さやかとアンナ

「タクヤ、いる?」

弾む女子高生のような声。

「暑かっただろう」

この暑さで瞳の胸の谷間から汗が噴出している。

「もうだめ!」

服を一気に脱ぎ、バスルームに飛び込む。

「タクヤ、心配だわ。近所で下着泥棒が出たって言うの。

達也だったらどうしようかと思って」

「知り合いに精神科医がいるんだが、彼が言うには心配ないそうだ。

性的興味は自然だとさ。ほっといていいんじゃないか?」

拓也はシャワーの音で瞳の声がはっきり聞き取れなかったが、

シャワーの音を打ち消すように大声で返事する。


「そうね、だといいんだけど。麗子のこともあるの」

瞳はバスルームから出ると、奥の部屋で着替えながら大声。

「え、麗ちゃんのこと」

「そうなの、アルバイトしてるみたいなのよ」

瞳は水玉のワンピースに着替えると、キッチンに跳ねてやってくる。


「アルバイトぐらい、いいじゃないか」

拓也は缶の野菜ジュースをグラスに注ぐ。

「それが普通じゃないのよ。

お小遣いでは買えないような、かなり高級なブランド品を持ってるのよ」

瞳は冷蔵庫から缶ビールを取り出す。


「おいしいわ、夏はビールね。タクヤは?」

「やめとくよ。昨日、飲みすぎちゃってね」

拓也は野菜ジュースで喉を潤した。

「変なアルバイトしてなきゃいいけど」

「気にしすぎじゃないか?」

「お小遣いはちゃんとあげてるのよ。お金に困るはずないんだけど」

「麗ちゃんはしっかりしてるから、心配ないって」

「麗子も女よ」

瞳はビールを一気にグラスに注ぐ。

あっという間にビールの泡はテーブルまで流れ落ちた。


「今の子は、ロボと張り合っているからな」

今では人間女優よりロボ女優のほうが売れている。

「まさか、あの時の私と同じことやっているんじゃないかって」

「同じことって?」

「例の女優業よ」

瞳はゴクンとビールで喉を鳴らす。


「まだ、はっきりしたわけじゃないし、考えすぎじゃないか?」

「だといいだけど。親としては、やってほしくないの。虫がいいようだけど」

「僕には女性の気持ちはわからんよ」

「麗子には普通の恋愛をして、普通の結婚をしてほしいの」

「あ、そう」


「タクヤも、6年前、女優のこと打ち明けたとき、軽蔑したでしょ」

「瞳を軽蔑なんか、するはずないじゃないか」

「なぜだかわかる?女優やったの。タクヤが捨てたからよ!」

「ちょっと待てよ。捨てたんじゃなくて、離れただけじゃないか」

「同じことよ。タクヤに見せたかったのよ。ウーン、はっきり言って、

嫉妬させたかったの。数学しか頭にないんだから。バカ!」


「僕はおくてだから・・・昔のことはよそう。

不思議だな、いつの間にかこんな関係になるとは。赤い糸で結ばれていたのかも」

「だけど、幸せだわ。過去はどうでもいいの。

今、タクヤがいてくれるから。タクヤ、食事済んだ?」

「ああ。夜はどうしようか?食べに行ってもいいけど」

「つくるわ。元気が出るもの買ってくる。6時に戻れるかも」

瞳は服を着替えると、時間を気にしているかのように飛び出して言った。


女優と瞳が言ったとき、記憶が鮮明に甦ってきた。

初めてDVDを見たのは大学4年の時。悪友が誕生日のプレゼントにくれた。

DVDのジャケットには、純白のウエディングドレスの少女。

中央に黄色い文字で書かれた「夢見る乙女」。

右上には赤い文字の人間女優・早乙女 愛。

ロボ女優より、人間女優のほうが値段が安い。


拓也はケースからDVDを取り出すと、そっとトレイに入れた。

瞬間、目を疑った。目の前にいるのは瞳だった!

「え!瞳?まさか、似ている、確かに似ている」

とっさに拓也は画面に声をかけると、呆然と映像に見入った。




拓也がこのDVDの女性が瞳であることを知ったのは、今から6年前。

瞳と奈良で再会したとき、拓也は浦和のお店のことを知った。

自分から瞳に会うのは、律子を裏切るようで躊躇したが、

会うことを実行する決意が心の底で芽生えていた。

律子に出張の話をした拓也は、メモに記された「スナックヒトミ」

第一カトレアビル3Fの住所に向かった。


銀色文字の「スナック*ヒトミ」を確認すると、静かにドアを開けた。

中は薄暗く静かで、右手のソファーではサラリーマンと思われるお客が7,8人。

ホステスたちと楽しそうにペチャクチャ。

カウンターに目をやると、ヒトミがカウンターの客にグラスを手渡していた。

拓也に気づいた15,16歳と思われる赤のドレスのホステスが、

「いらっしゃいませ」と明るく声をかけた。


条件反射のようにドアのほうに顔を向けた瞳は、

驚きを隠した笑顔で口を少し動かした。

「タクヤ!」

声はかすかであったが、あの懐かしい女子高生の声。

「やあ」

拓也は足元を気にしながら、カウンターの席につく。


「すぐにわかったでしょう」

化粧は大人の瞳をつくっていたが、笑顔は少女のときと同じ。

「ああ」

拓也は学生のように軽い返事。

「奥があいているわ」

瞳の甘い香水は、拓也を奥のテーブルに誘う。


拓也はより薄暗いテーブルのソファーに腰を落とす。

肌を感じるほどに近くにいる瞳。

瞳の笑顔がキャンドルライトに浮かぶ。

瞳は膝で喜びのサインを送りながら、

白い手に包まれたグラスをそっと正面のコースターの上に置く。


「瞳がこんなに近くにいるとはね」

女子高生とまったく同じ笑顔は、瞳への気持ちを活火山のように爆発させた。

「ほんとね!」

「明日、会わないか?」

勝手に瞳の手を握ろうとした右手を急いで左手が止める。

「そうね、明日は休みなの。それじゃ、駅前のコスモクラシックに来てよ」

少女のような弾む声。

「ほら、駅前にあったでしょ。パチンコ屋よ。12時ころ来て。88番でやってるから」

「僕はやんないよ」

「12時には引き上げるから。ね、タクヤ」

拓也の手を軽く握る。


翌日、拓也は浦和駅裏のビジネスホテルを10時30分に出る。

駅のエレベーターで3Fに上がり、パチンコビルへの通路を歩く。

パチンコビル3Fはゲームセンター。

子どもたちが意味のわからない言葉をしゃべっている。

2Fにエスカレーターで降りると、ルパンⅢ世が大きく描かれたドア。

自動でドアが開くとロックとジャズをアレンジしたような爆発音。


人間の店員はいない。カウンターにロボ3台。

キョロキョロと瞳を捜す拓也。

「88・・・」つぶやきながら番号を目で追う。

拓也は列の中央まで歩き足を止める。

「よう!」

瞳の肩に軽く手を置く。

「見て!134029個よ!」

瞳はデジタル表示を指差すと、緊張した顔つきでピンを見つめている。


「そいじゃ、入口のところで待っているから。早めに頼むな」

拓也はコーヒーを飲むことにした。

「いいわ、もう潮時だわ」

拓也に笑顔を送る。


拓也は入口のカウンターでコーヒーを飲みながら辺りを眺めていた。

10分ほど待つ。カワユイおへそが目に飛び込む。

丈の短いブラウンのシャツを着た瞳。

笑みを浮かべレゲエを踊りながらやってくる。

あのころとまったく同じ。



「タクヤ、ごめん、お待たせ。しっかりおごるから」

「瞳、勝ったみたいだね」

「たまにはね」

瞳は500ドル札を5枚、自慢げに大きな胸の谷間にはさむ。

二人は大通りに出るとあたりを見渡す。


「タクヤ、何食べたい?」

「何にしようか」

「そいじゃ、パスタにする?チョー人気の店に行くとすっか」

「いいね!」

二人は高校生のときと同じ会話。

パスタ店の入口の前には若いカップルの長い列。


「多いな、やめとくか」

「そいじゃ・・・隣のレストランに入る?」

レストランボンジュールに入ると、二人は奥の日の当たらない席に座った。

拓也は瞳の今の仕事が気になった。

切り出す言葉に戸惑ったが、何気なく聞くことにした。


「今の仕事、長いのかい?」

「別れて、それから。タクヤこそどうしたのよ」

「僕は主張さ。まあそういうことで」

「それって、バレバレじゃない」

瞳はあきれた顔。

「今、別れたって言ったけど」

「自業自得ってやつね。5年で破滅しちゃった」

瞳は窓に視線を向ける。


拓也の気持ちを察したように、ステーキが運ばれてくる。

「おいしそうだね」拓也はナイフとフォークを手にする。

「コレって、ロボがステーションで創った肉よ。

ロボ肉もここまでおいしくなると、地球の牛さん、安心ね」

瞳はレアで焼かれた肉を切り取ると大きな口に放り込む。


「うまい。本物以上だ」

拓也は笑顔で味わう。

「ロボって、何でも創っちゃうのね」

瞳は感心しながら、あまりかまずに飲み込んでいる。

「ああ、さすがだね!」

拓也は豪快に食べる瞳の口を唖然と見ている。


瞳は赤ワインをグイっと半分ほど流し込むと、拓也の顔をしばらく見つめうつむく。

「奥さん、きれいな方でしょうね」

「いや、なんと言うか。まあ」

「タクヤ、子どもは?」

「一人、娘がいるよ。ヨシエと言うんだ」

「こっちは二人よ。女と男。レイコとタツヤ」

瞳は話し終えると、すぐに口を大きく開けて肉を押し込む。


「女で一つで、大変だね」

「そうでもないわ、母がいるから。タクヤ、浦和に主張ってことはないでしょう。

奥さんと喧嘩したんでしょう。顔に書いてあるわよ」

「女の勘にはかなわないな。喧嘩じゃないけど、羽をのばしたいだけさ」


「あら、きれいな奥さんがいるのに」

「どうだか、歯ぎしりがひどいんだぜ」

「そんなに。拓也って、女運が悪いのかしら。私を捨てたからよ」

「昔の話はよそう。明後日、帰ることになっているんだ。今夜、どう?」

「誘ったりして、後悔するわよ」

瞳はハンカチを取り出すと、笑顔で光る胸を拭く。



「ところで、瞳こそ、なぜ別れたんだよ」

自分の話をこれ以上したくなかった。

「それはいえないわ。ダメよ」

瞳は顔をすばやく左右に振ると、切ったばかりの肉を放り込み、

黙々と食べる。


「幼なじみの仲じゃないか、隠すなよ」

「DVD]

瞳は、小さく、かすれた声で拓也だけに聞こえるように口を動かす。

「わかるように言えよ」

拓也はむっとなりにらみつける。

「怒んないでよ、怖い顔。20歳のころ、女優をやってたってこと」

瞳はグラスに残っていたワインを一気に空ける。


「例の女優か?」

「そう。びっくりしたでしょ。それが亭主にばれたってわけ」

拓也はしばらく黙っていた。

今までDVDでたびたび見ていた女優は、やはり瞳であった。

拓也の頭の中はDVDの瞳でいっぱいになった。


「がっかりしたでしょう。まあ、こんな女なの。

なんだか、寂しくなっちゃた」

「伊豆にでも行こうか」

拓也は高校時代の瞳を誘っていた。

「そうね・・・いいのね!」

瞳の笑顔は、高校時代、遊園地で遊んでいたときと同じ。

「車を飛ばせばすぐだ。だけど、家の方は?」

「母に電話するわ!」


二人は高校時代に戻っていた。

瞳とは幼なじみであり、妹のように接していた。

東京に出るときも、妹と別れるような気持ちで奈良を去った。

当時、瞳は意味のない理由で東京の大学をけなしていた。

また、なぜ京都の大学に行かないのか、しつこく言っていた。

瞳は東京に就職できないことを口惜しく言っていたが、

拓也は瞳が言いたいことを察知できなかった。

拓也の頭にあるのは数学だけ。


「必ず、夏休みには帰ってきてよ。いい?

タクヤ、電話もよ。約束よ。待ってるから」

このとき、瞳はすでに女性であった。

拓也は話すこともなくて電話する気になれなかったが、

瞳は毎日のように電話をかけてきた。


瞳は意味のわからないことを長々と話しては、一方的に切っていた。

しばらくすると、かけてこなくなった。

このときは、瞳を一人の女性と見ることができなかった。

拓也が瞳を女性として感じたのは、DVDを見てから。

心の底では瞳を愛していたのだろう。

「温泉は何年ぶりかしら。すてきだわ、この眺め。タクヤ、来て!」

瞳の笑顔は子どものころ、公園で鬼ごっこをしていたときとまったく同じ。

「ああ、やっぱし、来てよかった!」

「俺もだよ」

「タクヤ、瞳が幸せにしてあげる!」

拓也の右手を両手でしっかり掴む。


「俺って、ドンくさいよな。今頃になって気づくとは」

「いいの、これも女神が与えた試練なの。拓也も瞳も、

他の人を経験したからこそ、二人の愛が見えたの。

きっと、本当の愛が生まれるわ。信じてたの、今日が来る日を。

うれしいわ、本当に幸せ!」

瞳は拓也の右手の甲をふくよかな胸に押し当てる。


ドアを開ける音がした。ロボ仲居が挨拶にやってきた。

日本人系美女、かなり色っぽい。

「失礼します。本日はようこそお越しくださいました。浴衣はこちらにございます。

食事は7時になっております。ご指定がございましたらおっしゃってください」

「ちょうどいいじゃないか」


「何かございましたら、電話でお申しつけください。お風呂は岩風呂で、

お肌がつるつるになる温泉です。きっと気に入っていただけると思います。奥様!」

仲居は丁寧な言葉遣いで瞳に向かって言う。

ロボ仲居は、人間以上に美しい日本語をしゃべる。


「すてきだわ、ここまで来た甲斐があったわ。ねえ、あなた」

「ああ、そうだね」

「ごゆっくりなさいませ」

ロボ仲居は丁寧にお辞儀すると、静かにドアを閉めて消えた。

「奥様だなんて」

瞳は子どものように、ニコニコしながら浴衣を渡す。

二人は岩風呂に向かう。


二人が風呂から上がると、ロボ仲居が食事の準備をしていた。

「お食事の準備は整いました。お飲み物をお持ちいたしましょうか?」

「ビールを1本とブランデーをボトルでお願いします」

「あら、ステキなお料理。日本酒もお願い。2本ね」

瞳は仲居にチップを渡す。ロボ仲居、丁重にチップを受け取る。


仲居がドアを閉めると、拓也は少し腰をずらし、

妖艶さを増した浴衣姿の瞳に近づく。

「ブラ、外して」

拓也に背中を向けると、浴衣の襟はストンと落ちる。

拓也がぎこちなくホックを外すと、瞳はブラをテーブルの下に放り込む。


瞳の透き通るうなじに見入っていると、ロボ仲居の澄んだ声がする。

「お飲み物、お持ちいたしました」

ロボ仲居はやわらかい腰つきで飲み物を置くと、

深くお辞儀をし、甘い香りを残して消えた。


瞳は二人のコップに勢いよくビールを注ぎ、一つを拓也に手渡す。

「はじめましょ、タクヤ、カンパーイ!」

瞳は一気にグラスを開ける。

「タクヤ、日本酒は?」

「日本酒は勘弁してくれ。ダメなんだ」


「酔いたいときって、日本酒がいいの。とてもいい気分!二本、飲んじゃうわよ」

「かまわんよ、強いんだな」

「おいしそうだわ、タクヤ、これ食べて」

タイの刺身を拓也の口元に運ぶ。

「何か嘘みたいだな。こんなところに、二人がいるなんて」

瞳の手を握り、口に含んだブランデーを流し込む。

「今、とっても、幸せ!」

瞳はまぶたを閉じてささやく。



春日信彦
作家:春日信彦
さやかとアンナ
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