天道虫

  場末のスナックが建ち並ぶその一角に、居酒屋‘正田‘がある。

暖簾を押し上げて中に入ると親父とお袋が、常連客と談笑している。

余りにも痩せこけた様子のケンジを見て、母親の優子はポカンと口を開けたまま、ジッとしてい

る。

「健治じゃないの?アンタ何やってたの、修理工場辞めたって効いたけど・・」

「ああ、色々あってさ、心配かけてゴメン」

「何か食べる?」

「うん!」

親父は何も言わず、親子丼を作ってくれた、美味かった、涙が出てきた、そんな俺を見て親父

が、コップにビールを注いでくれた。

「これ一杯だけだぞ、未成年だからな」

 

 翌朝、実家に戻ったケンジは、テレビを見ながらコーヒーを飲んでいると、お袋の好きなワイド

ショーが始まった。

「昨夜未明、新宿区のマンションで、広域暴力団組幹部、近藤誠二さん(54歳)が、内縁の妻の

所有する部屋から転落し死亡、遺体には複数の殺傷痕があり、警察は殺人事件と断定し、捜

査を始めた模様です、尚、現場にいた内縁の妻もロープで緊縛されていたらしく、詳しく事情を

聞いているとのことです」

テレビ画面には、いかにもしたり顔で、正論を吐きそうなレポーターが、事件現場を説明してい

る。

そいつの話によると、暴力団同士の争いではないかと、邪推している、何も知らないくせに、いい

加減な事をほざきやがって。

朝刊にも目を通したが、やはりヤクザの抗争が有力視されている、あの静っていうキャバ嬢、何

も話してないのか?

 

 高校中退で17歳のケンジには、割のいい仕事は見つからなかった。

求人雑誌を数冊買って、片っ端から電話してみるが、17歳という年齢が足を引っ張る。

半ば諦め掛けた時、新聞販売店の募集記事に目が留まった、年齢不問、要バイク免許、給与

20万円以上、寮食完備、ケンジは直に電話した。

 面接の日取りは決まったのだが、気がかりな事に場所は新宿だった。

新聞販売店の店長は、若さに期待したらしく、直に採用してくれた。

寮は、新宿の裏通り、木造二階建て安アパートで、風呂が無い、今時こんなアパートがあるのか

と感心した。

 

 

  仕事は朝刊と夕刊の配達、それに新聞代金の集金もある、決して楽な仕事ではなかった。

朝2時に同僚に叩き起こされる、同僚といっても50を過ぎたオッサンだ、それから朝刊をバイク

配達する、販売店では配達が終わった者から順番に朝食にありつける。

その後仮眠を取り、午後3時には夕刊の配達、6時には概ね終わるが、月末は集金業務が重な

る、辛いのは休みが少ない、そんな仕事を始めて一ヶ月が経った、初月給の日だ。

同僚のオッサン達に、歓迎会だと歌舞伎町に誘われた、大衆居酒屋でしこたま飲まされ、フラフ

になった、俺を未成年だと認識しているのか、我慢しきれずトイレで嘔吐。

明日は、月一回の新聞休刊日だから、朝まで飲むとばかりに、次の店また次の店と梯子する。

 泥酔状態のケンジは、思わず固唾を飲んだ、キャバクラM・・えっ・・まさか・・一気に酔いが醒

めた。「おい、ケンジ、隅に置けねえなぁ、来たことあんのか、この店?

「あるわけないじゃん、もう帰ろうよ

「よし、俺の奢りだ、綺麗な姉ちゃん、一杯いるぞ」

「いいよ・・ヤダヨ・・帰ろう」

「何照れてんだよ、チェリーボーイか!」

薄暗い照明に、香水や煙草の入り混じった独特の匂いがする、胸がムカムカしてくる。

「お客様、御指名はございますか?」

「誰でもいいから、可愛い娘呼んで」

「かしこまりました」

暫くすると、煌びやかなドレスを着込んだ二人のホステスがやって来た。

「はじめまして・・ジュンです、ワタシはマイです、宜しくね」

「へえ、可愛いねえ、あのさ、コイツ、ケンジって言うんだけど、チェリーボーイなんだ、よしよしっ

てしてやって!」

「キャー、カワイイ」

ふと、ケンジは酔いながらも、背中に視線を感じ、振り向いた。

しかし、酔っ払った客とホステスが下世話なトークで盛り上がっているだけだった。

ケンジは、尿意を覚えトイレに向かう細い通路に向かった、すると背後からカツン、カツンとハイヒ

ールの足音が近づいてくる。

 

 

 「ワタシ・・憶えてる?」

「・・・・・」

静だった・・忘れもしない近藤の女・・俺が復習鬼と化した、あの現場にいた女。

「あれから引越ししたの・・気持ち悪いでしょ」

「・・・・・」

「ねぇ、もうすぐ閉店だから・・ちょっと付き合って、12時半頃、裏の出口で待ってるから・・」

 唯一の目撃者に、こんな所で遭遇するとは・・金目当てに強請ろうってことか?

ヤクザの連中に売り渡されるのか・・一気に酔いが醒めてしまった。

 

 同僚のオッサンに実家に帰ると言い訳し、途中で別れた。

キャバクラの従業員用出入り口に着いたのが12時40分を過ぎたところだった。

店でのドレス姿とは雰囲気がガラリと変わって、Tシャツにデニムのラフな姿で、静は煙草を吹か

ていた。

「遅かったじゃない・・来ないと思ったわ・・」

 

 今年、某私立大学を卒業したものの、就職氷河期で敢え無く浪人となった。

静は店での源氏名で本名は西野 智という、22歳だ。

在学中から、割のいいキャバクラでバイトをしていた智は、運悪く常連の近藤に目を付けられ、し

つこく追い回された。

或る日、バイトの帰りに待ち伏せされ、半ば強制的に車に押し込まれた、ラブホテルに連れ込ま

れ、そこで覚せい剤を打たれてしまう、一晩中オモチャにされたのである。

薬物中毒になった智は、クスリ欲しさと、逃げたら殺されるという恐怖で、仕方なく近藤に従順

したのだ。

俗にいうヤク中の身体は、22歳という初々しさなく、痩せこけ、生気を失っていた。

近藤がいなくなって、薬物の入手経路が断たれたせいで、禁断症状が日増しに強くなっていた。

やがて幻覚を見るようになり、ついに我慢できなくなる、近藤の若衆だった男に身体を許し、

見返りにクスリを貰うようになった。

そんな生活に、嫌気が差し始めた頃、偶然にもケンジに遭遇した。

 

 

 「私の部屋で飲み直さない?すぐ近くなの」

「・・・」

「大丈夫よ、襲ったりしないから・・・」

「・・・・・」

タクシーを拾い、5分も経たないうちに、智のマンションに着いたようだ。

三階建てのデザイナーマンションというのか、洒落た造りになっている。

部屋は女性らしさは微塵も感じられない、ただ寝る為だけの空間のようだ。

「座って・・ウィスキーでいい?」

「・・・」

「ワタシね・・トモっていうの・・本名・・」

そう言いながら、高そうなシングルモルトとアイスセットを持ってきた。

グラスにロックアイスを入れ、ウィスキーを並々と注いだ。

「どうぞ・・毒なんて入ってないわよ・・」

ケンジは、一気に煽った、喉が焼けそうに熱い。

「強いのね・・・」

煙草に火を点け、深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐きながら、トモの顔を見る。

明るい照明の下で見るトモの顔は、化粧をしていても酷くやつれていた。

グラスを持つトモの右手が、小刻みに震えている。

「ちょっとゴメン・・・」

トモは、バックからケースのような物を取り出し、急いでキッチンへ向かった。

只ならぬ様子に驚いたケンジは、物陰から様子を窺った。

白い粉を溶かし、注射器に入れ、まるで医者が予防接種でも打つように、平然と手馴れた様子で

腕に針を刺した。

直後にブルブルっと振るえ、恍惚の表情を浮かべた。

リビングに戻ったトモは、何事も無かったように、ウィスキーを一気に煽った。

「アンタなら・・助けてくれると思ったんだぁ・・・」

「・・・」

「彼女の為・・だったんでしょ?」

「・・・・」

「アンタの彼女が羨ましい・・それだけ想われたら幸せだよね・・・」

「ワタシね・・こう見えても、まだ22歳なんだぁ、ピチピチだよ・・アンタ・・いくつ?」

「17・・・」

「やっと喋ったね、まだガキじゃん!」

「うるせえよ」

「ゴメン、ゴメン・・新聞とかテレビじゃ、内縁の妻だの、極妻だのって、好き勝手に言ってるけど

、そんなんじゃ・・ないんだぁ」

トモは、ケンジに近藤にされた惨い仕打ちを涙ながらに語った。

 

 

 

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