天道虫

 「私の部屋で飲み直さない?すぐ近くなの」

「・・・」

「大丈夫よ、襲ったりしないから・・・」

「・・・・・」

タクシーを拾い、5分も経たないうちに、智のマンションに着いたようだ。

三階建てのデザイナーマンションというのか、洒落た造りになっている。

部屋は女性らしさは微塵も感じられない、ただ寝る為だけの空間のようだ。

「座って・・ウィスキーでいい?」

「・・・」

「ワタシね・・トモっていうの・・本名・・」

そう言いながら、高そうなシングルモルトとアイスセットを持ってきた。

グラスにロックアイスを入れ、ウィスキーを並々と注いだ。

「どうぞ・・毒なんて入ってないわよ・・」

ケンジは、一気に煽った、喉が焼けそうに熱い。

「強いのね・・・」

煙草に火を点け、深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐きながら、トモの顔を見る。

明るい照明の下で見るトモの顔は、化粧をしていても酷くやつれていた。

グラスを持つトモの右手が、小刻みに震えている。

「ちょっとゴメン・・・」

トモは、バックからケースのような物を取り出し、急いでキッチンへ向かった。

只ならぬ様子に驚いたケンジは、物陰から様子を窺った。

白い粉を溶かし、注射器に入れ、まるで医者が予防接種でも打つように、平然と手馴れた様子で

腕に針を刺した。

直後にブルブルっと振るえ、恍惚の表情を浮かべた。

リビングに戻ったトモは、何事も無かったように、ウィスキーを一気に煽った。

「アンタなら・・助けてくれると思ったんだぁ・・・」

「・・・」

「彼女の為・・だったんでしょ?」

「・・・・」

「アンタの彼女が羨ましい・・それだけ想われたら幸せだよね・・・」

「ワタシね・・こう見えても、まだ22歳なんだぁ、ピチピチだよ・・アンタ・・いくつ?」

「17・・・」

「やっと喋ったね、まだガキじゃん!」

「うるせえよ」

「ゴメン、ゴメン・・新聞とかテレビじゃ、内縁の妻だの、極妻だのって、好き勝手に言ってるけど

、そんなんじゃ・・ないんだぁ」

トモは、ケンジに近藤にされた惨い仕打ちを涙ながらに語った。

 

 

 

「あの日のことは、誰にも言ってないの・・警察にはヤクザ風の男だったって、ただね、山下って

オッサン、ボコボコにしたのもアンタでしょ?組の連中が同一人物じゃないかって、必死に探して

るわ・・・」

「ふうん・・」

「怖くないの?ヤクザだよ・・」

恐怖を感じた事は無い、あんな悪魔のような所業だって、俺には無意識の仕業だった、ただ、メ

を死に追いやった憎しみが、狂気に変わり、悪魔と化した。

平凡だった・・・ギターを弾くことしか脳のないありふれたガキが、まるで別世界に足を突っ込み荒

でしまった、17歳にして殺人犯か・・殺されても構わないと思った。

 

 カーテンの隙間から、朝陽が差込み、眠っていたケンジを現実に引き戻した。

ここは静、いやトモのマンション、フローリングに直に横たわっていた俺に、毛布が掛けられてい

た。

ガラステーブルの上に、メモが置いてある。

=クスリ無くなっちゃった、帰るまで待ってて=

またヤクザに身体を売るのか、正気の沙汰じゃない、俺はとんでもない泥沼にはまってしまうの

だろうか。

 トモの部屋を飛び出すと、朝陽が眩しく立ち眩みがした、二日酔いもあるのだろう、頭が割れそ

うに痛い。

近くに公園があった、水道の水を頭から被ったが、まだフラフラする。

ケンジは、取りあえず新聞販売店の寮に戻り、数少ない私物をナップザックに詰め、SR400に

跨った、もうここに戻るつもりは無い。

財布の中身を確認すると、手付かずの20万が入っている、昨日あれだけ梯子したのに、・・・・

オッサンが払ってくれたのか?有り難い。

 セルフのガソリンスタンドで給油し、朝からやっている立ち食い蕎麦屋に入った、ここのかき揚

げそばは絶品だったが、まだ頭痛は続いている。

 

 

 ケンジは、荒みきったトモのマンションに戻ろうとしていた、自分でも何をしようとしているのか分

らない、無意識の行動だった。

マンションの鍵は開いたままだ、そっと開けると人の気配がする、澱んだ空気が漂う。

ソファにもたれて恍惚の表情を浮かべ、ケンジの存在すら気付いていない。

テーブルの上には、注射器と薬が入った袋が、無造作に置かれている、たった今打ったばかり

だろう。

「いい加減にしろよ・・死ぬよ・・」

「あぁ、もう来ないのかと思った・・・」

「そのつもりだった・・・何となく気になってね」

「ワタシなんかに関わると、ろくなことないよ」

「助けてくれって言ったの、自分だろ」

「なんだぁ、本気にしちゃった?こんな泥沼の生活・・抜け出せるわけないじゃん」

「・・・・」

「名前・・聞いてなかった・・・」

「ケンジ・・」

「ケンジ・・・いい名前だね」

「なぁ、クスリ・・止められないか?」

「いまさら無理・・クスリなかったら、気が狂っちゃう・・クスリの為だったら、どんなに嫌な男にだっ

て抱かれるわ・・」

「前にテレビで見たけど、専門の病院があるよ」

「無理だって・・幻覚見るんだよ、あの壁の穴から・・誰かが覗いて・・ワタシを殺そうとしている、

クスリが切れたらこんな幻覚を見るの・・」

「ホントにこのままじゃ、死んじゃうよ」

「・・・」

「勇気出せよ・・俺も付き合ってやるから」

「・・・・」

「何処か・・そうだ、何処か遠くに逃げよう、荒んだ生活から抜け出そうよ」

「・・・」

「殺人犯とヤク中だぜ、いいコンビだと思わない?」

「・・本気なの?」

「あぁ、本気だよ・・アンタ、えっと・・トモだっけ・・いくら持ってる?俺20万・・」

「ワタシ、銀行に100万位・・あと・・時計とか貴金属・・換金すれば結構あるかも・・」

「金持ちじゃん・・よし・・その代わり、クスリは止めるって、約束してくれ・・」

「信じていいの?」

「ああ、殺人犯は嘘言わない!」

「フフっ、分かった・・絶対止める」

久し振りに笑ったような・・・トモも同様に感じていたはず。

 

 

  昼下がりの新宿を、トモを乗せてSR400で流した。

ブランド品の買い取り専門店で、トモの所有する貴金属や時計を換金すると82万位になった。

二人で合わせて200万にはなる、これを元手に何処か遠い街で、二人の過去を消し去り、新し

人生を始めようと、二人は誓った。

 何となく西へ向かうことになった二人は、東名高速道を飛ばしていた。

ケンジのバイクの少し後方から、パールホワイトのクラウンが、着かず離れず尾行していた。

無論、二人は知る由もない、新宿でトモのバイク用ヘルメットを購入し、店外に出たところを近藤

若衆だった小島という男に、偶然見られたしまったのだ、そいつはトモにクスリと引き換えに身

体を弄んだ男だった、性格は蛇のように執拗で、あの近藤さえも持て余した位のワルだった。

その小島は、トモを風俗へ売り飛ばす算段を組んでいた、みすみす金のなる木を逃すはずはな

い。

 陽が沈みかけた頃、トモの様子がおかしいことに気付き、ケンジは御殿場で高速を降り、近くの

ラブホテルに入った、目障りなくらいにネオンが犇いている。

「大丈夫か?」

身体が小刻みに震えている、顔色も悪い、禁断症状だろうか。

「何か飲む?」

「暖かいのがいいな」

ケンジは、部屋の入り口にインスタントコーヒーがあるのに気付き、ミルクを二人分入れて、砂糖

たっぷりのコーヒーをトモに渡した。

「アリガト・・暖かい・・」

「熱い風呂に入って、一杯汗出したらどうかな?今お湯入れてくるよ」

風呂から出たトモは、憔悴しきっていた、バスローブのままベットに横になり、いつの間にか眠り

についた。

ホテルの外には、アイドリング状態の白いクラウンが、不気味な白い排気ガスを噴出していた。

 

 時計の針は深夜の3時を指していた、ケンジはテレビの通販番組を見ている、クソ面白くもな

い・・チャンネルを変えようとしたとき、トモが寝返りを打った。

「ねえ、ケンジ・・」

「起しちゃった?」

「ううん・・何だか寒くて」

「暖房つける?」

「・・・・」

「酒でも飲む?」

ケンジは、備え付けの冷蔵庫からウィスキーのミニボトルを出し、グラスに氷を入れて、注いだ。

「はい、どうぞ・・」

「アリガト・・ケンジは優しいんだね」

「・・・」

「ねぇ、ケンジは何でワタシを抱かないの?魅力ない?男なんて皆そうじゃん・・」

「そんなガリガリで、痩せっぽちはゴメンだね・・身体治して、元気になったら、一杯ヤラせてもら

う・・なんて・・」

「・・・・・」

「もう少し寝なよ」

「うん・・」

 

 

 

エンジェル
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