さやかとアンナ

「温泉は何年ぶりかしら。すてきだわ、この眺め。タクヤ、来て!」

瞳の笑顔は子どものころ、公園で鬼ごっこをしていたときとまったく同じ。

「ああ、やっぱし、来てよかった!」

「俺もだよ」

「タクヤ、瞳が幸せにしてあげる!」

拓也の右手を両手でしっかり掴む。


「俺って、ドンくさいよな。今頃になって気づくとは」

「いいの、これも女神が与えた試練なの。拓也も瞳も、

他の人を経験したからこそ、二人の愛が見えたの。

きっと、本当の愛が生まれるわ。信じてたの、今日が来る日を。

うれしいわ、本当に幸せ!」

瞳は拓也の右手の甲をふくよかな胸に押し当てる。


ドアを開ける音がした。ロボ仲居が挨拶にやってきた。

日本人系美女、かなり色っぽい。

「失礼します。本日はようこそお越しくださいました。浴衣はこちらにございます。

食事は7時になっております。ご指定がございましたらおっしゃってください」

「ちょうどいいじゃないか」


「何かございましたら、電話でお申しつけください。お風呂は岩風呂で、

お肌がつるつるになる温泉です。きっと気に入っていただけると思います。奥様!」

仲居は丁寧な言葉遣いで瞳に向かって言う。

ロボ仲居は、人間以上に美しい日本語をしゃべる。


「すてきだわ、ここまで来た甲斐があったわ。ねえ、あなた」

「ああ、そうだね」

「ごゆっくりなさいませ」

ロボ仲居は丁寧にお辞儀すると、静かにドアを閉めて消えた。

「奥様だなんて」

瞳は子どものように、ニコニコしながら浴衣を渡す。

二人は岩風呂に向かう。


二人が風呂から上がると、ロボ仲居が食事の準備をしていた。

「お食事の準備は整いました。お飲み物をお持ちいたしましょうか?」

「ビールを1本とブランデーをボトルでお願いします」

「あら、ステキなお料理。日本酒もお願い。2本ね」

瞳は仲居にチップを渡す。ロボ仲居、丁重にチップを受け取る。


仲居がドアを閉めると、拓也は少し腰をずらし、

妖艶さを増した浴衣姿の瞳に近づく。

「ブラ、外して」

拓也に背中を向けると、浴衣の襟はストンと落ちる。

拓也がぎこちなくホックを外すと、瞳はブラをテーブルの下に放り込む。


瞳の透き通るうなじに見入っていると、ロボ仲居の澄んだ声がする。

「お飲み物、お持ちいたしました」

ロボ仲居はやわらかい腰つきで飲み物を置くと、

深くお辞儀をし、甘い香りを残して消えた。


瞳は二人のコップに勢いよくビールを注ぎ、一つを拓也に手渡す。

「はじめましょ、タクヤ、カンパーイ!」

瞳は一気にグラスを開ける。

「タクヤ、日本酒は?」

「日本酒は勘弁してくれ。ダメなんだ」


「酔いたいときって、日本酒がいいの。とてもいい気分!二本、飲んじゃうわよ」

「かまわんよ、強いんだな」

「おいしそうだわ、タクヤ、これ食べて」

タイの刺身を拓也の口元に運ぶ。

「何か嘘みたいだな。こんなところに、二人がいるなんて」

瞳の手を握り、口に含んだブランデーを流し込む。

「今、とっても、幸せ!」

瞳はまぶたを閉じてささやく。



瞳の甘い香りとブランデーで、拓也の心は芯までやわらかくなっていた。

突然、頭の中にDVDの瞳が現れた。

「DVDなんだが・・・」

口がひとりでに動いた。

「DVDがどうしたの?」

「いや何も」

「タクヤはDVD見たことあるの。まさかね」

「いやあ、ちょっと。学生のときに」

「うっそー・・・アーベル大生が。イヤー・・・タクヤったら、エッチなのね。

まさか瞳を見たなんていわないでしょうね」

「チョット似ていたものだから。いや、まあ」

「ヤー・・恥ずかしいわ、ハハハハ・・・・・モーイヤ」

太鼓でも叩くように、拓也の右肩を叩いた。

拓也の口からタイの刺身が飛び出した。


「いや、ちょっと、あの」

完全に酔った口は勝手なことを言っていた。

「だけど、ハハハハ、うれしいわ。あのころの瞳を見ていてくれて。

もう、おばんだもの」

と言ったとたん、気絶したように拓也の膝に顔を落とした。

「酔ったみたい。あ、ダメ、しっかりしなくっちゃ」

瞳は何かを思い出したように急に起き上がる。


「おいしそうな天ぷらが残っているけど、どう」

拓也はえびの天ぷらを指差す。

「いいわ、脂っこいのは苦手なの。お茶漬け、いただきましょ」

瞳はすばやくお茶づけの準備をする。


「タクヤ、酔っちゃダメよ!」

ルルルル・・・電話の音が拓也の酔いを醒ましてくれた。

「はい、お願いします」

拓也はロボ仲居からの確認の電話に応える。

「床の準備をしてくれるとさ」

拓也の言葉は瞳には聞こえていないみたい。

「お風呂に入りましょ。タクヤ、酔い、醒ましてね」

瞳は拓也を置いて風呂に向かう。


部屋に戻ると、二つの枕。

「瞳、冷えるんじゃないか」

声をかけたが、瞳はベランダで遠くを眺めている。

拓也も潮の香りを求めてベランダの椅子に腰掛ける。

「気持ちいいなあ・・」


「タクヤ、あの空見て!」

瞳は時間を越えた空を見つめている。

「きれいだね」

「茜色の空、ほら、中学生のころ二人で見た空!

あ、そうだ、家の近くの公園で、話したこと、覚えてる?」

「なんだっけ?」

「夢よ、二人の!タクヤはなんと言ったでしょ?」

「たぶん数学者になりたいと言ったんじゃないか」

「あら、タクヤったら、フィールズ賞を取りたいって言ったのよ」

「よく覚えてんな」


「瞳はなんと言ったでしょう?」

「自分のことも忘れているのに、瞳の夢を覚えているわけないよ」

「今考えると、恥ずかしいこと言ってたの。タクヤのお嫁さん!」

瞳は両手で顔を隠す。

「そうだったかな。僕はがきだったからな」

「今日、夢がかなうのね」

瞳はメルヘンモード。

「まあ・・・そうだな」

「本当に生まれてきてよかったわ」

瞳は万歳をしてジャンプ。

「冷えるぞ」

タクヤは瞳の両肩に手を当て、部屋に誘う。


「灯り、小さくして」

瞳は先に横になり、目を閉じた。

浴衣の中には、シルクのように滑らかな肌、

麻酔薬のようにすべてをえ忘れさせてくれる甘いバラの香り。

すでに時間は止まっていた。

そっと二つの白くて甘い桃を唇で味わうと、

バラの花と蜜で作られた真っ赤な唇に、今までの思いを重ねた。

拓也は目を閉じた瞳の優しい表情を見つめ、

ゆっくりと瞳の肌にとけていった。



「ただいま!」

瞳の明るい声!瞳との再会の映像は一瞬にして拓也の脳裏から消えた。

「勝ったみたいだね」

パチンコで勝ったときのいつもの笑顔。

「うれしいわ、タクヤが私のこと、すぐにわかってくれて」

瞳は買ってきた荷物をテーブルの上に勢いよく落とす。

「大丈夫かよ。割れるぜ」

「はは・・ん、タクヤったら、何買ってきたかわかったな。

パックに入っているから大丈夫。今夜はお蕎麦よ。

見て、タイの刺身、うずらの卵、天然の山芋、精が出るわよ!

シャワー、お先にどうぞ」

言い終わると、奥の部屋に駆け込んだ。


夕食ができるのを待っている間、タクヤは絵本を描いていたが、

テーブルの隅に置かれていた包みが気になっていた。

「夏は蕎麦に限るな。これは?」

テーブルの隅に置いてある包みを指差す。

「これ、まだ見ないで。それじゃ、いただきまーす。タクヤ、ビールは我慢してね」

「わかっているよ」

タクヤは包みが気になり口を動かしながら瞳の右隅に目をやる。


「何だよ、これ?」

「待って、後で見せてあがるから。山芋どう。タイおいしい」

「ああ、うまい」

包みが気になって、気が抜けた返事。

拓也は食べ終わると、ブランデーを飲みながら、

瞳の食べ終わるのを待った。


「元気でた!」

瞳は最後のビールを飲み干す。

「ああ」

拓也は書斎にロボ開発情報誌を取りに席を立つ。


「絵本、どう?うまくいってる?」

「もう、かなり出来上がったよ。瞳のおかげだよ」

「早くできあがるといいね。チョット見せて」

瞳は両腕でリズムをとりながら、書斎に跳ねてやってくる。

「あら、かわいい!かわいい!~女神からの不思議なプレゼント~

きっと、子どもたち喜ぶわ」

「思い切って、やってよかった。新しい目標ができたし、瞳のおかげだよ」


瞳はキッチンで洗い物を片付けると拓也を呼ぶ。

「開けて!」

包みを拓也に手渡す。

「何だよこれ、からかうなよ。バレリーナの愛、今月の新人、愛沢聖子」

DVDを手にした拓也はしばらく草原で宙を舞うバレリーナを眺める。


「もう、わかるでしょ」

「まさか?」

「その、まさか!念のためにDVD買ってきたの」

「そうか、この子が麗ちゃん。あのころはまだ子どもだったからな」

「タクヤ、いつまで見てんの。タクヤが言ったように、何も言わない」

瞳は拓也の手からすばやくDVDを取り上げる。



春日信彦
作家:春日信彦
さやかとアンナ
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