地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街105 西村教団

 運転手が西村の必要最小限な指示に、必要十分に敬意を含んで返事をする。

 人を威圧するような感じはないが、普通の車よりやや幅の大きな黒塗りの車の後部座席に、皆川君はやや落ち着きのない様子で座っていた。

 父さんと西村との会話では、女系性の西村の教団では父親の地位も跡継ぎの自分の地位もそれほどではないということだった。それでも学校の外ではこういう待遇で西村は日常生活を送っているのだと僕は思った。皆川くんの落ち着きのなさもそういうことだろう。わざと西村との会話を避け、窓から外を向いたまま不安そうな顔をしている。

 車は市街地を抜ける。公園の土手にランドセルを投げ出して遊んでいる男の子や、スーパーのレジ袋を両手に下げた主婦がのんびり家路に向かっている。午後のありふれた風景だった。

 市街地を抜けていくといつの間にか街並みが変わっていた。人通りが少なくなり、一軒の敷地が大きくなり塀が高くなる。高級住宅地のひんやりした冷気が黒塗りの車を撫でていった。



 車は突然右折してそのまま大きな門構えの敷地内に入った。個人の家のはずなのに詰め所のようなボックスが門柱の脇にあり、ただおざなりにそこに立っているという雰囲気ではない、目つきのしっかりした四十代くらいの警備員がキビキビと敬礼をした。西村が軽く右手を上げてそれに応える。



 車から降りた皆川君は、自分の靴が少し潜るほどの玉砂利がこすれる音に一瞬気を取られながら、顔をあげて降り立った敷地内をぐるっと見渡した。よく手入れされた大きな植え込みが視界を遮いながらも、かなり遠くにある時計台のような建物のさらに向こうにも敷地は続いているらしいのがみてとれた。


「悪いな。うちわのお客さんの場合には普段は裏口から入ってもらうんだけど、それだと俺の部屋までが遠い。それに教団の話をするのにざっと教団内部の施設を通り抜けて俺の部屋まで来てもらった方が話が早いかなと思ってな」

 西村が柔和な顔で運転手に労いの会釈をすると、運転手は車をガレージに移動させた。





「こっちだ」

 西村の後をついて行った皆川君は学校に体育館のような建物の中に入った。

「ここが近道なのさ」



 来客用スリッパを履いて、薄暗い下駄箱がずらっと並ぶ薄暗い玄関を通り抜ける。

 廊下と集会場の間にはガラスの窓がはめ込まれていて、その向こう側では信者と思しき人たちがマットの上に正座をして瞑想している。インストラクターのような人が西村に気がつくと、最敬礼をしてよこした。



 集会場の一番奥には、中国の天安門を思わせる、指導者の巨大な教祖の写真が飾られている。あれが西村のお母さんなのだろう。

 その下には草書体のような大きな字でこう書かれていた。











正しい過去、正しい未来、正しい現在

夢世界に真求むることで
実界で狂に振る舞うことなかれ

地下鉄のない街107 南堂という男

「こちらは入信の見学の方ですか」

 男は教祖の息子の視線に緊張しながらのワークの指導を終えると、小走りに西村たちのところにやってきた。
 皆川君は一瞬ドキッとした顔をして西村を見た。

「いや、違う。学校の陸上部の後輩だ。入信の予定は全くない。勢い込んで教団の説明とか始めなくていいからな」

 「あっ」

 男は納得顏で今にも勧誘モードに入ろうとしていた気配をしまい、今度は教祖の息子の関係者ということで皆川君に対してやや卑屈な笑顔を作りなおした。

 西村は少し苦笑しながら、これでいいか、という顔で皆川君を見た。皆川君は動揺を西村に見透かされたバツの悪さを照れ笑いでごまかした。




「ひょんなことからうちの教団に興味を持ったみたいなんだ。今言ったように入信の予定はないから、教義の説明なんかはいいんだけどさ、南堂さんの信者の生の声みたいなのを少し聞かせてあげてくれない?」

 南堂と言われた男は、承知しましたという感じで何度も頷いた。いちいち芝居がかったこういう態度は男の性格なのか、あやしげな純金取引で鍛え上げたキャラなのか、それとも教団のワークのリーダーとしての習性なのか。僕はなんだか生理的に嫌な感じがした。



「分かりました。そういうことであればこの南堂、俗世において天国も地獄も人間の裏も表もつぶさにしっかりと見て参りました。そんな体験が今どのようにして今日の私に至っておるのか、入信に至る経緯などをこちら様にお話すればよろしいのですね」

 こちら様と皆川君の方を見て何堂は恭しくお辞儀をした。皆川君は僕が感じたような気色悪さを感じたのか、一瞬顔をこわばらせて西村を見た。

「まあ、そんなところ。あ、紹介が遅くなってごめん。皆川君っていうんだ」





「皆川さん!南堂です!よろしくお願いします」

 男は講堂に響き渡るような大きな声で皆川君に敬礼をし、そのまま満面の笑みで皆川君に握手を求めてきた。

 皆川君が思わず半歩後ろずさると、間髪を入れず西村の笑い声が講堂にこだました。

「あのさ、南堂さん。入信勧誘モードが引っ込んだと思ったら今度は純金投資の営業スマイルになってるよ。僕の後輩が引いちゃってるから程々にして僕の部屋行こう」

「あ、これは大変失礼いたしました。それではお部屋まで皆川さんのお荷物を…」

「だからそういうのもいいってば。ゆっくり行くから、この鍵で先に部屋に入って部屋の空気の入れ替えでもしといて」

「承知いたしました」

 南堂は西村から鍵を両手で押し頂いて受け取ると、皆川君に媚態のこもった会釈をして講堂を後にした。


正しい過去、正しい未来、正しい現在

夢の世界に真求むることで
実界で狂に振る舞うことなかれ



 何堂は朗らかに歌うように教義を唱えながら、講堂を出て行った。




「じゃ、行こうか。ちょっと強烈だろ」

 西村が皆川君に笑いかけたが、皆川君はやや不機嫌な顔をしたままだった。

「まあそんな顔すんなって。今から聞ける話は多分皆川が他では一生聞く機会のない面白い話だよ」

 皆川君の肩を叩きながら、西村は南堂が出て行った出口の方に歩き出した。

地下鉄のない街120 親も子供を選べない

 南堂社長は会場に向かって語りかけた。

「まだその時はお会いしてませんでしたが、柿内からすゑさんの話を聞いて、実は私ずっとすゑさんの胸中思いましてな、向かう車の中涙出てきてしょうがなかったですわ」


 すゑさんがもったいないお言葉、といった感じで南堂社長の後ろから頭を下げた。

「七十をすぎたお母さんに五十の娘が『私の人生返して』と詰め寄る。こう言ってはなんですが、一つの地獄絵図ですわ。なんで世の中にこんなかわいそうなことがおきてしまうんだろか。あ、もちろん私はすゑさんの肩持って娘さんのことを非難してるとかじゃありませんよ。親子ともども。お互いにとってですわ。だってそうでしょう。すゑさんはそうは言わない、言えないお人だから辛いんやけど、娘がお母さんに人生返してっていうなら、母親が娘に人生返してって言ったっていいわけですわ。」

 どこかで聞いた言葉。一瞬記憶をたどった後、ぼくは姉さんの涙をすぐに思い出した。僕はずっと知らなかったことだけど、姉さんは他ならぬ母さんから「返して」と言われ続けたんだった。もっとも姉さんのケースでは母さんの父さんへの屈折した非難が八つ当たり的に向けられたもので、姉さんは単純に被害者と言っていい状況ではあったけれど。



「みなさんの中にもあるいはおるかもしれません。すゑさんのように悩んでる方が。形は様々でしょう。でもね、私がここで声を大にして言いたいのは、子供も親を選べないかもしれないが、親だって子供を選ぶことはできなかったというごくごく単純な真理、そして子供が気がつかなくてはいけない真実なんです!」

 会場は少しざわめいた。ああ、なるほどというため息もあれば、そうだねという遠慮がちなつぶやきもあった。多くはすゑさんに同情する糸口を見つけてホッとした安堵ように聞こえたけど、中には自分の子供への罪責感について南堂社長がまったく別のものの見方を教えてくれそうだという期待感もあったように僕には思えた。



「最近そういうブームがありますでしょう。アダルトチルドレンというそうですな。もともとアメリカ盛んに言われた、私がうまく生きられないのは親のせいだ、という考えです。これは一面においては正しい。たしかに親だって子供は選べないとは申しましたが、子供は成人するまでほとんど親の影響を受けっぱなしですからな。そら中には虐待したりするひどい親もいるでしょう。親の責任は重大ですわ。強調してもしすぎることはない。これもまた真実。じゃあどうすればいいのか」


 南堂社長はここで行ったん話を区切って、演台の上のガラスのポットに被せられていたコップに水を注いで一気に飲み干した。

「それはただひとつしかありません」

 しんと静まった会場に南堂社長の声が響く。




正しい過去、正しい未来、正しい現在

夢の世界に真求むることで
実界で狂に振る舞うことなかれ






 南堂社長の野太い声が会場に谺した。


 この言葉は西村の教団のスローガンではなかったか?僕は唐突に南堂社長の口から出てきた言葉に戸惑ってしまった。

 しかし、この言葉は会場の人たちにとっては周知の、いやかなり馴染みのある言葉だったようだった。そうか…そこでこの言葉が出てくるのか!そんな顔で嬉々としてうなずく人がたくさんいた。会場は興奮の一歩手前だった。


 だれかが、パチンと拍手をした。

 会場にはそれに続いて割れんばかりの賛同の拍手が起きた。

 もちろんわざとらしさも胡散臭さもなかった。



 僕は会場後ろの西村と皆川君の表情を探った。

 西村は満足そうに自信たっぷりに微笑み、皆川君は僕と同じように戸惑っている様子だった。

地下鉄のない街121 純金と家族

「皆さん
 ここに純金の塊があります。ここにあるのは少し大きくて、換金すると二億円ほどになります。いい輝きです。この永遠のずっしりした感じ、皆さんもお求めになった時のあの感覚、世界の窪みのあの感覚を思い出して下さい。

 何とも言えない守り神のようなこの存在感。その重みはその人が生きている証、我らが純金家族会の信頼関係そのものです。

 しかしね、ここで考えてみて下さい。いったいどうしてこの黄金色の物体はそんなに価値を持つのでしょうか。なぜ金じゃなくて銀じゃいけないのか、またはなぜプラチナじゃいけないのか。考えてみれば不思議です。




 綺麗だから?綺麗なものならもっとほかにもあるでしょう。
 埋蔵量が限られていて貴重だから?そんな金属はもっと他にもあります。

 本当のお金、札束と交換することができるから?これかなり正解に近い。
 でもそうするともっと難問が出てきます。
 じゃあ、お札って何ですか?
 単なる紙切れでしょう。
 実際に国が破綻してお札が紙切れになってしまう国民もいます。

 札束というのは簡単に言えば日本という国家に対する信頼なんですな。
 そう簡単に日本という国は破産しない。
 みんなそう思ってる。
 だから単なる紙切れに価値が出るんです。

 純金もそう。




 この純金が明日もあさっても、一年後も十年後も、あなたが年老いた時も、その後ですら、ずっとずっとあなたの信頼をずっしりと受け止めてくれるから。
 あなたが心の底からそう思えば、あなたの周りの人もそう思う。イギリスがそう思えばフランスもドイツもそう思う。ヨーロッパがそう思えばアメリカもそう思う。アメリカがそう思えば日本がそう思う。日本がそう思えばアジアの諸国もみんな純金が永遠だと思うのです。

 このとき純金は世界の信頼関係の具体的証拠となるです。皆さんは純金に投資された。
 そのことは、単に自分だけ金持ちになってやろうという財テクなんかとは全然違うのですよ。みなさんはその信頼の輪中に自分を投げ入れたのです。

 ある日世界第一の大国アメリカが、あるいは世界第二位の経済大国日本が、「金なんて信用できない。こんなものは単なる金属だ。俺は金を信用する社会からはもう抜ける」こんなこと言い出したらどうなりますか?」




 南堂社長は再び二億円の金塊を触ってみせた。

「本当にこの金塊が単なる鉄くずと同じになるんですよ。信頼関係を壊すということはそういうことです。おそろしいことですよ、これは。みなさんの信託で我が社で管理している金塊がすべてクズになる日、それは信頼関係が崩れた時なんです」


 会場はため息が漏れる。なけなしの投資で手にいれた金塊のことが一人一人の脳裏をよぎったのだろう。

「さっきの国の例と同じです。我らが純金家族会の誰かが『こんなもん信じられるかい!』と言い出して会員全員に『こんなものはやめてしまえ』と言い始めたとします。そうすると、この今ある信頼関係はガラガラっと崩れて行く。皆さんが正しく現在の金の価値を信じていれば、その価値に妙な疑いを持たなければ、それは正しく未来に受け継がれます。その信頼こそが、今ここにある二億円の金の価値を保証し、そればかりでなく、二億五千万にも三億にもしてくれるわけです。その逆に正しく過去を見ないで、こんなもの生まれた時、掘られた時は単なる鉄くずじゃないか、なんて考え方にとらわれたとします。そうするとまた、目の前の金塊が偽物に見えてくるんです!」



 会場には「そうだそうだ」という頷きあうような声がこだまし始めた。

「今私が国際金融の成り立ちから小難しく説明したこと、これを私たち純金家族会はもっとシンプルな言葉としてもっているではありませんか。過去を疑わず、現在の信頼を確認し、正しい未来、永遠の繁栄につながるあの言葉を!」




正しい過去、正しい未来、正しい現在

夢の世界に真求むることで
実界で狂に振る舞うことなかれ





 南堂社長の声が会場に響いた。会場からは拍手が起きる。純金の投資がこうして家族という信頼関係と不可分にされていくのか。僕はあっけに取られながらも、実際にすでに投資をしている人たちがその考え方にのめり込んで行くのもわかる気がした。疑うことはすなわち信頼への裏切り、そして自分の財産を鉄くずにすることになるからだった。


 南堂社長は会場の拍手を手で制した。まるでオーケストラの指揮者が指揮棒を使ったかのように会場はしんと静まり返った。


「そしてね、みなさん。すゑさんと娘の愛さんを救う鍵も、そこにあったんですわ。なぜならすゑさんの抱えてしまった問題は家族の信頼関係の問題そのものなわけですからな」



 会場は、愛さんやすゑさんに南堂社長がどんな話をしたのかを聞く前から、全幅の信頼、満場の肯定の拍手を南堂社長に贈ったのだった。
ゆっきー
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