長生きしてね

 リノが、戻ってきてくれたときは、嬉しくて涙が止まらなかった。リノは、猪突猛進なところはあるが、機転は利く。人には短所も長所もある。短所にこだわるのじゃなく、長所を伸ばせばいい。清子、きっと、リノは立派な女将になるさ。長い目で見てやって欲しい。明は、まだ子供だ。まったく人の気持ちがわかっとらん。でも、一つのことに打ち込む姿は、頼もしい。ギタリストになりたいようだから、旅館の跡継ぎには向かんだろう。明には、好きな道に進ませるのがいい。

 

 リノも旅館が嫌なら、跡を継ぐことはない。自分の好きな道に進むがいい。清子、平安時代から続いた旅館だが、無理して続けることはないぞ。健康で長生きできれば、それで十分だ。もし、リノが、若女将になってくれるようであれば、力を合わせて、頑張ってほしい。わしは、ぼんぼん育ちで、好き勝手なことをして、放蕩人生だった。旅館は、わしが、だめにしたようなものだ。清子は、本当によくやってくれた。

 

 わしが残したものといえば、友達だ。もし、困ったことがあれば、市会議員の篠田国男さんと糸島市商工会議所理事の鈴木秀雄さんに相談するがいい。きっと、力になってくれるはずだ。顧問弁護士の森内祐司さんに、すべての財産管理を任せている。清子がまだ知らない財産もある。お金のことで心配することはない。資金繰りのことで困ったときは、まず、顧問税理士の谷口裕也さんに相談するといい。経験豊かな仲居頭の夏木佐和子さんは、どんなときでも支えになってくれるはずだ。レジャー産業は、不景気だ。旅館がいつ潰れてもおかしくない。それは、時代の流れだ。清子のせいじゃない。

 

 重要な書類は、顧問弁護士に預けているが、書斎の書棚の引き出しに、わしの友達の一覧がある。彼らは、いいやつだ。役に立つこともあるだろう。確かに、わしがいれば、人脈は生かせるが、清子もわしに劣らず、頭の回転は、なかなのものだ。リノも清子に似たのか、無鉄砲だが、機転の利くところは、見上げたものだ。もしかしたら、清子以上の商才があるかもしれん。

 

 わしのやるべきことは、もうない。やれることは、お国のために死ぬことだけだ。若者が犬死するのに、のうのうとジジイが生きているわけにはいかん。この年で、兵隊にはなれんが、せめて、足を引っ張らないように身を引きたい。老人を減らし、若者を育てていけば、兵力は増大する。日本が目指す富国強兵のためには、若者を増やす以外にない。残念だが、これから多くの男子は、戦場で消えていくことだろう。

 

 だからこそ、日本を復興させるには、女子の強いリーダーシップが必要になる。新しい日本を作れるのは、リノ、お前たちだ。権力に侵された老人たちが作った愚かな世界を打ち壊し、共生を目指す世界を作って欲しい。老人の愚痴をべらべらとしゃべったが、しばらく、各地を歩いて、今後のことを考えてみたい。決して、わしのことを心配してはならん。誕生日には、必ず帰ってくる。それと、時々やってくる黒猫に餌をやってくれ。

 

リノは、読み終えると、のどが渇き、お茶を一気に飲み干した。「おじいちゃん、こんなこと書き残して、いい気なものね。ジジイはこれだから嫌いよ。いつもの遊びでしょ。勝手に出て行って、あ~、すまなかった。これだからね」リノは、読み終えた便箋を清子に手渡した。清子は、いつもの手紙と違っているような気がした。いつもは、もっと簡潔で、もっと、能天気な内容だった。「これって、結構マジじゃない。おじいちゃんにしては、珍しいわね」リノは、いつものことだと思い、気にしなかった。

 

 「お腹すいちゃった。朝っぱらから、こんな手紙読まされて、ほんと、気楽なジジイ」リノは、無心にご飯を口に頬張りモグモグさせて、一気に食事を済ませた。清子も、心配するのがバカらしくなり、新聞を取りに玄関に出た。歌舞伎門のところに黒猫がちょこんと顔を出していた。手紙に書かれていた黒猫だと思い、声をかけた。「クロ、クロ、おいで」黒猫は、声をかけられると、一目散に逃げ去った。

 

 515日、幸太郎の誕生日がやって来た。だが、幸太郎は帰ってこなかった。「おじいちゃん、帰ってこないね。ジジイは、これだから、嫌われるのよ。どこほっつき歩いてるのやら」玄関で朝からずっと突っ立って待っている清子の横でリノはぼやいた。「おじいちゃん、事故にあったんじゃないかしら。警察に届けようかしら」清子は、リノの返事を待った。「いつものことじゃない。きっと、あ~、すまなかった、って帰ってくるよ。ほっとけばいいのよ。世話の焼けるジジイだこと」リノが、踝を返したとき、クロネコヤマトの宅急便のトラックが30メーター先の庭の入り口に止まった。

 配達の中年男性は、小包を清子に手渡した。とっさに振り向いたリノは、小包の送り元を見た。「おじいちゃんじゃない。何かしら?」リノは、さっそくその場で小包を開き、中身を確認した。「え、キャットフード。まったく、おじいちゃんたら。例の黒猫の餌ね」リノは、しかめっ面で小包を抱え幸太郎の部屋に駆けて行くと、洋間の片隅にポイと小包を放り投げた。

 

 清子は、幸太郎のことが気になったが、いつものように、ひょいと姿を現すのではないかと、警察に届けず帰りを待つことにした。しかし、それから、10日たっても帰ってこなかった。清子は、きっと事故に遭ったに違いないと思い、警察に届けることにした。清子が、服を着替え、警察に行くとリノに伝えると、リノも心配になって、歌舞伎門まで見送りに来た。歌舞伎門まで行くと、黒猫が階段の真ん中で寝転んでいた。

 

 「あら、クロちゃん。どこから来たの?」黒猫は、ニャ~と答えると。リノの手をぺろりと舐めた。そのとき、バイクの音がなった。郵便屋のお兄ちゃんが、駆け足でやって来た。「どうぞ」とはがきを清子に手渡し、駆け足で戻りバイクにまたがると、ブ~ンと音を立て消え去った。はがきを受け取った清子は、表の青い文字をじっと見つめていた。「どこから?」リノは、はがきを覗き込んだ。表には、日本年金機構と表示されていた。

春日信彦
作家:春日信彦
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