片想い

 「豊臣秀吉に使えた茶聖千利休をご存知でしょう、茶聖は茶道とは自由と個性だとおっしゃられています。きっと、お茶をたしなむことによって、心を開放し、自分の個性を見つめなさいとおっしゃっておられるんだと思います。先生も、今は心を開放し、お茶の宇宙を楽しんでみてください。何か、感じることがあれば自由におっしゃってください」新島先生はお茶の本質を知ってもらいたかった。

 

 静かにお茶を点てる新島先生は光り輝くオーラに包まれた天女のように思えた。正座した安倍先生はお茶を左手に乗せ、右手で二回時計回りに回転させると、お茶を三回で飲み干した。新島先生に言われた作法でお茶をいただくと静かに目を閉じた。安倍先生は突然話し始めた。「私の剣は穢れています。人を守るために剣の道に入りました。でも、今の私の剣は人殺しの剣になってしまいました。どうしていいかわかりません」安倍先生はじっと固まったように身動きひとつしなかった。

 

 新島先生は安倍先生の心の病の深刻さを即座に感じ取った。「剣道のことはわかりません。でも、茶道も剣道も極めるものは、愛ではないでしょうか?茶聖は愛を貫くために自害したのだと思います。人にとって最も大切なものは“権力”ではなく“愛”だとおっしゃっているんだと思います。私はまだまだ未熟者ですが、権力に負けない愛を持ちたいと願っています」新島先生は心の底に秘めた思いを打ち明けた。

 安倍先生は静かに目を開けた。「そうです。武道とは権力を手に入れるためのものではないのです。むしろ、権力と戦うためのものです」安倍先生は新島先生に深くお辞儀をすると学校に戻った。学校に戻った安倍先生は体育館北側にある武道館に向かった。武道館の部室に到着すると稽古を終えた三島が着替えていた。三島を見つけた安倍先生は、三島にお願いをすることにした。

 

 「三島、話があるんだ。ちょっと聞いてくれ。副会長のことなんだが、思い直してやってくれないか。渡辺一人じゃ、生徒会は無理だ。三島、助けてやってくれないか。どうだ

」渡辺を登校させるにはこれしかないと考えていた。「先生、一度決めたことを変える気はありません。副会長は佐藤に頼んでください」着替えた三島は部室のドアを開けようとした。「待て、わかった。悪かったな。晋太郎どうだ。びしびし鍛えてやってくれ。手加減はいらんぞ」晋太郎は安倍先生の子供で、剣道部に所属していた。

 

 三島は返事しなかった。後ろも振り向かず静かにドアを開け出て行った。三島が部室から去る姿を見ていた峰岸は三島の姿が消えるのを確認して、男子部の部室のドアをノックした。安倍監督は大きな声で返事した。「入っていいぞ」安倍監督は稽古するつもりだったが、体がだるくて帰ることにした。立ち上がりドアに向かっていくと、ゆっくりドアが開き峰岸の緊張した顔が現れた。

 「峰岸じゃないか、今頃、何のようだ?」女子部員はすでに帰っている時間であった。峰岸は中に入ると臭いにおいに鼻をつまんだ。「男子の部室は臭いですね、ちょっといいですか、監督、相談があるんです」峰岸は安倍先生の前に立ちはだかった。「いったいなんだ、もう遅いから、相談なら、明日にしてくれ」安倍先生は峰岸の右肩をポンとたたいた。峰岸は立ち退こうとしなかった

 

 「先生、今じゃないと、困るんです、とにかく、話を聞いてください、お願いします」峰岸は両手を合わせた。安倍先生は顔をゆがめると奥の長椅子に向かった。「いったいなんだ、手短に頼むぞ」安倍先生は椅子に腰掛、峰岸は正面に立った。「三島は強いです。何度、対戦しても、一度も一本取ったことがありません。明日、練習試合をします、とにかく一本取りたいんです。どうすれば一本取れますか?」峰岸はつばを飛ばしながら、真っ赤な顔で話した。

 

 安倍監督はあっけにとられた表情で返事した。「落ち着け、そうあせるな、いずれ一本取れるときがくる。三島以上に稽古に励め」安倍監督は峰岸の短気をなだめた。「明日、一本とりたいんです。とにかく、何か秘策はないですか?」峰岸は両手を合わせて頭を下げた。安倍監督はあきれた顔で答えた。「今の実力じゃ、一本は取れん。剣道にはまぐれも奇跡もない。毎日、地道に稽古したものが強くなる。無茶なことは言わず、地道に稽古に励むことだ。いいな」安倍監督はかっとなった峰岸を落ち着かせながら、諭した。

 

 「確かに、剣道にはまぐれや奇跡はないのはわかっています。でも、明日、どうしても一本とりたいんです。何か、アドバイスください」峰岸は土下座してお願いした。「峰岸、どうしたんだ、今、一本取れなくても、きっと取れるようになる。馬鹿な真似はよせ。帰るぞ」安倍監督は立ち上がると右足を一歩踏み出した。「待ってください」峰岸は左足にしがみついた。「峰岸、馬鹿な真似はよせ、はなさんか」安倍監督は怒鳴った。

 

 「教えてくれるまで放しません、お願いです」峰岸は全力でしがみついた。「わかった、とにかく、脚を離せ」安倍監督は峰岸を起こすと椅子に腰掛けた。「困ったもんだ。そうだな~、可能性があるとすれば、鍔ぜり合いから、引き胴ってぐらいかな。奇跡に近いけどな。思いつくのはこれくらいだ。これでいいだろ~、峰岸」あきれた顔で答えた。「5本勝負をやるんです。一本とれば勝ちなんです。他に、ありませんか?」峰岸は両手に握りこぶしを作っていた。

 

 「三島は手足が長く、足さばきはピカ一だ。まともな間合いでは一本を取ることは不可能だ。鍔迫り合いからの引き技しかないだろうな。三島はメンとコテが決め技だから、それに耐えて、鍔ぜり合いにもって行け、後は、神頼みだな」安倍監督は思いついたことを言った。早くこの場から去りたかった。「わかりました、引き技にかけてみます。ありがとうございました」峰岸は深く頭を下げた。ほっとした安倍監督は恐る恐る立ち去った。額には汗が流れていた。

春日信彦
作家:春日信彦
片想い
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