一巡せしもの―東海道・西国編

甲斐國[浅間神社] ( 12 / 22 )

甲斐國一之宮[浅間神社]12



一体それは如何なる厄介事なのか? 

興味が湧いた時“紫の君”は柏手を打ち、来た時と同様に随神門の方へツカツカと立ち去っていった。

その後ろ姿を眺めているうち、ふとあることを思い出した。

上総国一之宮の香取神宮で参拝しようとした丁度その時。

突然、どこからか作業服姿の兄ちゃん2人が現れ、同時に参拝することになった。

そして、ここ浅間神社では“紫の君”が現れた。

香取神宮の御祭神は“武門神”経津主命(フツヌシノミコト)。

浅間神社の御祭神は“子安神”木花咲耶姫命。

そうか、彼ら彼女は神が現世に遣わした使者だったのか! 

と思い至った途端、自分の行動が馬鹿げていたように思えてならなくなった。

今後は参拝しようとしたその時、不意に現れる人は神からの使者だと思って、一緒に素直に参拝することにしよう。

改めて、拝殿に正対する。

正面に掲げられた額面には「浅間神社」ではなく「第一宮」と記されている。

延寶2(1674)年、佐々木玄龍の筆によるものだ。

本殿に向かって頭を下げているとき、ふと“紫の君”のことが心に浮かんだ。

甲斐國[浅間神社] ( 13 / 22 )

甲斐國一之宮[浅間神社]13



彼女も子宝に恵まれず、来る日も来る日も周囲から「赤ちゃんまだ?」なんて責められる毎日なのだろうか?

藁にもすがる思いで木花咲耶姫命にすがっていたのではなかったのか?

そこまで神様に頼み込む必要のある厄介事として、不妊は十分な理由になり得る。

そう思うと(いつまで拝んでんだよ!)などと立腹した自分が恥ずかしく思えてくる。

とは言っても「紫の君」が子授けを祈願していたのか否かは定かではないのだが。

“紫の君”の願掛けに必死さを感じたのは、木花咲耶姫命が「子授安産の霊徳神」ゆえに他ならない。

「古事記」によると、木花咲耶姫命は瓊瓊杵命との子を一夜にして孕んだとある。

しかし、瓊瓊杵命に「一夜で孕むなんて…本当に私の子なのか?」と怪しまれてしまった。

これに憤怒した木花咲耶姫命は「天孫の御子ならば炎に焼かれても無事に生まれてくるでしょう!」。

そう言って産屋に入ると内から土で出口を塞ぎ、出産直前に自ら室内に火を放った。

猛火の中で木花咲耶姫命は三柱の御子…火照命(ホデリノミコト)、火須勢理命(ホスセリノミコト)、火遠理命(ホオリノミコト)を産んだ。

火遠理命は別名を日子火火出見命(ヒコホホデミノミコト)という。

上総国一之宮玉前神社にも登場した、日本の昔話「海彦山彦」の弟、山彦のこと。

ここで玉前神社と浅間神社が繋がった。

甲斐國[浅間神社] ( 14 / 22 )

甲斐國一之宮[浅間神社]14



木花咲耶姫命は玉前神社の御祭神、玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)が産んだ神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレビコノミコト)の祖母に当たるわけだ。

神倭伊波礼毘古命とは初代天皇神武帝のこと。

分かりやすく書くと、こうなるか。

木花咲耶姫命
 →日子火火出見命
  →鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)
   →神倭伊波礼毘古命(=神武天皇)

木花咲耶姫命は炎に包まれる中で無事に御子を産んだことから、「子授安産の霊徳神」と見做されるようになった次第。

参拝を終えて拝殿の横を見やれば、奉献酒の一升瓶がズラリと並んでいる。

しかし、瓶の色やラベルのデザインが、どこか違う。

近寄ってよく見れば、それらは清酒ではなく、ほぼ全てワイン。

いや、ここはワインというより「葡萄酒」と呼んだほうが相応しいかも知れない。

さすが甲斐国。奉献酒も他の国とは一味違う様子。

ただ、御祭神の御神徳とは少しズレている気がしないでもないが。

木花咲耶姫命、実は「酒造の守護神」でもある。

瓊瓊杵命の御子を産んだ折、父の大山祇命が卜占で選んだ稲田から収穫した神聖な米で、酒を醸して祝福した。

瓊瓊杵命の“ニニギ”とは、稲穂が“にぎにぎしく”生育することを意味している。

つまり、瓊瓊杵命とは天から降臨して地に種籾をもたらした“穀霊”なのだ。

甲斐國[浅間神社] ( 15 / 22 )

甲斐國一之宮[浅間神社]15



穀霊の子を産むことイコール「良い米を生産すること」に他ならない。

そこから大山祇命に「酒解神(サケトケノカミ)」、木花咲耶姫命に「酒解子神(サケトケコノカミ)」という別称が付き、父娘で酒造の神として崇められているわけだ。

しかし浅間神社に奉献されている酒の殆どは、米から作った日本酒ではなく葡萄から作ったワイン。

木花咲耶姫命、どのような顔をしてワイングラスを傾けているのだろう?

木花咲耶姫命を祀る浅間系の神社は全国に約1300社ほどあるそうだが、ここ甲斐国一之宮だけはローマ神話の酒神「バッカス」が一緒に祀られているのでは…そんな不思議な雰囲気を感じる。

拝殿の前から離れ、境内を北に向かう。

ちょうど参道の突き当りに位置するのが、貫禄のある神楽殿。

建立は明治36(1903)年というから、既に100年以上経過している。

とはいえ今でも現役で、舞台では年に数回神楽が奉納されるそうだ。

左隣りには神楽庫があり、神楽殿との間には「清め砂」がヒッソリと佇む。

神楽庫を更に奥へ進むと、くぐり抜ければ厄災が祓い落とされるという「祓門」。

その先には干支を象った「十二支石像」が立ち並ぶ。

案内板によれば、自分の干支と今年の干支にお参りした後、一番奥に位置する「成就石」で拝むと、運命は開き願いは叶う…そうだ。
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作家:経堂 薫
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