時刻と時間、場所と手はず、人員、施設、うまくいくことを願う以外にない綱渡り的なスケジュールと予定だ。シルバーバックがうまくこの計画にのってくれるか、最も危ういのはこの点だった。トラックがすでに待機していたとき、シルバーバックは不安の余り英子を追い回していた。彼女にしても森においてくる羽目になった末っ子がたえず脳裏を横切ってしかたないのだ。ただどうしたらいいのかわからないので、黙って我慢している。
ジューンが見ていると、二頭の様子は切羽詰った離婚間際の夫婦の対話のようにも見えた。
「お前はこいつらの言うとおりにするつもりだろう」
「そんなことないさ、ただみんなしてあんたの具合をよくして」
「そんなこと信じるな、森を離れるなんて考えられないんだ」
「でもひとりで残ってどうするの、こんな弱ってるのに」
「死んでもかまわない、知ったこっちゃない」
シルバーバックの拒否反応は強固だった。そこにはもう責任感もない。このまま石のように固まってしまい動きたくない、というそれは抑鬱状態でもある。
「俺がひとりで残る、だって?お前は絶対にこいつらに運ばれていくつもりか」
英子には何か、衝動があった。彼女を突き動かす予知、森を離れてでも彼女が為すべき何かが英子を呼んでいる。誰かが泣いて英子を探している、放っておけばそれは死んでしまうのだ、確実に。かすかなかすかな、懐かしい匂いがひとすじの方向を指し示していた。
「そうよ、私は小さい者たちについていく。あんたも来たほうがいい。私たちが生き残る道はそれしかないと思う」
英子は断定した。もう迷わない、これが正しい道なのだ。
英子は泰然として自分からトラック用の檻にはいった。シルバーバックは離婚し損ねた夫のように渋々檻に入った。大揺れする檻の中でシルバーバックは英子を睨んでいた。俺をどんな目に合わせようってんだ。しかし体勢を支えるのだけで精一杯の様子だった。
もううんざり、というほどゆすられてやっと始発の駅舎に到着した。隆とジューンがそれぞれ無線電話で喋りながら、檻を見にやってくる。
そのとき隆が驚いた声を出した。ジューンも彼女の電話によって驚いたような感じである。
「英子の子供が?そちらに追いかけてきたって?弱ってる。パニック。あそう、ナタリーと面識がある。コンタクトあったんだね」
「へい、隆、こっちの話し聞いて。英子の子供が首都から程遠くない動物園に引き取られるって。認識票でわかったって。でもいつ、いったい、どこで保護されたんだろ」
二人が機械を耳に当てたり、お互いに喋ったり、そして英子をじっと見つめるのを、英子もじっと観察していた。心臓が動悸を打った。何かが起こったのだ。シルバーバックはやっとゆれなくなったので眠っているようだ。末っ子の二歳の男の子のことがしきりに思い浮かんだ。離れていることが耐えがたかった。不完全なのだ。
しばらくして、予定通りに列車に乗せられた。ガタン、と動き出したとき、こんな初めての感覚に二頭ともトラックとは違う音声で反応した。
車中でジューンが近づいてきた。明るい頭髪と白い歯並が友好的な雰囲気を与えた。
「英子ちゃん、あなたの子のAYがね、一匹で匂いを辿って最初の施設に現れたんですって。あなたたちが収容されたとき、見つからなかったけど近くに隠れていたのでしょうね。
わかった、英子ちゃん、子供も森から出て動物園で暮らすんですって」
ジューンの白い肌にきらきら輝く瞳と歯を交互にみつめていた英子は、何を感じたのか低くのどを鳴らして、檻にこぶしを当てた。ジューンもこぶしを作り、軽くそれに触れた。同じ肉体の温かさが伝わる。
英子は眠っているけれどもシルバーバックによりそって、語りかけているかのように見えた。安心したような諦めたような、不幸中の幸いといった空気が流れた。