境内の東側には遊具が設えられ、ちょっとした公園のようになっている。
そこに並ぶ歌碑や詩碑の中に明治維新の元勲、三条実美の歌碑を見つけた。
NHK大河ドラマ「八重の桜」では長州派の公家として悪役っぽく描かれていた三条公。
この歌碑を建立した明治21(1888)年3月から約2年後の同24(1891)年2月18日に薨去した。
これは武田信玄が奉納した短歌を後世に残すことを目的に、三条公が建立したもの。
うつし植る初瀬の花のしらゆふを
かけてそ祈る神のまにまに
この短歌をしたためた信玄公自詠の短冊は、笛吹市の有形文化財書跡に指定されている。
また、ここには第百五代後奈良天皇の御宸翰「般若心経」一軸が収められている。
後奈良天皇から下賜された信玄公が直筆の包装紙を添えて奉納したもので、国の重要文化財に指定されている。
さらに、信玄公は起請文(嘘偽りのないことを神仏に誓う文書)にも「一宮」という文言を多用していたそうだ。
貞観大噴火で木花咲耶姫命を祀った神社を新たに建立することになった際、甲斐国内の各所に浅間社が幾つか誕生した。
甚大な天災だったことは想像に難くないし、鎮めのために神社を数多く建立することも不自然ではない。
このため、他にも「甲斐国一之宮」を名乗る浅間神社が幾つかあり、どこが真の一之宮なのか今でも議論が続いている。
とはいえ、ここまで信玄公から篤く崇拝されていたことを考えれば、ここの浅間神社が真の甲斐国一之宮のようにも思えてくる。