たまたまの話

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(4)
 翌日までの十時間、ふたりの蜜月であった。
 エスの腕の中で、エフが宇宙規模の大きさになり,同時に心臓が弱って微弱になるのを追っていた。涙が流れて止まなかった。
 二人の視線は優しく絡み合ったままで、エフは事切れた。

 エスは泣き崩れた。こんなことになるとは思いもよらなかった。むしろエフの最後の意地悪のようにすら思えた。悲しみと喪失だけが最後に残された。ひとりで生きていく理由が見つからなかった。
 何もかも息子に任せて(多分それはエフの息子のはずだが)(とすると最初の夢のなかの息子は前夫の子だったのか)(それにしても時の流れと事実はめちゃくちゃな夢だった)ろくに食べないまま臥していた。

 三月ほども過ぎ、せめて残る日を悔いのないようにという考えが浮かんだ。エスは立ち上がろうとした。が、真っ暗になった世界にそのままくずおれた。

「ママ、ママ」と若い女の軽やかな声がした。誰の声だっけ?
「はあい、どなた?」 
「あらやだ、みずきですよぉ。眠ってらしたの」
(あ、ミツルの妻だっけ。よかったこと) エス(だと思われるのだが)は元気に立ち上がった。

(5)
 ほんと、こんな幸せな毎日が送れようとは思ってもいなかったのよね。
 私はみずきさんの手を取って、もう自分でも何度目だか分からないながらに、言う。
 みずきさん、あの子を愛してくれてありがとう、結婚して優しくしてくれてありがとう。
「ママ、とんでもないわ。こちらこそあんな人を産んでもらってすっごくラッキーなんですから。ご存知のように私たち、まあ結婚はしていなんですケドモっ」 
「あ、ソだったよね。ごめん。ついその言葉使ってしまって。でもあたしも結婚ってこと気にしない方だから、赦して」

 まるで結婚という言葉とその概念が、禁句であって、それなのにそれを言ってしまった子どものように、私たちはクックッと喉をふるわせた。姑でない私として、嫁でないみずきさんとして。
 それでも、孫という概念は論理的に妥当なもので、使用してもいいらしく思えた。
「こどもはネ、無条件で欲しかったんですヨ」と、みずきさんは少し甘えた言い方をする。自分の存在の仕方が無条件で受け入れられている、そう感じている人のしゃべり方だ。おお、そうとも、私はあなたを無条件で受け入れる。ミツルが愛して、ミツルを愛してくれるこの義理の娘を。

 彼女の存在の、私にとってのありがたさはとどまることを知らない。まさに、有ること難い、ことなのだ。
 二人の孫、まさに「珠のような」と形容するに値する男の子まで授けてくれた。奇跡のような双子、ハルオとルリオと。
 おまけに彼女は、実は名高い音楽大学を出て、さらにヨーロッパでピアノの修練を積んだプロなのだ。偶然にも、その地でミツルと知り合ったがために、可哀想にすっかり性ホルモンに支配されてしまった。私がつい、可哀想に、などと矛盾した発言をしてしまうと、彼女は自分でもそう繰り返して、そうなの、性ホルモンが突然働きだしたの、そう言ってニッと綺麗な歯並びをみせる。
「どうしようもなくて」「残念だったね、みずきさん」
 その度にまた彼女の手を撫でて遺憾の意を表する。その通り、確かにどうしようもないこと、自然と偶然の企みなのだから。でも、それでも私は、みずきさんの能力が完璧に伸び世の中に認知されるチャンスがのがされてしまったことを、みずきさんとそのご両親のために惜しいと思うのだ。

 外から見たら、典型的な三世代同居家族の嫁ということになる。
 山の斜面に階段状に建設されたメゾン形式のマンションである。上下二階で一室となっている。うちでは、一階が私たち老夫婦の住まいとテラス、二階とは螺旋階段で室内から行き来する。二階にもテラスがあり、そのテラスから下のテラスを眺めることができる。私がテラスで立ち働いていると、ハルオとルリオが、ばあたあん、と上から呼びかける。そのうちにふたつの小さなお尻が、螺旋階段を後ろ向きに、順番に降りてくるのだ。歩けるようになった時、階段も上ったり降りたりできるようになった。

 もし本当に、うちの「イエ」に、こんなにも見事に育った女性をただでもらった、のなら、もうとてつもなく申し訳ないことだろう。幸いにも、私たち全員そんな仕組みとは縁遠い。
 そんな方向に考えるだけでもゾッとしてしまうほどであって、「できた嫁をもらって良かった」というようなコンテクストの中にはいない。もっぱら実際的な理由、あえて反儒教的とも言えるが、三世代同居の理由はたんにこの家宅が、誰にとってもどう考えても最も住むに適していたからである。
 いわゆる文字通りの「両性の合意による婚姻」的な結びつきであるとすれば、みずきさんのことを私がありがたいのどうのと言うのすら、本来失礼であって差し出がましい。
 待てよ、などと、るる、言い募るのも実は私の中にまだ、意識のどこかに戦前のしっぽがくっついているせいかも。イヤ、そうでもない。私は十分に儒教的影響は克服していると思う。ただひたすら、彼女の存在のここに在る僥倖を喜ばさせてもらっているだけなのであって。


(6)
 だいたいにおいて私は歳こそくっているが、たまたまからっぽな空疎な人間である。この中にはこの世がまるごと受け入れられている。そんなにも無批判な、そう言う意味でアナーキーな、どっちかというとメスの名残のある生物。

 みずきさんは、色白で柔らかく、胴がくびれている。顔の形と、おうとつが美しい。いつも黒い瞳をぱっちりと見開いていて、その光から眼が離せなくなる程だ。そして脚がすばらしく美しい形をしている。
 息子のミツルも色白で、どちらかというと優男風。ちょっと古めかしい言い方で。
 子どものときの柔らかい眉だったのが、今は男らしく太く濃くなって、やや上に向かうなだらかな一文字に近い形をくっきりと描いている。そこから広がるひたいの様子は、本当に気高く、文句のつけようもない。知性と繊細さと優しさがそこにあらわれている。母親がこんなこと言うなんて、親ばかもいい加減にしろ、と思われることだろうが、これは厳然たる事実なので、ひいきで言っている訳ではない。まあ、事実でもわざわざ言うのは少し親ばかではあろう。

 こんな親の長所を足して二で割って、またそれをそっくり二倍にしたのがハルオとルリオ。私はこの四つの存在を眺めるたびに、涙目になる。信じてもいない神様か仏様に拝んでしまう。かなしい白光に充たされしまう。
 つまり、(何故いきなり「つまり」、なのか自分でも不明だが)みずきさんはもちろん忙しいさかりだ。しかし私も忙しい、この年齢とこの不明な立場の割には。人の眼にはどう映っているか知らない、自分としては忙しがっている。

 何はともあれ、私のようないい加減で、高尚さや知性の少ない人間に取って、トンビが鷹を産む、そのもののごときこの事態、私の性ホルモンが私を引きずってこんな、感涙に値するような人々との出会いを可能にしてくれたこの事態,それに我ながら唖然として来た三十数年ではあった。
 その夢は今日もまだ続いている。

(7)
 私たちの住む一階部分のテラスはほとんど森、あるいは林のようなものである。風よけ、日除けを兼ねて樹木の生垣がゆるやかな半円に並んでいる。好きな木を小ぶりに仕立て、季節ごとに並べて大きな鉢に植えてある。
 春は山椿、乙女椿、その手前には沈丁花と馬酔木という立ち木と灌木のセットにして。
 初夏は空木とトベラ、いずれも香しい。その手前にはこでまり、勿論数首の薔薇とそして藤、黄のカロライナジャスミンと白のマダガスカルジャスミン、淡紫のライラックその手前には野草の楽園がある。春早くから咲く仏の座、姫踊り子草、十二単、トキワハゼ、キラン草などどこからかやってきたものばかりを手塩にかけ、話しかけて暮らす。   
 夏を意識したヤマボウシ、合歓の木、ハンケチの木、さるすべりたち。その手前の灌木はドウダンツツジ、花も紅葉も随一だ。
 ちなみに、もう言いたくてたまらないので二階のテラスについて。
 そこは実のものが主眼である。と言っても人間用は、イチジクとびわ、ざくろだけ(最近キーウイも仲間に入った)。つまり、ミツルとみづきさんが食いしん坊だというわけではなく、花は一階に任せようというだけのことらしい。赤い実をならす木はほとんど揃えてあるので、小鳥がやってくる。
 ここは市の高台に位置しているので春一番に、庭には来ないが鶯や同じく美声のクロツグミがさえずりつつ飛翔していく。それらを見たり聞いたりして同じく澄んだ叫びの二重唱を聞かせるのが子ども達だ。子どものための苺ももちろんそこにある。木イチゴ、ブルーベリー、トマト、幾種類かのハーブと葱、しだいに家庭菜園のようでもある。

 町の街路樹や通りの緩衝地帯に植えてあるような、楓、いちょう、楠、つつじなどは、好きな木であってもテラスに持って来たりはしないのだが、くちなしだけは私のお気に入りなので植えてある。山茶花も白地に薄紅の好みの木は仲間に入って晩秋を飾る。いよいよ冬の気配になるとヒイラギクチナシだ。白い小さな花が冷気の中で強く香る。その足元には鈴蘭の繁みがあり、秋には真っ赤な実をつける。

 そうそう、紅葉の木は、どこからか竹とんぼのような種が飛来して着床、すばやく成長してしまった。春の新芽も、そこにつく露の雫も捨て難く、徐々に育てている。
 紅葉の下にあるのは青い実をつける龍のヒゲ、紫式部。
 ガラス戸の近くで、ぬくぬくとしているのはブーゲンブリアとノウゼンカズラと定家葛。


(8)
 こんなにのうのうと、花の香りなどを嗅いで自然の美に感銘をうけたりできるのは、ひとつにはこのマンションが払い済みであるせいであり、それもこれも私と彼の親のおかげであった。二十世紀後半の日本における、今から思えば稀なる経済躍進の波に乗って、かれらは小金を貯めた。それを使う間もなくそれぞれに、たまたま平均寿命をかなり前にして亡くなり、遺産が残った。
 バブルが起こり、私たちは数年待ってマンションの価格が落ち着くとここを購入したのであった。そういう理由で、近代的なマンションにも関わらず仏間という和室がある。
 そこで瞑想を行うのが夫のカズロの日課である。そこから出て来たときの彼の表情が優しくて私は好きである。社会の慣習からはずされ、人間の理想の根源に触れてきたひとの顔である。

 私はひとりの人間として扱ってもらうのが好きなのだ。「家事をする役割の妻」として扱われるのがもっとも苦手である。突然こんな宣言をするのは、生きている間中これと戦ってきたからなのだ。勿論結婚しなければ良かったわけだけれども、あるいはちゃんとした相手を選べば良かったわけだけれども。

 で、この選択についに成功した相手がカズロである。私のこんな天井生活の重要な部分であり愛する価値ある男。私たちは時に別居となっても信頼し合っていたので、それぞれの専門の仕事を果たすことを優先した。それは自分のためでもあったが社会のための生活でもあった。ただ、ミツルが育つ間は同居するようにした。家事も育児も仕事も話し合って、分担を決めた。夫だから妻だからは全く条件とはならない。私が女の役割に従ったのは、妊娠出産のみであった。

 こんなあっさりと簡単な合意による人間扱いで、私はとてつもなく満足した人生をカズロと歩んできた。妻の役割に譲歩したかのように見えるときもあったが、そうではなかった。妻だから、ではなくその時の懸案の得手不得手、効率などによる合意だった。完全に納得できた。

 私とカズロはお互いの瞳に見入りながら、すっと体を寄せ合い、隙間無くくっつきあう。腕も指先までお互いを感じるのが心地よかった。大切な存在、愛と尊敬と信頼を与え合うパートナーとして、永遠の仕合せの微笑を交わし続けた。

(9)
 ここで、「天井生活」 了、とエスは力強く書いた。
 幸福の物語を一度は書きたかったのが、やっと成就した。出来はいつもながら重要ではない,自分の書くべきもの、書きうるもののコレクションの最終章が出来上がった。大きく息を吸い、肺が気持良く膨らむのを感じた。その息で「カズロ」と言った。隣りの部屋へ声をかける。
 「ミツル、みずきさん」 みんな出払っているらしい。念のため「ルリ、ハル」と声を高くしてみる。白い部屋の壁があるようだ。
 
 エスにはかれらがどこかに居ることは確かである。探せば見つかり、会えることを信じている。そう、目の前にもう顔が並んでいる。みんなの輝く瞳がエスには見える。たとえ霞んでいくともそこにあることをエスは知っている。知っている、エスは残りの息で呟く。                了

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東天
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