天道虫

  仕事は朝刊と夕刊の配達、それに新聞代金の集金もある、決して楽な仕事ではなかった。

朝2時に同僚に叩き起こされる、同僚といっても50を過ぎたオッサンだ、それから朝刊をバイク

配達する、販売店では配達が終わった者から順番に朝食にありつける。

その後仮眠を取り、午後3時には夕刊の配達、6時には概ね終わるが、月末は集金業務が重な

る、辛いのは休みが少ない、そんな仕事を始めて一ヶ月が経った、初月給の日だ。

同僚のオッサン達に、歓迎会だと歌舞伎町に誘われた、大衆居酒屋でしこたま飲まされ、フラフ

になった、俺を未成年だと認識しているのか、我慢しきれずトイレで嘔吐。

明日は、月一回の新聞休刊日だから、朝まで飲むとばかりに、次の店また次の店と梯子する。

 泥酔状態のケンジは、思わず固唾を飲んだ、キャバクラM・・えっ・・まさか・・一気に酔いが醒

めた。「おい、ケンジ、隅に置けねえなぁ、来たことあんのか、この店?

「あるわけないじゃん、もう帰ろうよ

「よし、俺の奢りだ、綺麗な姉ちゃん、一杯いるぞ」

「いいよ・・ヤダヨ・・帰ろう」

「何照れてんだよ、チェリーボーイか!」

薄暗い照明に、香水や煙草の入り混じった独特の匂いがする、胸がムカムカしてくる。

「お客様、御指名はございますか?」

「誰でもいいから、可愛い娘呼んで」

「かしこまりました」

暫くすると、煌びやかなドレスを着込んだ二人のホステスがやって来た。

「はじめまして・・ジュンです、ワタシはマイです、宜しくね」

「へえ、可愛いねえ、あのさ、コイツ、ケンジって言うんだけど、チェリーボーイなんだ、よしよしっ

てしてやって!」

「キャー、カワイイ」

ふと、ケンジは酔いながらも、背中に視線を感じ、振り向いた。

しかし、酔っ払った客とホステスが下世話なトークで盛り上がっているだけだった。

ケンジは、尿意を覚えトイレに向かう細い通路に向かった、すると背後からカツン、カツンとハイヒ

ールの足音が近づいてくる。

 

 

 「ワタシ・・憶えてる?」

「・・・・・」

静だった・・忘れもしない近藤の女・・俺が復習鬼と化した、あの現場にいた女。

「あれから引越ししたの・・気持ち悪いでしょ」

「・・・・・」

「ねぇ、もうすぐ閉店だから・・ちょっと付き合って、12時半頃、裏の出口で待ってるから・・」

 唯一の目撃者に、こんな所で遭遇するとは・・金目当てに強請ろうってことか?

ヤクザの連中に売り渡されるのか・・一気に酔いが醒めてしまった。

 

 同僚のオッサンに実家に帰ると言い訳し、途中で別れた。

キャバクラの従業員用出入り口に着いたのが12時40分を過ぎたところだった。

店でのドレス姿とは雰囲気がガラリと変わって、Tシャツにデニムのラフな姿で、静は煙草を吹か

ていた。

「遅かったじゃない・・来ないと思ったわ・・」

 

 今年、某私立大学を卒業したものの、就職氷河期で敢え無く浪人となった。

静は店での源氏名で本名は西野 智という、22歳だ。

在学中から、割のいいキャバクラでバイトをしていた智は、運悪く常連の近藤に目を付けられ、し

つこく追い回された。

或る日、バイトの帰りに待ち伏せされ、半ば強制的に車に押し込まれた、ラブホテルに連れ込ま

れ、そこで覚せい剤を打たれてしまう、一晩中オモチャにされたのである。

薬物中毒になった智は、クスリ欲しさと、逃げたら殺されるという恐怖で、仕方なく近藤に従順

したのだ。

俗にいうヤク中の身体は、22歳という初々しさなく、痩せこけ、生気を失っていた。

近藤がいなくなって、薬物の入手経路が断たれたせいで、禁断症状が日増しに強くなっていた。

やがて幻覚を見るようになり、ついに我慢できなくなる、近藤の若衆だった男に身体を許し、

見返りにクスリを貰うようになった。

そんな生活に、嫌気が差し始めた頃、偶然にもケンジに遭遇した。

 

 

 「私の部屋で飲み直さない?すぐ近くなの」

「・・・」

「大丈夫よ、襲ったりしないから・・・」

「・・・・・」

タクシーを拾い、5分も経たないうちに、智のマンションに着いたようだ。

三階建てのデザイナーマンションというのか、洒落た造りになっている。

部屋は女性らしさは微塵も感じられない、ただ寝る為だけの空間のようだ。

「座って・・ウィスキーでいい?」

「・・・」

「ワタシね・・トモっていうの・・本名・・」

そう言いながら、高そうなシングルモルトとアイスセットを持ってきた。

グラスにロックアイスを入れ、ウィスキーを並々と注いだ。

「どうぞ・・毒なんて入ってないわよ・・」

ケンジは、一気に煽った、喉が焼けそうに熱い。

「強いのね・・・」

煙草に火を点け、深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐きながら、トモの顔を見る。

明るい照明の下で見るトモの顔は、化粧をしていても酷くやつれていた。

グラスを持つトモの右手が、小刻みに震えている。

「ちょっとゴメン・・・」

トモは、バックからケースのような物を取り出し、急いでキッチンへ向かった。

只ならぬ様子に驚いたケンジは、物陰から様子を窺った。

白い粉を溶かし、注射器に入れ、まるで医者が予防接種でも打つように、平然と手馴れた様子で

腕に針を刺した。

直後にブルブルっと振るえ、恍惚の表情を浮かべた。

リビングに戻ったトモは、何事も無かったように、ウィスキーを一気に煽った。

「アンタなら・・助けてくれると思ったんだぁ・・・」

「・・・」

「彼女の為・・だったんでしょ?」

「・・・・」

「アンタの彼女が羨ましい・・それだけ想われたら幸せだよね・・・」

「ワタシね・・こう見えても、まだ22歳なんだぁ、ピチピチだよ・・アンタ・・いくつ?」

「17・・・」

「やっと喋ったね、まだガキじゃん!」

「うるせえよ」

「ゴメン、ゴメン・・新聞とかテレビじゃ、内縁の妻だの、極妻だのって、好き勝手に言ってるけど

、そんなんじゃ・・ないんだぁ」

トモは、ケンジに近藤にされた惨い仕打ちを涙ながらに語った。

 

 

 

「あの日のことは、誰にも言ってないの・・警察にはヤクザ風の男だったって、ただね、山下って

オッサン、ボコボコにしたのもアンタでしょ?組の連中が同一人物じゃないかって、必死に探して

るわ・・・」

「ふうん・・」

「怖くないの?ヤクザだよ・・」

恐怖を感じた事は無い、あんな悪魔のような所業だって、俺には無意識の仕業だった、ただ、メ

を死に追いやった憎しみが、狂気に変わり、悪魔と化した。

平凡だった・・・ギターを弾くことしか脳のないありふれたガキが、まるで別世界に足を突っ込み荒

でしまった、17歳にして殺人犯か・・殺されても構わないと思った。

 

 カーテンの隙間から、朝陽が差込み、眠っていたケンジを現実に引き戻した。

ここは静、いやトモのマンション、フローリングに直に横たわっていた俺に、毛布が掛けられてい

た。

ガラステーブルの上に、メモが置いてある。

=クスリ無くなっちゃった、帰るまで待ってて=

またヤクザに身体を売るのか、正気の沙汰じゃない、俺はとんでもない泥沼にはまってしまうの

だろうか。

 トモの部屋を飛び出すと、朝陽が眩しく立ち眩みがした、二日酔いもあるのだろう、頭が割れそ

うに痛い。

近くに公園があった、水道の水を頭から被ったが、まだフラフラする。

ケンジは、取りあえず新聞販売店の寮に戻り、数少ない私物をナップザックに詰め、SR400に

跨った、もうここに戻るつもりは無い。

財布の中身を確認すると、手付かずの20万が入っている、昨日あれだけ梯子したのに、・・・・

オッサンが払ってくれたのか?有り難い。

 セルフのガソリンスタンドで給油し、朝からやっている立ち食い蕎麦屋に入った、ここのかき揚

げそばは絶品だったが、まだ頭痛は続いている。

 

 

エンジェル
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