地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街107 南堂という男

「こちらは入信の見学の方ですか」

 男は教祖の息子の視線に緊張しながらのワークの指導を終えると、小走りに西村たちのところにやってきた。
 皆川君は一瞬ドキッとした顔をして西村を見た。

「いや、違う。学校の陸上部の後輩だ。入信の予定は全くない。勢い込んで教団の説明とか始めなくていいからな」

 「あっ」

 男は納得顏で今にも勧誘モードに入ろうとしていた気配をしまい、今度は教祖の息子の関係者ということで皆川君に対してやや卑屈な笑顔を作りなおした。

 西村は少し苦笑しながら、これでいいか、という顔で皆川君を見た。皆川君は動揺を西村に見透かされたバツの悪さを照れ笑いでごまかした。




「ひょんなことからうちの教団に興味を持ったみたいなんだ。今言ったように入信の予定はないから、教義の説明なんかはいいんだけどさ、南堂さんの信者の生の声みたいなのを少し聞かせてあげてくれない?」

 南堂と言われた男は、承知しましたという感じで何度も頷いた。いちいち芝居がかったこういう態度は男の性格なのか、あやしげな純金取引で鍛え上げたキャラなのか、それとも教団のワークのリーダーとしての習性なのか。僕はなんだか生理的に嫌な感じがした。



「分かりました。そういうことであればこの南堂、俗世において天国も地獄も人間の裏も表もつぶさにしっかりと見て参りました。そんな体験が今どのようにして今日の私に至っておるのか、入信に至る経緯などをこちら様にお話すればよろしいのですね」

 こちら様と皆川君の方を見て何堂は恭しくお辞儀をした。皆川君は僕が感じたような気色悪さを感じたのか、一瞬顔をこわばらせて西村を見た。

「まあ、そんなところ。あ、紹介が遅くなってごめん。皆川君っていうんだ」





「皆川さん!南堂です!よろしくお願いします」

 男は講堂に響き渡るような大きな声で皆川君に敬礼をし、そのまま満面の笑みで皆川君に握手を求めてきた。

 皆川君が思わず半歩後ろずさると、間髪を入れず西村の笑い声が講堂にこだました。

「あのさ、南堂さん。入信勧誘モードが引っ込んだと思ったら今度は純金投資の営業スマイルになってるよ。僕の後輩が引いちゃってるから程々にして僕の部屋行こう」

「あ、これは大変失礼いたしました。それではお部屋まで皆川さんのお荷物を…」

「だからそういうのもいいってば。ゆっくり行くから、この鍵で先に部屋に入って部屋の空気の入れ替えでもしといて」

「承知いたしました」

 南堂は西村から鍵を両手で押し頂いて受け取ると、皆川君に媚態のこもった会釈をして講堂を後にした。


正しい過去、正しい未来、正しい現在

夢の世界に真求むることで
実界で狂に振る舞うことなかれ



 何堂は朗らかに歌うように教義を唱えながら、講堂を出て行った。




「じゃ、行こうか。ちょっと強烈だろ」

 西村が皆川君に笑いかけたが、皆川君はやや不機嫌な顔をしたままだった。

「まあそんな顔すんなって。今から聞ける話は多分皆川が他では一生聞く機会のない面白い話だよ」

 皆川君の肩を叩きながら、西村は南堂が出て行った出口の方に歩き出した。

地下鉄のない街120 親も子供を選べない

 南堂社長は会場に向かって語りかけた。

「まだその時はお会いしてませんでしたが、柿内からすゑさんの話を聞いて、実は私ずっとすゑさんの胸中思いましてな、向かう車の中涙出てきてしょうがなかったですわ」


 すゑさんがもったいないお言葉、といった感じで南堂社長の後ろから頭を下げた。

「七十をすぎたお母さんに五十の娘が『私の人生返して』と詰め寄る。こう言ってはなんですが、一つの地獄絵図ですわ。なんで世の中にこんなかわいそうなことがおきてしまうんだろか。あ、もちろん私はすゑさんの肩持って娘さんのことを非難してるとかじゃありませんよ。親子ともども。お互いにとってですわ。だってそうでしょう。すゑさんはそうは言わない、言えないお人だから辛いんやけど、娘がお母さんに人生返してっていうなら、母親が娘に人生返してって言ったっていいわけですわ。」

 どこかで聞いた言葉。一瞬記憶をたどった後、ぼくは姉さんの涙をすぐに思い出した。僕はずっと知らなかったことだけど、姉さんは他ならぬ母さんから「返して」と言われ続けたんだった。もっとも姉さんのケースでは母さんの父さんへの屈折した非難が八つ当たり的に向けられたもので、姉さんは単純に被害者と言っていい状況ではあったけれど。



「みなさんの中にもあるいはおるかもしれません。すゑさんのように悩んでる方が。形は様々でしょう。でもね、私がここで声を大にして言いたいのは、子供も親を選べないかもしれないが、親だって子供を選ぶことはできなかったというごくごく単純な真理、そして子供が気がつかなくてはいけない真実なんです!」

 会場は少しざわめいた。ああ、なるほどというため息もあれば、そうだねという遠慮がちなつぶやきもあった。多くはすゑさんに同情する糸口を見つけてホッとした安堵ように聞こえたけど、中には自分の子供への罪責感について南堂社長がまったく別のものの見方を教えてくれそうだという期待感もあったように僕には思えた。



「最近そういうブームがありますでしょう。アダルトチルドレンというそうですな。もともとアメリカ盛んに言われた、私がうまく生きられないのは親のせいだ、という考えです。これは一面においては正しい。たしかに親だって子供は選べないとは申しましたが、子供は成人するまでほとんど親の影響を受けっぱなしですからな。そら中には虐待したりするひどい親もいるでしょう。親の責任は重大ですわ。強調してもしすぎることはない。これもまた真実。じゃあどうすればいいのか」


 南堂社長はここで行ったん話を区切って、演台の上のガラスのポットに被せられていたコップに水を注いで一気に飲み干した。

「それはただひとつしかありません」

 しんと静まった会場に南堂社長の声が響く。




正しい過去、正しい未来、正しい現在

夢の世界に真求むることで
実界で狂に振る舞うことなかれ






 南堂社長の野太い声が会場に谺した。


 この言葉は西村の教団のスローガンではなかったか?僕は唐突に南堂社長の口から出てきた言葉に戸惑ってしまった。

 しかし、この言葉は会場の人たちにとっては周知の、いやかなり馴染みのある言葉だったようだった。そうか…そこでこの言葉が出てくるのか!そんな顔で嬉々としてうなずく人がたくさんいた。会場は興奮の一歩手前だった。


 だれかが、パチンと拍手をした。

 会場にはそれに続いて割れんばかりの賛同の拍手が起きた。

 もちろんわざとらしさも胡散臭さもなかった。



 僕は会場後ろの西村と皆川君の表情を探った。

 西村は満足そうに自信たっぷりに微笑み、皆川君は僕と同じように戸惑っている様子だった。

地下鉄のない街121 純金と家族

「皆さん
 ここに純金の塊があります。ここにあるのは少し大きくて、換金すると二億円ほどになります。いい輝きです。この永遠のずっしりした感じ、皆さんもお求めになった時のあの感覚、世界の窪みのあの感覚を思い出して下さい。

 何とも言えない守り神のようなこの存在感。その重みはその人が生きている証、我らが純金家族会の信頼関係そのものです。

 しかしね、ここで考えてみて下さい。いったいどうしてこの黄金色の物体はそんなに価値を持つのでしょうか。なぜ金じゃなくて銀じゃいけないのか、またはなぜプラチナじゃいけないのか。考えてみれば不思議です。




 綺麗だから?綺麗なものならもっとほかにもあるでしょう。
 埋蔵量が限られていて貴重だから?そんな金属はもっと他にもあります。

 本当のお金、札束と交換することができるから?これかなり正解に近い。
 でもそうするともっと難問が出てきます。
 じゃあ、お札って何ですか?
 単なる紙切れでしょう。
 実際に国が破綻してお札が紙切れになってしまう国民もいます。

 札束というのは簡単に言えば日本という国家に対する信頼なんですな。
 そう簡単に日本という国は破産しない。
 みんなそう思ってる。
 だから単なる紙切れに価値が出るんです。

 純金もそう。




 この純金が明日もあさっても、一年後も十年後も、あなたが年老いた時も、その後ですら、ずっとずっとあなたの信頼をずっしりと受け止めてくれるから。
 あなたが心の底からそう思えば、あなたの周りの人もそう思う。イギリスがそう思えばフランスもドイツもそう思う。ヨーロッパがそう思えばアメリカもそう思う。アメリカがそう思えば日本がそう思う。日本がそう思えばアジアの諸国もみんな純金が永遠だと思うのです。

 このとき純金は世界の信頼関係の具体的証拠となるです。皆さんは純金に投資された。
 そのことは、単に自分だけ金持ちになってやろうという財テクなんかとは全然違うのですよ。みなさんはその信頼の輪中に自分を投げ入れたのです。

 ある日世界第一の大国アメリカが、あるいは世界第二位の経済大国日本が、「金なんて信用できない。こんなものは単なる金属だ。俺は金を信用する社会からはもう抜ける」こんなこと言い出したらどうなりますか?」




 南堂社長は再び二億円の金塊を触ってみせた。

「本当にこの金塊が単なる鉄くずと同じになるんですよ。信頼関係を壊すということはそういうことです。おそろしいことですよ、これは。みなさんの信託で我が社で管理している金塊がすべてクズになる日、それは信頼関係が崩れた時なんです」


 会場はため息が漏れる。なけなしの投資で手にいれた金塊のことが一人一人の脳裏をよぎったのだろう。

「さっきの国の例と同じです。我らが純金家族会の誰かが『こんなもん信じられるかい!』と言い出して会員全員に『こんなものはやめてしまえ』と言い始めたとします。そうすると、この今ある信頼関係はガラガラっと崩れて行く。皆さんが正しく現在の金の価値を信じていれば、その価値に妙な疑いを持たなければ、それは正しく未来に受け継がれます。その信頼こそが、今ここにある二億円の金の価値を保証し、そればかりでなく、二億五千万にも三億にもしてくれるわけです。その逆に正しく過去を見ないで、こんなもの生まれた時、掘られた時は単なる鉄くずじゃないか、なんて考え方にとらわれたとします。そうするとまた、目の前の金塊が偽物に見えてくるんです!」



 会場には「そうだそうだ」という頷きあうような声がこだまし始めた。

「今私が国際金融の成り立ちから小難しく説明したこと、これを私たち純金家族会はもっとシンプルな言葉としてもっているではありませんか。過去を疑わず、現在の信頼を確認し、正しい未来、永遠の繁栄につながるあの言葉を!」




正しい過去、正しい未来、正しい現在

夢の世界に真求むることで
実界で狂に振る舞うことなかれ





 南堂社長の声が会場に響いた。会場からは拍手が起きる。純金の投資がこうして家族という信頼関係と不可分にされていくのか。僕はあっけに取られながらも、実際にすでに投資をしている人たちがその考え方にのめり込んで行くのもわかる気がした。疑うことはすなわち信頼への裏切り、そして自分の財産を鉄くずにすることになるからだった。


 南堂社長は会場の拍手を手で制した。まるでオーケストラの指揮者が指揮棒を使ったかのように会場はしんと静まり返った。


「そしてね、みなさん。すゑさんと娘の愛さんを救う鍵も、そこにあったんですわ。なぜならすゑさんの抱えてしまった問題は家族の信頼関係の問題そのものなわけですからな」



 会場は、愛さんやすゑさんに南堂社長がどんな話をしたのかを聞く前から、全幅の信頼、満場の肯定の拍手を南堂社長に贈ったのだった。

地下鉄のない街122 南堂社長の過去

「初めてお会いしたすゑさんは、やはり疲れてらっしゃった」

 自分の肩越しに壇上後方のすゑさんを見遣った南堂社長は、すゑさんと目が合うと小さく頷いた。

「応接室に通してもらってぽつりぽつりとお話されるすゑさんの話に、私はただ頷いておりました。話は一通り柿内から聞いておりましたのでこちらからは初めはただ簡単に時々相槌を打つ感じでした。すゑさんが初対面の柿内や私にそういうことを話してくれたというのも、皆さんはもしかしたら不思議に思うかもしれませんな。すゑさんも誰にも相談できず苦しんでおられたのでしょう。

 でも、これだけは言えます。私にはある程度まではすゑさんのお気持ち、そしてお嬢さんのお気持ちも想像できました。
 詳しくは今はいう場所ではないので話しませんが、私にも娘が一人おります。高校三年の時に離婚した妻に引き取られて行ったあと一度も会ってません。私が若い頃やっておった別の事業に失敗して毎日借金取りが家に押しかけてくるような、三文小説世界を現実にしたような日々がありました。

 まだ初めのうちは『お前もこんな家に生まれたくなかったよなあ』という冗談に娘も苦笑いしとったんですけどな…『そんなことないって。あたしはパパのいい時、かっこいい時のこともちゃんと知ってるから大丈夫』そんなこと言ってくれてました。

 そんでも、もうにっちもさっちもいかんようになってからは、私も自分の口からその冗談が怖くて言えんようになりました。わしは丸っぽ自分の責任だし、女房もこう言って言い切れるもんじゃないのはわかっとりますが、半分は自分の責任でわしを選んだ。もう半分はわしが拝み倒して『結婚してくれえ』と涙流したからなんですが、そうして家族になったわけです。
 でも娘は違う。あの子には罪はない。そして私の場合は、私自身の事業の失敗という誰が見ても明白な私の落ち度があった。

 すゑさんにはそれがなかった。娘さんにしてみたら言いたいことはあったのかも知らんが、ある日突然そういうことを言われてしまったところが違ったわけですな。

 私はすゑさんの話が一段落してこう言ったんです。

『この際、娘さんの言っていることが事実かどうか、旦那さんが娘さんに何かしたとかしないとかそういうことを白黒つけようという考えをまず棚上げしてみたらいかがでしょうか』と。

 多分娘さんは、そうとでも言わないと精神のバランスが保てないほど追い詰められる何か、どうしようもない焦燥感なんかがあってそういうことを言ったに違いない。すゑさんは、最初は納得いかないような顔をされてました。それはそうでしょう。ご主人の名誉もありますし、自分の信頼する夫に事の真偽をとことん明らかにしてもらいたいと思ってらっしゃったようです。話の端々から私はそれを強く感じました。


 また私の話で恐縮すが、最後の最後、もうこれじゃあ娘の教育上も良くないだろうということで籍を抜くことにしました。女房は私の会社関連の連帯保証人にもなっておりましたしな。

 最後に別れる時に私は娘に聞きました。

『お前もこんな家に生まれたくなかったよなあ』と。息を止めて、清水の舞台から飛び降りてみました。あの子は少し首をかしげて曖昧に笑いました。それがどっちの意味だったのかわかりません。

 今でも一日一回、寝る前にはあの時の表情がまぶたの奥に浮かびます。そして、大変身勝手な話をしますが、私は自分の心の中で『そんなことないって』ってあの子の唇が動くのを想像しています。罪深いことです。真実はその反対かもしれないのに。いや、きっとそうだと思います。だから私の方から連絡を取らないだけでなく、あの子からも連絡は来ないのでしょう。

 別れたあとまだ十代のあの子が『そんなことないよ』ってもう一回言えるようになるためには、とてつもない努力が必要なはずです。そして、『あんなうちに生まれたくなかった、あの人は私の本当のお父さんなんかじゃないんだ』そう思うことが、それが真実であったのなら、どれだけ自分の人生は救われたか、あの子がそんな風に考えたとて不思議はありません。

 そして、一家の主人としての責任が果たせなかった私は、せめて娘がそうやって恨んでくれて、その恨みをバネにして強く生きてくれるその対象になることが、情けないことに自分ができる精一杯の娘への謝罪なのだという、まあそんな現実だったのです。今もそうですな。


 話は少し違いますが、いえ、だいぶ違いますし同じにしてはいけませんが、そういうわけで、私はいましたような話をすゑさんにも申し上げて、すゑさんの娘さん、愛さんが最後に親を恨むことで精神のバランスを保っているのだとしたら、もし受け止める余力があるなら、ひとまず話をすっかり受け入れてみてはいかがかと申し上げたのでした」


 会場は初めて聞く南堂社長の身の上話に咳一つなく聴き入っていた。
ゆっきー
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