片想い

 峰岸は柏木のしらけた顔をじっと見つめた。「あれってなによ?」峰岸は絶望的な顔をした柏木に尋ねた。「いや、やっぱり、話すのは、やめた、話しても、うん、と言ってくれないと思うから。もう帰ろうか?」柏木は椅子を少し後ろに引いた。峰岸は柏木の態度にムカついた。「なによ、言いなさいよ。言いたいことがあるんだろ」峰岸は大きな声を出していた。周りのお客が一瞬二人に顔を向けた。

 

 一瞬固まった柏木は目を閉じた。ゆっくりと目を開けると気まずそうな顔で話し始めた。「あまり気にしないでね、昨日、ちょっと考えたんだけどね、三島君って、いったん決めたことは変えないと思うの。たとえ、渡辺は頼りないから、三島君に副会長になってほしいと言っても。そうよね、無理よね、突然、ひらめいたんだけど、勝負に負けたら、副会長を引き受けてくれるんじゃないかと・・」柏木は峰岸をじっと見つめた。

 

 峰岸は勝負と聞いてもいったい何を言っているのかさっぱりわからなかった。「三島君が誰とどんな勝負をするのよ?」峰岸は柏木を問い詰めるように強い口調で言った。「あ~、ちょっと言いにくいんだけど、怒らないでよ。三島君と峰岸は剣道部よね、三島君は男子部の部長よね、峰岸は女子部の部長よね。三島君と対等に話ができるのは峰岸しかいないのね。そこで、相談なんだけど、副会長をかけて、峰岸に三島君と勝負してほしいの。もう、これしかないと思うの」柏木は話し終えるとうつむいてしまった。

 峰岸はあまりにも無謀な相談に唖然としたが、はっきりと返事した。「無駄ね、たとえ勝負しても、まったく勝ち目はないから。何度か稽古の相手をしてもらったことがあるけど、いまだかつて、一本も取ったことがないんだから。強いってもんじゃないのよ。まったく歯が立たないの。一本とるのも、無理、無理」峰岸は勝負にならないことをはっきり伝えた。柏木は峰岸が三島に勝てるとは思っていなかった。そこで、雲泥の差の実力を考えて、勝負の方法を提案した。

 

 「峰岸の言っていることは、もっともだよ。三島君は九州ナンバーワンなんだから。だから、三島君に五本勝負を挑むの、もし、一本でも取れたら、峰岸の勝ちと言うのはどう?」柏木は大きく目を開き、少し前かがみになって話した。峰岸はあきれた顔で返事した。「柏木は剣道のことがよくわかってないみたいね。無理なのよ。今の実力じゃ、一本も取れっこないのよ。残念だけど、勝負は無駄ね」峰岸も力になりたいとは思ったが、事実を言う以外になかった。

 

 柏木は肩を落としうつむいてしまった。「絶対にダメ、奇跡を信じても、ダメ」柏木は小さな声でぼそりと言った。一瞬、峰岸に鳥肌が立った。峰岸の脳裏に寂しそうな渡辺の顔が浮かんだ。峰岸はしばらく黙っていたが、渡辺のために勝負する決意をした。「よし、奇跡を信じるか!負けるとわかっていても、渡辺のためだ、でも、果たして、三島君がこんな勝負に乗ってくれるかだよ、柏木」峰岸には自分たちの考えがこっけいに思えた。

 

 柏木もクスクス笑いながら話を続けた。「それなんだけど、三島君って、剣道に関しては、すごくプライドが高いじゃない。きっと、峰岸に一本でも取られることはないと思うのね。だからこそ、この勝負、乗ってくると思うのよ。絶対乗ってくるよ、峰岸」柏木は自信にあふれた笑顔で峰岸をせきたてた。「う~、言われると、そんな気がしてきたよ。三島君はかなり、気が強いからね。よし、いざ出陣と行くか」峰岸は右手に握りこぶしを作った。

 

 

病んだ心

 

 3月14日(木)卒業式は無事に終わり、職員室で3年エリートクラス担任の安倍先生は、愛読書の「剣の道」を開いて読んでいた。渡辺が不登校になってからは安倍先生の心はうつになってしまった。去年から彼の心は病んでいたが、なぜここまで心が沈んでしまったか理解できなかった。家庭科の先生であり、自宅で茶道を教えている和服姿の新島先生が静かにドアを開けて入ってきた。

 

 新島先生は安倍先生の隣に腰掛けると声をかけた。「先生、最近、元気がないですね。どこか具合でも悪いんですか?」暗く無口になった安倍先生は一人孤立していた。「いえ、特にこれと言った病気ではないんですが、どうも、やる気がおきないんですよ。困ったものです。元気が出る薬はありませんか?」安倍先生は笑顔でぼやいた。「そう、お茶を一服されてはいかがですか?」新島先生はお点前を勧めた。

 「お茶ですか、一度も経験がありません。でも、一度は飲んでみたいと思っていました。お邪魔してもよろしいですか?」安倍先生は病んだ心をじっと見つめたかった。「ぜひ、いらしてください」早速、新島先生は南風台の自宅に案内した。南風台はセレブ街で高級住宅が立ち並んでいた。トヨタマークXに乗った安倍先生は新島先生のアウディーTTクーペの後について行くと、豪華な洋風住宅が立ち並ぶ中、広い庭を構えた平安朝を思わせる静かなたたずまいの瓦葺の新島邸に到着した。

 

 新島先生はM銀行頭取のご令嬢とうわさされていたが、自宅を見て納得した。彼女は28歳の独身で、花婿募集中であったが、父親が勧めた数回のお見合いを断り、いまだ独身であった。新島先生は安倍先生がもし独身ならばプロポーズしたいと思うほどの美人であった。リビングに案内され、少し待たされると白髪の恰幅のいい紳士が現れた。彼女の父親であった。「よく、お越しいただきました、矢重の父親です。いつも、お世話になっております」紳士は軽く頭を下げた。

 

 母屋の東に石畳でつながっている茶室に案内された安倍先生は異次元の小宇宙に迷い込んだような不安感に陥った。「何か、場違いなところにやってきたみたいで、落ち着きません。うまく、お茶が飲めるか、心配です」安倍先生は始めての茶室に動揺してしまった。「緊張しないでください、茶道には一定の作法がありますが、先生は気にしないでください。お茶をいただき、心を癒すつもりで、リラックスしてください」新島先生はお茶の楽しみ方を教えることにした。

 

春日信彦
作家:春日信彦
片想い
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