天道虫

 ケンジは、荒みきったトモのマンションに戻ろうとしていた、自分でも何をしようとしているのか分

らない、無意識の行動だった。

マンションの鍵は開いたままだ、そっと開けると人の気配がする、澱んだ空気が漂う。

ソファにもたれて恍惚の表情を浮かべ、ケンジの存在すら気付いていない。

テーブルの上には、注射器と薬が入った袋が、無造作に置かれている、たった今打ったばかり

だろう。

「いい加減にしろよ・・死ぬよ・・」

「あぁ、もう来ないのかと思った・・・」

「そのつもりだった・・・何となく気になってね」

「ワタシなんかに関わると、ろくなことないよ」

「助けてくれって言ったの、自分だろ」

「なんだぁ、本気にしちゃった?こんな泥沼の生活・・抜け出せるわけないじゃん」

「・・・・」

「名前・・聞いてなかった・・・」

「ケンジ・・」

「ケンジ・・・いい名前だね」

「なぁ、クスリ・・止められないか?」

「いまさら無理・・クスリなかったら、気が狂っちゃう・・クスリの為だったら、どんなに嫌な男にだっ

て抱かれるわ・・」

「前にテレビで見たけど、専門の病院があるよ」

「無理だって・・幻覚見るんだよ、あの壁の穴から・・誰かが覗いて・・ワタシを殺そうとしている、

クスリが切れたらこんな幻覚を見るの・・」

「ホントにこのままじゃ、死んじゃうよ」

「・・・」

「勇気出せよ・・俺も付き合ってやるから」

「・・・・」

「何処か・・そうだ、何処か遠くに逃げよう、荒んだ生活から抜け出そうよ」

「・・・」

「殺人犯とヤク中だぜ、いいコンビだと思わない?」

「・・本気なの?」

「あぁ、本気だよ・・アンタ、えっと・・トモだっけ・・いくら持ってる?俺20万・・」

「ワタシ、銀行に100万位・・あと・・時計とか貴金属・・換金すれば結構あるかも・・」

「金持ちじゃん・・よし・・その代わり、クスリは止めるって、約束してくれ・・」

「信じていいの?」

「ああ、殺人犯は嘘言わない!」

「フフっ、分かった・・絶対止める」

久し振りに笑ったような・・・トモも同様に感じていたはず。

 

 

  昼下がりの新宿を、トモを乗せてSR400で流した。

ブランド品の買い取り専門店で、トモの所有する貴金属や時計を換金すると82万位になった。

二人で合わせて200万にはなる、これを元手に何処か遠い街で、二人の過去を消し去り、新し

人生を始めようと、二人は誓った。

 何となく西へ向かうことになった二人は、東名高速道を飛ばしていた。

ケンジのバイクの少し後方から、パールホワイトのクラウンが、着かず離れず尾行していた。

無論、二人は知る由もない、新宿でトモのバイク用ヘルメットを購入し、店外に出たところを近藤

若衆だった小島という男に、偶然見られたしまったのだ、そいつはトモにクスリと引き換えに身

体を弄んだ男だった、性格は蛇のように執拗で、あの近藤さえも持て余した位のワルだった。

その小島は、トモを風俗へ売り飛ばす算段を組んでいた、みすみす金のなる木を逃すはずはな

い。

 陽が沈みかけた頃、トモの様子がおかしいことに気付き、ケンジは御殿場で高速を降り、近くの

ラブホテルに入った、目障りなくらいにネオンが犇いている。

「大丈夫か?」

身体が小刻みに震えている、顔色も悪い、禁断症状だろうか。

「何か飲む?」

「暖かいのがいいな」

ケンジは、部屋の入り口にインスタントコーヒーがあるのに気付き、ミルクを二人分入れて、砂糖

たっぷりのコーヒーをトモに渡した。

「アリガト・・暖かい・・」

「熱い風呂に入って、一杯汗出したらどうかな?今お湯入れてくるよ」

風呂から出たトモは、憔悴しきっていた、バスローブのままベットに横になり、いつの間にか眠り

についた。

ホテルの外には、アイドリング状態の白いクラウンが、不気味な白い排気ガスを噴出していた。

 

 時計の針は深夜の3時を指していた、ケンジはテレビの通販番組を見ている、クソ面白くもな

い・・チャンネルを変えようとしたとき、トモが寝返りを打った。

「ねえ、ケンジ・・」

「起しちゃった?」

「ううん・・何だか寒くて」

「暖房つける?」

「・・・・」

「酒でも飲む?」

ケンジは、備え付けの冷蔵庫からウィスキーのミニボトルを出し、グラスに氷を入れて、注いだ。

「はい、どうぞ・・」

「アリガト・・ケンジは優しいんだね」

「・・・」

「ねぇ、ケンジは何でワタシを抱かないの?魅力ない?男なんて皆そうじゃん・・」

「そんなガリガリで、痩せっぽちはゴメンだね・・身体治して、元気になったら、一杯ヤラせてもら

う・・なんて・・」

「・・・・・」

「もう少し寝なよ」

「うん・・」

 

 

 

 空模様は曇天に近い、薄日は差しているものの、天気予報によると午後から雨らしい。

結局昨夜は一睡もできなかった、ラブホテルのモーニングサービスで、トーストと茹で卵、コーヒ

を飲んだ、トモは食欲が無いようで、ミネラルウォーターを飲んだだけだった。

 9時過ぎにホテルをチェックアウトし、御殿場インターから高速に乗った。

朝食を食べているとき、ケンジは行きたい場所はないかと、トモに訊ねた。

「昔ね・・小さいとき、両親と浜松に行ったことがあるの・・旅行はそれ一回きりだったけど・・楽し

った記憶があるの・・もう一度行ってみたいなぁ」

「浜松・・行ってみようか!」

 途中、トモの体調を考慮し、パーキングエリアに立ち寄ることにした。

トイレの前にSR400を停め、トモはトイレへ、ケンジは飲み物を買いに売店に行こうとしたとき、

ふと足元を見ると編み上げのライダーブーツの紐が解けているのに気付き、結び直そうとしゃが

んだ間、悲鳴が聞こえた。

「ヤメテヨ・・痛い、放して」

トモの声だ、急いでトイレに向かう、すると男がトモを引き摺り出そうとしている。

何処かで見た顔だ、あっ、アイツは確か近藤と一緒にいた奴だ、何でこんな所に?

「おいっ、何やってんだよ」

「うるせえ、ガキは引っ込んでろ」

ケンジは、いきなり殴りかかった、しかしヤクザ相手に敵う分けない、案の定鳩尾に蹴りを喰らい

蹲って倒れこんだ。

「ケンジ・・ヤメテ・・ケンジに手を出さないで・・お願い、一緒に行くから・・」

「このアマぁ、俺から逃げられるわけねえだろ、大人しく車に乗れ」

男はトモの手を引き、車へ向かった。

ケンジは、嘔吐しながらも、脇にある清掃道具入れの中から、金属製のモップを手に取った。

男の背後から近づき、思い切り頭に向かって振り下ろした。

ガツンと鈍い音が響き、男の頭部から血が滴り落ちる、もう一度振り下ろす、男の動きが止まり、

崩れ落ちるように倒れた。

「トモっ・・早く」

ケンジは男の車からエンジンキーを抜き、草むらに投げ込んだ、トモをバイクに乗せ、ホイルスピ

ンをさせながら、パーキングを飛び出した。

 蹴られた鳩尾が痛む、手には金属製のモップの感触がまだ残っている。

「大丈夫?ワタシのせい・・・」

「アイツ、近藤といつも一緒にいた奴だ・・」

「小島っていうの・・クスリ貰ってた奴・・」

「死んじゃったかな・・・」

「・・・・・」

「捕まったら死刑だな・・二人も殺っちゃた・・」

「ゴメン・・・」

 

 

 

 浜名湖沿いの有名温泉地のホテルは、平日だからか、飛び込みでも部屋は取れた。

部屋は、小奇麗な和室で、窓から浜名湖が一望できる、天気予報の通り小雨が降ってきた。

一見して病人のようなトモを見て、仲居はお茶を入れながら怪訝な表情を浮かべている。

なかなか席を立たない仲居に、そうか昔両親と温泉旅館に行ったとき、金を包んで渡していた

な、ケンジは、財布から3千円を出し、それを折りたたんで仲居に渡した。

すると別人のような笑顔を浮かべて、ごゆっくりと言いながら去っていった。

「あのオバサン、露骨過ぎない?でもケンジ、よく知ってるね?ビックリした」

「親の真似だよ・・でも笑っちゃうよな」

 トモはなんの躊躇もなく、ケンジの前で浴衣に着替え始めた。

「おい、少しは恥らえよ、一応、女だろ?」

「だって、挑発してるんだもん!」

「バカじゃねえの」

トモの裸身は可愛そうな位ひどく痩せていた、クスリの影響で食べる事も儘ならない、水分だけ

は異常なほど欲する。

「ワタシ、温泉は入ってくるね」

 ケンジは、トモの背中を見送りながら、あの小島という男の事を思い出していた。

何処から尾行ていたんだろう、俺の事は知らない筈だ、死んでないとすれば奴のことだ、また

追ってくるだろう、もっと遠くへ逃げた方がいいのだろうか、セブンスターに火を点けながら、浜名

湖を見下ろした。

 

 

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