運転手が西村の必要最小限な指示に、必要十分に敬意を含んで返事をする。
人を威圧するような感じはないが、普通の車よりやや幅の大きな黒塗りの車の後部座席に、皆川君はやや落ち着きのない様子で座っていた。
父さんと西村との会話では、女系性の西村の教団では父親の地位も跡継ぎの自分の地位もそれほどではないということだった。それでも学校の外ではこういう待遇で西村は日常生活を送っているのだと僕は思った。皆川くんの落ち着きのなさもそういうことだろう。わざと西村との会話を避け、窓から外を向いたまま不安そうな顔をしている。
車は市街地を抜ける。公園の土手にランドセルを投げ出して遊んでいる男の子や、スーパーのレジ袋を両手に下げた主婦がのんびり家路に向かっている。午後のありふれた風景だった。
市街地を抜けていくといつの間にか街並みが変わっていた。人通りが少なくなり、一軒の敷地が大きくなり塀が高くなる。高級住宅地のひんやりした冷気が黒塗りの車を撫でていった。
車は突然右折してそのまま大きな門構えの敷地内に入った。個人の家のはずなのに詰め所のようなボックスが門柱の脇にあり、ただおざなりにそこに立っているという雰囲気ではない、目つきのしっかりした四十代くらいの警備員がキビキビと敬礼をした。西村が軽く右手を上げてそれに応える。
車から降りた皆川君は、自分の靴が少し潜るほどの玉砂利がこすれる音に一瞬気を取られながら、顔をあげて降り立った敷地内をぐるっと見渡した。よく手入れされた大きな植え込みが視界を遮いながらも、かなり遠くにある時計台のような建物のさらに向こうにも敷地は続いているらしいのがみてとれた。
「悪いな。うちわのお客さんの場合には普段は裏口から入ってもらうんだけど、それだと俺の部屋までが遠い。それに教団の話をするのにざっと教団内部の施設を通り抜けて俺の部屋まで来てもらった方が話が早いかなと思ってな」
西村が柔和な顔で運転手に労いの会釈をすると、運転手は車をガレージに移動させた。
「こっちだ」
西村の後をついて行った皆川君は学校に体育館のような建物の中に入った。
「ここが近道なのさ」
来客用スリッパを履いて、薄暗い下駄箱がずらっと並ぶ薄暗い玄関を通り抜ける。
廊下と集会場の間にはガラスの窓がはめ込まれていて、その向こう側では信者と思しき人たちがマットの上に正座をして瞑想している。インストラクターのような人が西村に気がつくと、最敬礼をしてよこした。
集会場の一番奥には、中国の天安門を思わせる、指導者の巨大な教祖の写真が飾られている。あれが西村のお母さんなのだろう。
その下には草書体のような大きな字でこう書かれていた。
正しい過去、正しい未来、正しい現在
夢世界に真求むることで
実界で狂に振る舞うことなかれ