南堂社長は会場に向かって語りかけた。
「まだその時はお会いしてませんでしたが、柿内からすゑさんの話を聞いて、実は私ずっとすゑさんの胸中思いましてな、向かう車の中涙出てきてしょうがなかったですわ」
すゑさんがもったいないお言葉、といった感じで南堂社長の後ろから頭を下げた。
「七十をすぎたお母さんに五十の娘が『私の人生返して』と詰め寄る。こう言ってはなんですが、一つの地獄絵図ですわ。なんで世の中にこんなかわいそうなことがおきてしまうんだろか。あ、もちろん私はすゑさんの肩持って娘さんのことを非難してるとかじゃありませんよ。親子ともども。お互いにとってですわ。だってそうでしょう。すゑさんはそうは言わない、言えないお人だから辛いんやけど、娘がお母さんに人生返してっていうなら、母親が娘に人生返してって言ったっていいわけですわ。」
どこかで聞いた言葉。一瞬記憶をたどった後、ぼくは姉さんの涙をすぐに思い出した。僕はずっと知らなかったことだけど、姉さんは他ならぬ母さんから
「返して」と言われ続けたんだった。もっとも姉さんのケースでは母さんの父さんへの屈折した非難が八つ当たり的に向けられたもので、姉さんは単純に被害者と言っていい状況ではあったけれど。
「みなさんの中にもあるいはおるかもしれません。すゑさんのように悩んでる方が。形は様々でしょう。でもね、私がここで声を大にして言いたいのは、子供も親を選べないかもしれないが、親だって子供を選ぶことはできなかったというごくごく単純な真理、そして子供が気がつかなくてはいけない真実なんです!」
会場は少しざわめいた。ああ、なるほどというため息もあれば、そうだねという遠慮がちなつぶやきもあった。多くはすゑさんに同情する糸口を見つけてホッとした安堵ように聞こえたけど、中には自分の子供への罪責感について南堂社長がまったく別のものの見方を教えてくれそうだという期待感もあったように僕には思えた。
「最近そういうブームがありますでしょう。アダルトチルドレンというそうですな。もともとアメリカ盛んに言われた、私がうまく生きられないのは親のせいだ、という考えです。これは一面においては正しい。たしかに親だって子供は選べないとは申しましたが、子供は成人するまでほとんど親の影響を受けっぱなしですからな。そら中には虐待したりするひどい親もいるでしょう。親の責任は重大ですわ。強調してもしすぎることはない。これもまた真実。じゃあどうすればいいのか」
南堂社長はここで行ったん話を区切って、演台の上のガラスのポットに被せられていたコップに水を注いで一気に飲み干した。
「それはただひとつしかありません」
しんと静まった会場に南堂社長の声が響く。
正しい過去、正しい未来、正しい現在
夢の世界に真求むることで
実界で狂に振る舞うことなかれ
南堂社長の野太い声が会場に谺した。
この言葉は西村の教団のスローガンではなかったか?僕は唐突に南堂社長の口から出てきた言葉に戸惑ってしまった。
しかし、この言葉は会場の人たちにとっては周知の、いやかなり馴染みのある言葉だったようだった。そうか…そこでこの言葉が出てくるのか!そんな顔で嬉々としてうなずく人がたくさんいた。会場は興奮の一歩手前だった。
だれかが、パチンと拍手をした。
会場にはそれに続いて割れんばかりの賛同の拍手が起きた。
もちろんわざとらしさも胡散臭さもなかった。
僕は会場後ろの西村と皆川君の表情を探った。
西村は満足そうに自信たっぷりに微笑み、皆川君は僕と同じように戸惑っている様子だった。