地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街122 南堂社長の過去

「初めてお会いしたすゑさんは、やはり疲れてらっしゃった」

 自分の肩越しに壇上後方のすゑさんを見遣った南堂社長は、すゑさんと目が合うと小さく頷いた。

「応接室に通してもらってぽつりぽつりとお話されるすゑさんの話に、私はただ頷いておりました。話は一通り柿内から聞いておりましたのでこちらからは初めはただ簡単に時々相槌を打つ感じでした。すゑさんが初対面の柿内や私にそういうことを話してくれたというのも、皆さんはもしかしたら不思議に思うかもしれませんな。すゑさんも誰にも相談できず苦しんでおられたのでしょう。

 でも、これだけは言えます。私にはある程度まではすゑさんのお気持ち、そしてお嬢さんのお気持ちも想像できました。
 詳しくは今はいう場所ではないので話しませんが、私にも娘が一人おります。高校三年の時に離婚した妻に引き取られて行ったあと一度も会ってません。私が若い頃やっておった別の事業に失敗して毎日借金取りが家に押しかけてくるような、三文小説世界を現実にしたような日々がありました。

 まだ初めのうちは『お前もこんな家に生まれたくなかったよなあ』という冗談に娘も苦笑いしとったんですけどな…『そんなことないって。あたしはパパのいい時、かっこいい時のこともちゃんと知ってるから大丈夫』そんなこと言ってくれてました。

 そんでも、もうにっちもさっちもいかんようになってからは、私も自分の口からその冗談が怖くて言えんようになりました。わしは丸っぽ自分の責任だし、女房もこう言って言い切れるもんじゃないのはわかっとりますが、半分は自分の責任でわしを選んだ。もう半分はわしが拝み倒して『結婚してくれえ』と涙流したからなんですが、そうして家族になったわけです。
 でも娘は違う。あの子には罪はない。そして私の場合は、私自身の事業の失敗という誰が見ても明白な私の落ち度があった。

 すゑさんにはそれがなかった。娘さんにしてみたら言いたいことはあったのかも知らんが、ある日突然そういうことを言われてしまったところが違ったわけですな。

 私はすゑさんの話が一段落してこう言ったんです。

『この際、娘さんの言っていることが事実かどうか、旦那さんが娘さんに何かしたとかしないとかそういうことを白黒つけようという考えをまず棚上げしてみたらいかがでしょうか』と。

 多分娘さんは、そうとでも言わないと精神のバランスが保てないほど追い詰められる何か、どうしようもない焦燥感なんかがあってそういうことを言ったに違いない。すゑさんは、最初は納得いかないような顔をされてました。それはそうでしょう。ご主人の名誉もありますし、自分の信頼する夫に事の真偽をとことん明らかにしてもらいたいと思ってらっしゃったようです。話の端々から私はそれを強く感じました。


 また私の話で恐縮すが、最後の最後、もうこれじゃあ娘の教育上も良くないだろうということで籍を抜くことにしました。女房は私の会社関連の連帯保証人にもなっておりましたしな。

 最後に別れる時に私は娘に聞きました。

『お前もこんな家に生まれたくなかったよなあ』と。息を止めて、清水の舞台から飛び降りてみました。あの子は少し首をかしげて曖昧に笑いました。それがどっちの意味だったのかわかりません。

 今でも一日一回、寝る前にはあの時の表情がまぶたの奥に浮かびます。そして、大変身勝手な話をしますが、私は自分の心の中で『そんなことないって』ってあの子の唇が動くのを想像しています。罪深いことです。真実はその反対かもしれないのに。いや、きっとそうだと思います。だから私の方から連絡を取らないだけでなく、あの子からも連絡は来ないのでしょう。

 別れたあとまだ十代のあの子が『そんなことないよ』ってもう一回言えるようになるためには、とてつもない努力が必要なはずです。そして、『あんなうちに生まれたくなかった、あの人は私の本当のお父さんなんかじゃないんだ』そう思うことが、それが真実であったのなら、どれだけ自分の人生は救われたか、あの子がそんな風に考えたとて不思議はありません。

 そして、一家の主人としての責任が果たせなかった私は、せめて娘がそうやって恨んでくれて、その恨みをバネにして強く生きてくれるその対象になることが、情けないことに自分ができる精一杯の娘への謝罪なのだという、まあそんな現実だったのです。今もそうですな。


 話は少し違いますが、いえ、だいぶ違いますし同じにしてはいけませんが、そういうわけで、私はいましたような話をすゑさんにも申し上げて、すゑさんの娘さん、愛さんが最後に親を恨むことで精神のバランスを保っているのだとしたら、もし受け止める余力があるなら、ひとまず話をすっかり受け入れてみてはいかがかと申し上げたのでした」


 会場は初めて聞く南堂社長の身の上話に咳一つなく聴き入っていた。

地下鉄のない街123 ポニーテールのかわいい女

「しかし皆さんは思うでしょう。南堂さんは金を売りに行ったんじゃなかったのかって」

 突然剽軽な顔をしてそう言った南堂社長の声に、会場はひと息をつくことができた。くすくすという笑い声や、そうだそうだという好意的なはやし声が少しした。

「バカなこと言っちゃいけません。鞄の中はもちろん空です。金なんぞ入ってない。私は私の会社がその人のお役に立てるかどうか、まずそこだけ最初に確かめるんです。金塊はさっき言ったようにその信頼の証です。何かを持続して信じること、その大切さをとことん知っている人、それが生きて行くのに切実にどうしても必要な人にしか私は金を勧めたりはしません」


 会場は誰かが絶妙のタイミングで呟いた「本当かあ」などという冗談めいた言葉に湧いたり、南堂社長がすかさずその誰が言ったともわからない言葉に「本当ですとも!」とわざとらしく応えたりして、深刻な話ながらも何とも言えぬ一体感を醸し出し始めていた。






 僕が皆川君と西村の様子をうかがうと、二人は揃って廊下に出ようとするところだった。



 僕は西村が皆川君に語りかける口元を凝視した。

「大体わかったろ。あの南堂さんって人。面白い人だろ。それと少しは人間的にも信用できる。少なくとも俺よりな」

 西村は済ました顔で少しだけ口元に微笑を浮かべた。

「まだしばらく演説は続くから、その間に廊下で俺が渡辺すゑさんの娘さんが喫茶店で会ったというポニーテールのかわいいカウンセラーの卵の話を聞かせてやるよ。南堂さんから聞いて知ってるんだ。お前が一番興味があるのはそこだよな」


 皆川君はいろんな話を聞かされたせいかかなり混乱した目をしていたが、西村の声に静かに頷いた。

地下鉄のない街124 春日井先生を取り締まる者

「まずはじめに、すゑさんが言ってた悪魔のようなカウンセラーという言い方なんだが、あれはすゑさんの体験からするとしょうがない言葉なのかもしれない。でも俺も南堂さんもそうは思ってない」

 西村は自販機で買った真っ赤真な絵柄の紙コップ二つのうち一つを皆川君に勧めた。

「それどころか、まあ、ああいう言われ方はお前のように春日井先生に特別な思いがなかったとしても、ちょっと気の毒かなという気もする」

 春日井先生をフォローするような西村の口調に皆川君は真意を図りかねて、勧められた紙コップ頭を下げて受け取りながら無言で西村を見た。


「お前言ってたよな。『その通りだね。ずいぶん春日井先生のことをよく分かってるじゃないか』って。あれがどういう意味なのかまだ聞いてなかったよな」




 とぼけた顔で西村が話を続ける。

「ところでさっき驚いたろ、南堂さんが一字一句違わずうちの教団の教理を演説してたの」

「はい」皆川君もそれは聞きたいところだったらしく西村の目をはっきり見て頷いた。

「もともと、あれはもちろんうちの教団のオリジナルなわけだけど、南堂さんが独自に考えていた純金投資の考え方とまったく一緒だったそうだ。南堂さんところのお客さんがたまたまうちの信者で考え方がびっくりするほど似てるって話を南堂さんにしたらしい。そこで南堂さんが見学にやってから付き合いが始まったというわけさ」

「同じというと…?」

 西村はよく聞いてくれたとばかりに口元を緩めた。

「正しい過去、正しい現在、正しい未来っていうのは信頼によって正しく一本につながって行くっていうのがその考えなのさ」

「一本?バラバラじゃなくて…」

「ああ。生まれたことを肯定し、今の自分を肯定することで正しく未来への道が開ける。抽象的にいうとこんな感じさ。言ってみればすゑさんの娘の愛さんはそこがバラバラに多元化してしまったわけ」

 多元化…。ぼくは何となく西村の言おうとしていることがボンヤリと浮かんだ。この僕の体験、この『地下鉄のない街』というカルテに書かれた世界を今こうして生きていること、例えばそれは西村のいう多元化された世界なのではないだろうか?だとすれば僕や姉さんは「正しくない過去、正しくない現在、正しくない未来」に無間地獄のように彷徨う、タイムマシンの故障したタイムトラベラーのようなものなのか?


「さっきの宿題の話なんだけど…」

「うん。そうだ。そこなんだよ。お前は実は気がついてる。春日井先生がやらかしてくれてることっていうのは、あの人と関わりをもった人が、次々と自分勝手な自分の世界を手に入れて、世界がどんどん多元化して、そこにすゑさん親子のような悲劇がうまれるというわけなんだな」

皆川くんは西村の話を聞いて少し顔を歪めた。

「春日井先生が保健室で生徒の話を聞いて、生徒がそれで精神的に蘇生するというのは…」

「そうだね。すゑさん親子の悲劇を学校でどんどん量産しているということに他ならない」

「だから…」

「そう。教団『暁の雫』の未来の正しい後継者としての俺は、それを黙って見てるわけにはいかないということさ」

「タイムパトロール…」

「そう。過去を勝手に改変して親子の中をおかしく多元化したりする人物は取り締まらないといけないわけだ。それが春日井先生の過去の言い知れない苦悩の生み出したものだったとしてもな…」

地下鉄のない街125 西村の真意?

「もちろんタイムパトロールっていうのは大げさな言い方なわけだけどな」

 西村はそう言って自分で自嘲気味に笑い出した。しかしその笑はどこか朗らかで楽しそうにもみえた。

「でもたとえ話としてはなかなか都合がいいんだ。俺がようやく見つけたかもしれない、自分の逃れられない宿命の説明の仕方にも少しだけなるしな…」

 西村の顔からさっきの微笑みは消えて、達観したような寂しそうな顔が覗いた。

「教団の跡継ぎのことを言ってるんですか」

 僕には西村にそう聞いた皆川君の口調に、どことなく友情めいたニュアンスを感じた。

「まあな。呪ったさ、小さい頃は。暁の雫の人間だ、しかも教祖の息子だって分かった瞬間から友達の親が俺と遊ぶをことを禁止したとかね、まあ良くある話なんだろうけど子供心にはそれはかなりのトラウマとはなるな…」



 トラウマという言葉を口にした西村は少し照れ臭そうだった。

「根っこのところは実は同じなのさ。俺が考えてる、俺なりになんていうか…大それた言い方かもしれないけど、苦しんでる人の心をなんとかしてあげたいっていう気持ちと、春日井先生の気持ちは…多分な」

 皆川君は西村の話の続きを待った。

「春日井先生は、相手の心の中に降りて行って、その世界でその人の心を解放してあげられる。前にも言ったようにあの人自身が多重人格者だから、相手に完全に同調できるわけさ。自分も病気だから人の苦しみもわかるとかいうのとは大違いなのは分かるだろう。そんな安っぽいヒューマニズムみたいなのは本当に苦しんでる人にはまったく届かないよ。そうじゃなくて春日井先生のは、その人が自分でも気がつかなかった自分を春日井先生という鏡の中に発見するということだと思う。これは俺の想像なんだけどおそらく間違いないだろう。」

 コーラを飲み干してストローで底の氷をカチャカチャかき混ぜながら西村はそう言った。

「どんな人でも自分が本当に求めていた自分を春日井先生の中に発見する…。あの人が自分というものを持たない多重人格者だから…。」


 二人はしばらく沈黙した。

「だったら、春日井先生自身の幸せってなんなんだろう」
 
 沈黙を破った皆川君のつぶやきに西村が声をあげて笑った。それは朗らかで善良な、そして友情に満ちた笑い声だった。

「だからさ、それは皆川君よ。お前に聞きたいことだよ。しんどい救済者だぜ、あのかわいいポニーテールの先生は。お前本当に春日井先生のこと考えてんのか?」



 僕は一瞬西村の言葉の真意を図りかねた。言葉通りに受け止めれば西村は春日井先生のことを、愛情は別にしても皆川君と同じように放っておけない人として考えているようにも聞こえた。




「救われた方はいいかもな。でも救った人、救う立場の人がもしかしたら一番救いを必要としてる人かもしれない。そんなこと考えたこと…」

 皆川君はそこで西村に顔を強く見返した。

「おっとっと。分かってるってば、怖い目で睨むなよ。分かってるさ、お前はそういうやつだ。だからこそおれは、競技会でお前にぜひ八百長をやってもらいたいんだ。」



 僕も皆川君も西村の最後の言葉に混乱したが、僕たちはすっかり西村の話に聴き入っていた。
ゆっきー
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