2.セミリタイヤメントと一般的なリタイヤメントとの違い
セミリタイヤメントも一般的なリタイヤメントも、ともに現役のビジネス活動から身を引いた生活をすることになります。世間ではビジネスをすることを「この仕事で飯を食っている」と言うように、ビジネスはまさに自分の生活を維持するための活動をいい、これを「生業」と言いますが、リタイヤメントはもはやビジネスを引退しているので、多くの場合収入がありませんから年金や貯蓄で生活します。セミリタイヤメントもリタイヤメントの一種で、仕事をしても、それで飯を食うわけではありません。
話を分かり易くするため、ここではサラリーマンから引退する場合を例にとって解説することにしますが、リタイヤメントも一般的なリタイヤメントも共にサラリーマンを辞めたことまでは同じです。リタイヤメントの中の何人かは、会社を辞めた後に自分のやりたかった事をビジネスにしたいと思うでしょう。彼らには年金や貯蓄が既にあるので、現役サラリーマン時代のように「生活のため、会社発展のため」と頑張ってする仕事でなく、マイペースで仕事をしたいと考えたとしても不思議はないです。そんな人は、もし仕事と遊びのどちらを取るかとなったら、遊びを優先させるに違いありません。「遊び第一、仕事は第二」これが“気まま”な振る舞いの例です。
3.セミリタイヤとアーリーリタイヤの違い
アーリーリタイヤメントは、例えば定年退職のように一般的にリタイヤする時期だと認識されているタイミングより早くサラリーマンを引退してしまうことです。今後は定年退職の時期より公的年金の支給開始時期が後にやって来る場合が出てくるでしょうから、公的年金受給開始時期よりも早く会社を辞めて引退生活する場合もアーリーリタイヤかもしれません。リタイヤする時期が早い場合がアーリーリタイヤですから、セミリタイヤとは直接関係がありません。定年退職してからセミリタイヤメントになることもできます。
しかしセミリタイヤする人は、最初から「セミリタイヤしたい」とは思わないでしょう。もしできるなら会社を辞めて自分でビジネスを始めたい、という希望を持っていることでしょう。その自分のビジネスで収入が得られる可能性があるため、会社を定年前に辞めてアーリーリタイヤしたくなるかもしれませんが、会社を早く辞めれば収入が無くなり、公的年金もまだ受け取れませんから生活資金に困ります。それでリタイヤしたけど「リタイヤの副業として何か小さなビジネスを始めようか・・・」と、少々の収入があるアーリーリタイヤメントが生まれることにつながり易いと思いますが、このパターンは必ずしもセミリタイヤではないかもしれません。なぜなら、小さなビジネスの収入が、もし衣食住などの基本生活費を支えるなら、それは気ままにやっては生活が立ち行かないからです。でも「稼いだお金は全部自分のお小遣いとして使う」であればセミリタイヤとなるでしょう。
4.セミリタイヤと放浪者の違い
もし親のスネかじりをしながら、気楽に小遣い稼ぎだけをする生活をしたら、それはセミリタイヤメントと見分けがつき難いと思われます。しかしこの生活はビジネス界をリタイヤしたことになってしません。自力で自分の生活資源を確保した後に、それを使って生活することこそリタイヤなので、生活するための資金が他から与えられる場合はセミリタイヤではありません。それはセミリタイヤメントでなく放浪者だと思います。
しかし放浪者はダメだと言うつもりはありません。世の中には長い放浪生活の後に才能を開花させた芸術家や音楽家も存在するので、生活資金は自分でない誰かの提供を受け、自分は気ままにやりたい事にマイペースで精を出すという生活スタイルも、もしそれが迷惑をかけるようなことでなければ悪くない生き方だと思います。
5.セミリタイヤと脱サラ起業の違い
セミリタイヤと精神的に似ているのが脱サラ起業するパターンです。両方ともビジネスをするという行動も変わりません。ただ仕事に対する考え方が違います。
脱サラ起業では、そこから得られる収入で生活する「生業」としての行動が必要です。そのためにはお客様第一でビジネスを考えなければなりません。そうしないと売上がなかなか伸びないから、自分の想像とお客様のニーズが違った場合には、お客様のニーズを優先させなければならないでしょう。お店や工房の運営もお客様あってのスタイルになるはずです。夜間や休日にニーズが高いと分かれば、仕事が辛くてもそれに合わせてビジネススタイルを変化させないと売上が伸びません。つまり起業するときには、常にお客様を意識したビジネススタイルにならざるを得ないわけです。
一方、セミリタイヤメントの場合は自分の生活がなにより優先です。強いストレスで自分の仕事を辞めたくなるようではいけません。もしそのような状況になったら、ビジネスを自分に合うように変えなければなりません。仕事をしていても楽しくてしかたがなく、朝から晩までぶっ続けでやるような事であっても、勝手に体と頭が動いてしまうような仕事の対象を求めなくてはなりません。