僕が始めてお散歩に出たのは、伊豆高原に越してきて一ヶ月ぐらいたった4月の終わりに近かかった。二度目のチックンも終わり、僕も体重は4kgになっていた。
最初は、お散歩のいみがよくわからなかった。後になって、こんなに楽しいものだと知ったのだけれど、はじめはお散歩の楽しさはわかっていなかったのだ。
引き綱のリードと首輪を買ってもらった。それに、僕の迷子札のメダルのようなペンダントをおとうさんが注文して作ってくれた。そこには、僕の名前「チェルト」と連絡先の電話番号が刻印してあった。これで、もし、ひとりぼっちになっても僕はうちに帰れると安心した。
最初にリードをつけて、門の外に出たとき、なんだか怖かった。とても外は広くて、今までのバリケンの中や、リビングに較べてとても広いのだ。僕はどうなるのかと心配だった。おとうさんが頼りだった。怖くて最初の一歩が踏み出せなかった。怖かった。体が震えた。行きたくなかった。歩きたくもなかった。でも、お父さんは僕を引っ張って歩き始めた。手と足で踏ん張ってみたけれど、ズルッと引っ張られて、歩くしかなかった。
最初に連れて行ってもらったのは、お隣の原さんち。僕の鳴声が聞こえていたのだと思う。だから最初に、ご挨拶をして、よろしくおねがいしますって言っておかなくてはならないお家だった。おばあさんがニコニコしながら、僕の頭をなでてくれて、これが「猛犬がいます」のワンちゃんね、よろしくねって言ってくれた。これが、伊豆で知った初めての人だった。
おとうさんと一緒に、伊豆高原の大室山のふもとをめざして登っていった。いろんなにおいや風や、太陽の温かさなんかを感じた。まだ歩き慣れていなくて、少しよたよたしてたと思う。でもだんだん、歩くのが楽しくなってきた。だって、瀬田のうちでも嗅いでいた、ほかのワンチャンたちのオシッコのにおいがいたるところでするから、きっと友達に会えるとがんばったのだ。
少しうちからのぼった所で、大きな犬に出会った。背丈はぼくの5倍くらいあって、僕がおなかの下だって通り抜けられるような、大きなおじいさん犬だった。おなかの下から見ると、僕にはない大きなオチンチンとぶらぶらした袋が歩くたびに揺れていた。セッターと他の血が混じったミックスだった。僕はうれしくなって、おじいさんに遊ぼうよって言った。まわりをまわったり、お尻のにおいを嗅いだり、前足の前に回ったり、少し一緒に歩いた。彼は一人で散歩していた。それがチャーリー君だった。僕の最初の友達だった。僕はうれしくなった。お散歩っていろんな犬に会えるんだなって、うれしくなった。
でもお散歩には別の意味も僕にはあった。それはオシッコとウンチをすることだった。なぜか、どうしても家の中では、僕はウンチもオシッコもしたくなかったのだ。だから、けっこうがまんしていたのだ。でも外に出ると、オシッコもウンチも自由に出来るという気持ちになった。だから、僕は始めて自由にそれが出来た。
坂を上っていったら、また他の犬に出会った。それが僕の2番目の友達、アンナちゃんだ。飼い主のおばさんは、僕の頭をなでてくれて、可愛いねっていってくれた。これが、僕のお姉さん犬のウエリッシュ・コーギーだった。でもこれから、このアンナちゃんとはいっぱいいっぱい、いい思いでも、嫌な思いだもできるんだけれど、とにかく僕は大好きですって、アンナちゃんに言った。少し、アンナちゃんは太めだった。茶っぽい毛がふさふさしていて、足が短かった。でも、デカサは僕の4倍ぐらいはあった。
最初の散歩で、僕は2匹の友達を見つけてとてもうれしかった。これからもよろしくねって、心でいっていた。もう、お散歩は怖くなかった。楽しかった。これが、瀬田のお父さん犬やお母さん犬、おばさん犬以外の初めての犬社会の友達だった。
少しずつ、少しずつ、お散歩の楽しさが分かってきた。
とにかく世界が広くなった。もちろん怖いと思うことだっていっぱいあった。
たとえば、自動車のブレーキのキューって音だって、最初に聞いたときはナンだろうと思って震えた。おとうさんの後ろの回りこんで様子を見たりした。遠くのほうで、他のワンちゃんたちが吠えてるのも、ちょっと怖かった。
でも楽しい事のほうが多かった。クンクン、においながらお散歩すると、新しいことばかり。
おとうさんと僕は、とにかく、上へに上へにって探検して行った。うちを出ると、まっすぐの登り道を少し登って、最初の角を右に曲がって、しばらく行くとゴミの集積の場所があった。ここも、その後、僕の楽しい場所になるんんだけれど、強いゴミのにおいがして最初は嫌だった。
さらに、左に曲がって林の中をいくと、ヌッと背の高い消火栓が現れる。僕は、はじめて見る形にびっくりして、びびってしまったから道の一番端っこを歩いて、できるだけ遠くを通りすぎることにした。でも慣れてくると、その消火栓にオッシコをかけられるようになるんだけれど、それはもっと後のこと。そこを過ぎて、次の角を左に曲がって、さらに登っていく。
そして突き当りを左に回る角に、セロちゃんのお家があった。セロちゃんはベージュ色の毛のふわふわしたミックス犬で、僕よりかなりの年上だったけれど、いいにおいがして、友達になれると最初に会ったときから僕は思った。僕たちは、セロちゃんが庭にいて、僕がお散歩で通りすぎるとき、生垣の下からセロちゃんがクンクンないて友達になった。3番目の友達犬だった。
そしてしばらく平らな道を歩くと、右手に大きなおうちが見える。庭は花がいつもいっぱい咲いていて、シーズーのリリーちゃんのおかあさんが、やさしく僕をなでてくれるようになった。こうして、僕は伊豆高原に来て、もう4匹の友達を持ったことになる。チャーリー君とアンナちゃん、そして、セロちゃんとリリーちゃんだ。
リリーちゃんのところを右に登っていくと目の前に急な石段が現れる。僕の短いチビの足では、その高い一段が登れそうも無い。左に曲がると右手に、大きな芝生のあるアンナちゃんのおうちだ。山の斜面をうまく利用して、美大の建築家を卒業した人が設計したって聞いたけど、屋根に大きなガラスがはまった三階建てのうちだった。まわりを通ると、必ずアンナちゃんに「今日は」を言って、アンナちゃんと鼻を合わせてから、さらにぼくたちは大室山を目指して登っていく。これが、僕たち、おとうさんと僕との定番の伊豆高原でのコースになっていった。だから、登りのコースっていってた。そこから、さらに長い急な坂が続く。
どんどん登っていくと、プチホテルがあって、そこには、犬たちが一緒に泊まれるので大賑わい。僕も新しいワンちゃんたちに会えるから、そこを通るのを楽しみにしていた。でも、そのホテルには2匹の犬がいたんだけれど、長~い針金が高く張ってあって、その針金にロープをつけて繋がれていたんだ。かわいそうだった。シャラシャラ、音を出しながら2匹の犬たちはつまんなさそうに往復しながら、うらやましそうに僕を見ていた。
さらに右に曲がって登っていく。シャボテン公園にいく大きな道を少し歩いて、右に曲がってどこかの別荘への急な小道を登っていく。そこが行き止まり。伊豆高原の一番上の家だった。僕たちは、誰もいない別荘の石段の所で二人で、息を切らせて登ってきた別荘や林なんかを見下ろしていた。目の前に、大島が見えて、右手に神津島、利島、式根島、遠くは三宅島の噴煙がかすかに見える最高のながめの場所だった。でも僕には見えない。
おとうさんは階段に腰掛けて、僕を両足の間に入れてくれて、頭をなでていてくれた。
だいたい3時ごろだった。いつも飛行機雲ができて、西のほうに飛び去るのを見ていた。ちょっと疲れて、舌を出して、ハァハァいいながら、陽にあったって気持ちよかった。眠くなる時だってあった。
これが、僕とおとうさんとの定番のお散歩コースとなったったのだ。40分くらいのコースだった。
歩きのお散歩のほかに、僕の行動半径が大きく広がった。それは、おとうさんの車に慣れることだった。
東京から伊豆につれられて来られたときは、いつもバリケンの中だったけど、車の助手席に乗ることを、僕は伊豆でまなんだ。
最初は、車ががスタートするときや、ブレーキをかけたとき、僕はちゃんと踏ん張れないで、後ろにころびそうになったり、つんのめって、座席からおちそうになったりした。怖かったのと、ちょっと気持ちが悪くなって、よだれが口の中にしみだしてきた。でも、窓の外を見てるといろいろおもしろかった。ほかのワンちゃんや、猫ちゃんが見えれば、うれしくて、ウゥウゥ、クゥクゥいっていた。
少し慣れてきて、車に乗ってお出かけって楽しいな、って思いはじめたきっかけがあった。
おとうさんが伊豆高原の今のうちを選ぶ前に、伊豆高原駅からちょっと離れたあかざわ分譲地ってところにいえを見に行ってたんだって。そこは、車も人も少ない、静かな場所で、海が島がみわたせる山の上の別荘地だった。でも、さびしすぎて、生活に不便だからと、買うのをやめた所だったんだ。
そこに、僕を連れて行ってくれたのが、ちょっとした車での初めての遠出だった。国道を走って、右に細い道をぐにゃぐにゃ走っていく。そこから、さらに分譲地のゲートのあるところを通りぬけて、ちょっと急なのぼりが始まる。いやなカーブのいっぱいあって、僕は右に左に揺れていた。これが続くと気持ちが悪くなるんだ。だんだん、車が高いところに登っていくのがわかった。そして、ついたよって、おろされたところが、おとうさんたちが一番最初に伊豆に家を捜しに来たという場所だった。
広い道がカーブしてさらに上っていた。僕たちはその家の前に車をとめて、少し歩いてみようってことになった。誰も通らない、車も来ないしずかな道で、初めてリードをはなしてもらって、僕は自由に歩いてもかけてもよかった。おとうさんが、僕の先をかけて上っていった。それを追っかけて、僕も走った。リードのないのって、自由でたのしかった。
でも僕には問題がおきた。
その広い道には、広い道を横切って何ヶ所も鉄の網のようになった、スノコのようなもの(グレーチング)がしいてあるところがあったのだ。これは、雨のとき、あまみずを道路に流さないように、道の端っこの溝に水を流すためだった。でも、そのひとつひとつの穴がでかいのと、その幅が広いことは僕には問題だった。
僕の足は細くて、その穴にすっぽりとはまってしまって動けなくなるという怖い思いをしたのだ。足がはまると、足は痛かった。折れちゃいそうなほどいたかった。そうかといって、その鉄の網を飛び越すには幅がありすぎて、ちっちゃい僕には飛べなかった。
おとうさんが僕を抱え上げて、その網を越した、何回も。でもそれ以外は、とてもいい気分だった。自由に動き回れるし、ほえてもいいし、くんくんしても怒られないし、ガリガリだって自由だった。だから、その場所は僕のお気に入りになったんだ。
そして、その日、時間がかかったけれど、その山のてっぺんまでのぼったんだ。ほかのワンちゃんのにおいもしたし、帰りのくだりの道は、おとうさんとかけっこになった。
こうして、赤沢っていうところは、僕には楽しい場所になった。それからも、何度も遊びにいったよ。ドライブって楽しいなって思ったんだ。
何度行っても、あの最初のときの楽しさが僕の中にたちかえってきて、それはわすれられなかった。初めて、自由に走りまわれたからだ。
でも、何年もたってだけど、あの場所にはおっかないおばさんが住み始めて、僕たちが車をとめると、すぐうちから出てきて、ずっと僕たちを見ていて、感じが悪くなったんだ。車をとめるのが悪いって感じで、疑い深く僕たちを見ていたようなきがする。
でも、その後も何度も出かけたよ。車をとめるところを変えてね。
この赤沢は忘れられない、チビのころの思いでの場所さ。
でも、おばさんゴメンナサイ。
僕は家の中でも、僕の生活がだんだんでき上がってきた。
二階は、落っこちた経験から苦手だったけれど、そのほかはすべて僕の遊び場だった。畳の部屋は走り回ると怒られたけれど、それ以外は何でもOK.。
おそる、おそるだけど、お風呂場も怖くはなくなった。だって、毎日お散歩から帰ると、お父さんに必ず手と足、それにおなかを洗われていたから慣れたんだ。ちょっとタイルが冷たかったけれど、お父さんがお湯を出して洗ってくれたからもうだいじょうぶ。最初、びっくりした洗濯機のゴォーン、ガタガタって音だって慣れちまった。
お母さんとは、よく一緒に家の中を走ったりして遊んだ。僕が遊ぼうって、前足をそろえて体をかがめて、飛びかかるまねをすると、お母さんが逃げてくれた。それを僕は追っかけて家の中を走り回って、お母さんが疲れたって言うまで、僕は走り回ることができた。いつの間にか、ウーって脅かしの声も出ていた。大体このころから、僕とお母さんの位置関係ができてきたのかもしれない。もちろん、僕のほうが上さ。
僕はだいたいは広いリビングで遊んでいた。そして、お気に入りを見つけた。それはキッチンの前においてあった、ふかふかの毛足の長いラグだった。青紫のほそながい、でも僕が腹ばいになるにも十分な幅を持ったきれいなラグだった。本当は、お母さんが足が寒くならないように、それに水が飛んでもウッドのフロアがぬれないようにというためのものだったのだが、そこは僕の陣地になった。
おもちゃのワニさんを持ち込んで、そこ一緒に遊んだり、一緒に寝たりしていた。お父さんにも、お母さんにも怒られなかったので、自然とそこが僕に陣地になっていった。僕は前足をまっすぐ伸ばして、さらに後足もまっすぐ伸ばして、平らになることができたから、ぺったんこと腹ばいになって、その陣地にいる時間が多くなった。一つ、いやだったのは、お母さんがキッチンで仕事を始めると、時々水が飛んでくることぐらいだった。でも、フローリングのむき出しの冷たさから逃れられて、大好きだった。
この陣地から、僕はいつもリビングの眺めて、何か面白いことはないかと探していた。でも、お父さんと遊ぶと、いつもお腹を指でつっつかれていた。お父さんは、僕のプックリおなかが気持ちがいいって、やわらかい僕のお腹で遊んでいた。僕はいやだったけど、お父さんには噛み付けないから我慢していた。もうしとつ、お父さんは、僕の首の周りの皮に余裕があるので、それを引きのばして帽子のように、僕の耳を隠すようなことをしていた。そう、首の周りの皮膚には余裕があって、ダボダボしていた。引っ張られると、かなり伸びたんだ。伸ばされても痛くはなかった。そんな風に、僕はお父さんのおもちゃになってしまった。でも、お父さんは大好きだった。
一つ困ったことがおきていた。それは、とにかく何でもいいから噛み付きたくなったことだ。口の中がかゆくてかゆくて、僕はないにでも噛み付いていた。テーブルの足だとか、ソファの出っ張りとか、時にはお母さんの手とか、噛み付けるものは何でも噛み付いていた。歯が伸びてきて、歯茎がかゆかったのだ。
でも、噛み付いていると、お父さんにこっぴどく怒られた。僕は涙が出そうになった。だってかゆいんだもん。ガリガリと何かを噛みたいんだもん…。おもちゃ箱や、おもちゃになっていたペットボトルにも噛み付いた。でも一番気に入っていたのは、テーブルの足だった。だから、お父さんのいないときのかなり噛んで、傷つけてしまった。
お父さんは、また、伊東の犬やさんに出かけた。そして買ってきてくれたのが、ロープでできた骨のような形をしたおもちゃと、なにか動物ので筋できたおもちゃだった。これだったら、噛んで良いよって言われた。僕のおもちゃになった。
でも、僕はいくら口がかゆくても、ワニさんには絶対噛み付かなかった。だって、瀬田のシュナウ博士の小学生の息子さんがくれた、大事な大事な僕の仲間だったからだ。ワニさんを運ぶときは、ほんとにそっと噛んで運んでいたけど、けっして傷つけはしなかった。
家中のにおいもかいでみた。もう、目をつぶっても、においだけで、僕は家の中を歩けるようになっていた。 僕はだんだん、どこにゴハンがあるかとか、ミルクがどこのあるかとかを分かってきた。何時だったかは、お母さんが買ってきたパンが目の前にあった。僕は飛びついた。パンは大好きだったんだ、いいにおいがして。
もう僕は、新しい家で活発ないたずらっ仔になっていた。