片想い

 「確かに、剣道にはまぐれや奇跡はないのはわかっています。でも、明日、どうしても一本とりたいんです。何か、アドバイスください」峰岸は土下座してお願いした。「峰岸、どうしたんだ、今、一本取れなくても、きっと取れるようになる。馬鹿な真似はよせ。帰るぞ」安倍監督は立ち上がると右足を一歩踏み出した。「待ってください」峰岸は左足にしがみついた。「峰岸、馬鹿な真似はよせ、はなさんか」安倍監督は怒鳴った。

 

 「教えてくれるまで放しません、お願いです」峰岸は全力でしがみついた。「わかった、とにかく、脚を離せ」安倍監督は峰岸を起こすと椅子に腰掛けた。「困ったもんだ。そうだな~、可能性があるとすれば、鍔ぜり合いから、引き胴ってぐらいかな。奇跡に近いけどな。思いつくのはこれくらいだ。これでいいだろ~、峰岸」あきれた顔で答えた。「5本勝負をやるんです。一本とれば勝ちなんです。他に、ありませんか?」峰岸は両手に握りこぶしを作っていた。

 

 「三島は手足が長く、足さばきはピカ一だ。まともな間合いでは一本を取ることは不可能だ。鍔迫り合いからの引き技しかないだろうな。三島はメンとコテが決め技だから、それに耐えて、鍔ぜり合いにもって行け、後は、神頼みだな」安倍監督は思いついたことを言った。早くこの場から去りたかった。「わかりました、引き技にかけてみます。ありがとうございました」峰岸は深く頭を下げた。ほっとした安倍監督は恐る恐る立ち去った。額には汗が流れていた。

父への手紙

 

 3月15日(金)の朝、中学生の自殺のニュースが流れた。自殺したのは糸島中学1年生、安倍晋太郎君であった。自宅マンションのベランダから飛び降りたと推定された。ベランダには晋太郎君のスリッパがそろえてあった。このニュースが一気に全校生徒に伝わりパニックを起こした。安倍先生は気がおかしくなり、病院に運ばれていた。自殺の原因ははっきりしなかった。彼は秀才で剣道部に所属しており、模範的な学生であった。

 

 昼休みに、峰岸と柏木は新聞部部室の片隅で自殺のニュースの話に夢中になっていた。晋太郎をよく知っていた峰岸は自殺を不審がっていた。「どうして、自殺したんだろう。いじめじゃないと思うよ」晋太郎は優しい性格であったが、いじめられるタイプではなかった。クラス委員長で生徒会の執行部役員もかねていた。正義感が強く、はきはきと意見を言う生徒だった。いじめは、ほぼ考えられなかった。

 

 柏木は晋太郎のことはまったく知らなかった。「本当に自殺だったら、いったい何が原因だろうね。いじめじゃなかったら、いったい何よ?」新聞部副部長として、柏木は意外な生徒が自殺したことに興味があった。「わかるわけ、ないじゃない。お父さんともめたのかも?」峰岸は親とのいざこざが原因ではないかと考えていた。柏木は上目使いで考えていた。「いじめじゃなかったら、家庭の問題としか考えられないね」柏木も親子のいざこざを考えた。

 部室のドアのノックの音がすると三島が入ってきた。柏木は朝のホームルームの前に、三島に声をかけていた。憮然とした顔の三島は何か尋問されると思い不機嫌であった。「よう、晋太郎のことだろう、俺は何も知らん。はっきり言っとくが、俺はいじめたりなんかしてないからな」三島は疑われていることを感じ、二人にいじめてないことを断言した。「三島君がいじめたりなんかしないことぐらい、わかっているわよ。ただ、最近、晋太郎君に変わったこととか、気づいたこととか、思い当たること、なかった?」柏木は三島が晋太郎の異変を最も知っていると考えた。

 

 三島はしばらく黙っていたが、思い出すように話し始めた。「そうだな~、ちょっと気になっていたんだが、生徒会長の選挙が終わったあたりから、あいつ、急に気合がなくなったと言うか、元気がなくなったように感じたな。何か、俺を避けているようにも思えたな。考えすぎかもしれないけど」三島は晋太郎の態度の異変を話した。「それって、練習の話?」柏木は確認した。「ああ、稽古のときは、おれに勝ってやろうという、気迫というか、気合があったんだけど、最近、どうも、弱弱しくて、具合でも悪いのかなと思っていたんだ。やはり、何か心配事があったんだな」三島は最近の晋太郎の沈んだ態度を思い出していた。

 

 柏木と峰岸は三島の話から選挙のことがかかわっているんじゃないかと考えた。しかし、選挙と晋太郎がどのように関わりあっているかは皆目検討がつかなかった。「やはり、家庭のことで何か心配事があったのね。誰にも相談できずに、苦しんで、飛び降りたのね」柏木は三島が自殺にかかわっていないことをはっきりさせた。「あ、もう時間」柏木は立ち上がった。三人は急いで部室を飛び出した。

 放課後、武道館では部員が見守る中、三島と峰岸が向かいあっていた。5本勝負が開始されていた。峰岸はいつも以上の気勢を挙げ、間合いを取りながら前後に動いていた。峰岸は引き技を意識していたが、いざ、試合になると、鍔迫り合いになるまでにメン、コテを決められてしまっていた。立て続けに、メン、メン、コテ、と取られてしまった。峰岸は、間合いをつめることに恐怖を感じ始めた。

 

 峰岸の頭は真っ白になってきた。まったく、どうしていいかわからなくなっていた。間合いをつめなければ、鍔迫り合いに持ち込めない。かといって、間合いをつめると、三島のメンの間合いに入ってしまう。渡辺のことを思うと、峰岸は涙が出てきた。とにかく、メンをかわして、体当たりする以外に方法はないと考えた。峰岸は気勢とともに体当たりに出た。三島は峰岸の戦法を読んでいた。

 

 三島はメンを打つふりをして、鍔迫り合いに持っていった。峰岸はうまくいったと思ったが、三島の上から押さえつける力はハンパなかった。峰岸が一瞬ひるんだ瞬間、三島の引きメンを食らってしまった。メンが決まった瞬間、呆然とした峰岸は竹刀を落としてしまった。峰岸は自分がやろうと思った引き技を三島に決められて、戦闘意欲を失ってしまった。「どうした、峰岸、あと、一本だぞ」三島は峰岸を奮い立たせた。

春日信彦
作家:春日信彦
片想い
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