二人のコップに勢いよくビールを注ぎ、一つを拓也に手渡す。

「はじめましょ、タクヤ、カンパーイ!」

瞳は一気にグラスを開ける。

「タクヤ、日本酒は?」

「日本酒は勘弁してくれ。ダメなんだ」


「酔いたいときって、日本酒がいいの。とてもいい気分!二本、飲んじゃうわよ」

「かまわんよ、強いんだな」

「おいしそうだわ、タクヤ、これ食べて」

タイの刺身を拓也の口元に運ぶ。

「何か嘘みたいだな。こんなところに、二人がいるなんて」

瞳の手を握り、口に含んだブランデーを流し込む。

「今、とっても、幸せ!」

瞳はまぶたを閉じてささやく。



瞳の甘い香りとブランデーで、拓也の心は芯までやわらかくなっていた。

突然、頭の中にDVDの瞳が現れた。

「DVDなんだが・・・」

口がひとりでに動いた。

「DVDがどうしたの?」

「いや何も」

「タクヤはDVD見たことあるの。まさかね」

「いやあ、ちょっと。学生のときに」

「うっそー・・・アーベル大生が。イヤー・・・タクヤったら、エッチなのね。

まさか瞳を見たなんていわないでしょうね」

「チョット似ていたものだから。いや、まあ」

「ヤー・・恥ずかしいわ、ハハハハ・・・・・モーイヤ」

太鼓でも叩くように、拓也の右肩を叩いた。

拓也の口からタイの刺身が飛び出した。


「いや、ちょっと、あの」

完全に酔った口は勝手なことを言っていた。

「だけど、ハハハハ、うれしいわ。あのころの瞳を見ていてくれて。

もう、おばんだもの」

と言ったとたん、気絶したように拓也の膝に顔を落とした。

「酔ったみたい。あ、ダメ、しっかりしなくっちゃ」

瞳は何かを思い出したように急に起き上がる。


「おいしそうな天ぷらが残っているけど、どう」

拓也はえびの天ぷらを指差す。

「いいわ、脂っこいのは苦手なの。お茶漬け、いただきましょ」

瞳はすばやくお茶づけの準備をする。


「タクヤ、酔っちゃダメよ!」

ルルルル・・・電話の音が拓也の酔いを醒ましてくれた。

「はい、お願いします」

拓也はロボ仲居からの確認の電話に応える。

「床の準備をしてくれるとさ」

拓也の言葉は瞳には聞こえていないみたい。

「お風呂に入りましょ。タクヤ、酔い、醒ましてね」

瞳は拓也を置いて風呂に向かう。


部屋に戻ると、二つの枕。

「瞳、冷えるんじゃないか」

声をかけたが、瞳はベランダで遠くを眺めている。

拓也も潮の香りを求めてベランダの椅子に腰掛ける。

「気持ちいいなあ・・」


「タクヤ、あの空見て!」

瞳は時間を越えた空を見つめている。

「きれいだね」

「茜色の空、ほら、中学生のころ二人で見た空!

あ、そうだ、家の近くの公園で、話したこと、覚えてる?」

「なんだっけ?」

「夢よ、二人の!タクヤはなんと言ったでしょ?」

「たぶん数学者になりたいと言ったんじゃないか」

「あら、タクヤったら、フィールズ賞を取りたいって言ったのよ」

「よく覚えてんな」


「瞳はなんと言ったでしょう?」

「自分のことも忘れているのに、瞳の夢を覚えているわけないよ」

「今考えると、恥ずかしいこと言ってたの。タクヤのお嫁さん!」

瞳は両手で顔を隠す。

「そうだったかな。僕はがきだったからな」

「今日、夢がかなうのね」

瞳はメルヘンモード。

「まあ・・・そうだな」

「本当に生まれてきてよかったわ」

瞳は万歳をしてジャンプ。

「冷えるぞ」

タクヤは瞳の両肩に手を当て、部屋に誘う。


「灯り、小さくして」

瞳は先に横になり、目を閉じた。

浴衣の中には、シルクのように滑らかな肌、

麻酔薬のようにすべてをえ忘れさせてくれる甘いバラの香り。

すでに時間は止まっていた。

そっと二つの白くて甘い桃を唇で味わうと、

バラの花と蜜で作られた真っ赤な唇に、今までの思いを重ねた。

拓也は目を閉じた瞳の優しい表情を見つめ、

ゆっくりと瞳の肌にとけていった。



「ただいま!」

瞳の明るい声!瞳との再会の映像は一瞬にして拓也の脳裏から消えた。

「勝ったみたいだね」

パチンコで勝ったときのいつもの笑顔。

「うれしいわ、タクヤが私のこと、すぐにわかってくれて」

瞳は買ってきた荷物をテーブルの上に勢いよく落とす。

「大丈夫かよ。割れるぜ」

「はは・・ん、タクヤったら、何買ってきたかわかったな。

パックに入っているから大丈夫。今夜はお蕎麦よ。

見て、タイの刺身、うずらの卵、天然の山芋、精が出るわよ!

シャワー、お先にどうぞ」

言い終わると、奥の部屋に駆け込んだ。


夕食ができるのを待っている間、タクヤは絵本を描いていたが、

テーブルの隅に置かれていた包みが気になっていた。

「夏は蕎麦に限るな。これは?」

テーブルの隅に置いてある包みを指差す。

「これ、まだ見ないで。それじゃ、いただきまーす。タクヤ、ビールは我慢してね」

「わかっているよ」

タクヤは包みが気になり口を動かしながら瞳の右隅に目をやる。


「何だよ、これ?」

「待って、後で見せてあがるから。山芋どう。タイおいしい」

「ああ、うまい」

包みが気になって、気が抜けた返事。

拓也は食べ終わると、ブランデーを飲みながら、

瞳の食べ終わるのを待った。


「元気でた!」

瞳は最後のビールを飲み干す。

「ああ」

拓也は書斎にロボ開発情報誌を取りに席を立つ。


「絵本、どう?うまくいってる?」

「もう、かなり出来上がったよ。瞳のおかげだよ」

「早くできあがるといいね。チョット見せて」

瞳は両腕でリズムをとりながら、書斎に跳ねてやってくる。

「あら、かわいい!かわいい!~女神からの不思議なプレゼント~

きっと、子どもたち喜ぶわ」

「思い切って、やってよかった。新しい目標ができたし、瞳のおかげだよ」


瞳はキッチンで洗い物を片付けると拓也を呼ぶ。

「開けて!」

包みを拓也に手渡す。

「何だよこれ、からかうなよ。バレリーナの愛、今月の新人、愛沢聖子」

DVDを手にした拓也はしばらく草原で宙を舞うバレリーナを眺める。


「もう、わかるでしょ」

「まさか?」

「その、まさか!念のためにDVD買ってきたの」

「そうか、この子が麗ちゃん。あのころはまだ子どもだったからな」

「タクヤ、いつまで見てんの。タクヤが言ったように、何も言わない」

瞳は拓也の手からすばやくDVDを取り上げる。



春日信彦
作家:春日信彦
さやかとアンナ
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