この言葉で僕の不安は、先程椅子に乗っていた厚化粧の埃の様に消し飛んだ。そしてホーリーもこの秘密を知っていて、使っているのだと知り、喜びが溢れると同時に三つ目の疑問も昨日の向こうに消し飛んだ。そう、ホーリーと秘密を共有するんだよ、僕。なんだかワクワクしちゃうね。
しばらくにやけた顔をして素敵な未来を夢想していたらしく、アビゲイル先生の咳払いで現実に戻ってきた。
「えっへん、第二の疑問はこれで片付いたかな?うむ、よろしい。では第三の疑問に答えよう。言ってみたまえ。」そこで僕は第三の疑問は既に解消したけど、質問のチャンスが勿体ない気がして、別の質問をしてみることにした。
「社長は今、恋人いらっしゃるのですか?」
「ひゃぁ?」と予想外の質問だったらしく、変な声が返ってきた。僕はもう一度繰り返した。
「だから恋人はいるのか?って聞いたんですよ。」と言うと先生は耳がイチゴ色になり鼻をヒクヒクさせながら、
「ええ、いますよ。勿論ですよ。」と言って居住まいを正されて動揺を隠された。多分、アビゲイル先生の鼻がヒクヒクした時は、嘘をつかれた時なんだと、今日の日記にでも書いておこう。最重要機密としてね。そして、
「第三の疑問はそんなくだらない事なのですか!」と少し血圧をアップさせて仰った。僕の評価をアップして欲しかったんだけどね。
「いいえ、二つ目の質問で疑問は解消しましたので、ちょっと出来心を。ところで社長、取引の話ですがいいですよ。僕の血を研究してみてください。変わりにトマトジュースをおごってくださいね。」と言うと先生は忙しそうに気持ちを切り替えて、嬉しそうに仰った。
「そうですか!では、交渉成立ですね。おめでとう。君もいずれトランタンを見返す事が出来るでしょう。努力は必要ですがね。」
僕は手を差し出して先生と固い握手を交わした。相手がホーリーの方がいいなと思いながら。
「では、明日からの補習通知を書いてあげよう。」と言って立ち上がり、図書室を後にし、職員室へと向かっていった。
僕は職員室までの廊下で一つくしゃみが出た。「ヘックション。」
「おや?風邪ですか?」とアビゲイル先生。
「いえ、何か感じたもので。」と僕。
「そうですか。」とちょっと不思議がられたが、流されてしまった。
職員室前まで来ると担任のパット・アズモック三級魔術師も残っていらっしゃるらしく、他の二人の先生とのお話が聞こえてきた。
「コンドリヌ先生は明日からの休暇中、何をなさるの?」とパット先生が質問なさった。すると女性の声がそれに応えた。
「わたくしのクラスは特に成績の悪い生徒もいませんでしたので、船で世界一周の旅に行く計画にしておりますのよ。ほほほ。」と少し自慢げに聞こえた。
「僕は一人補習しなくちゃならない生徒がいるんです。」と今度は対照的に男の声が力なく言った。
「私のクラスにも補習が必要な生徒がいるのですが、私の母が介護の必要な状態になってしまい、休暇中だけでも介護してやりたいと思いまして…でも生徒も大切ですし…少し迷っているんです。」とパット先生の弱気な声が聞こえてきた。
それを聞いていた僕たちはこれは不幸中の幸いだと顔を見合わせ、慌ててその場に出て行った。
パット先生は、ダイエット中の太ったスイカの様な女性と、アメンボの様に痩せた男性と話していたみたいだ。その女性は第二学年の担任ペッグ・コンドリヌ三級魔術師で、男性の方は第五学年の担任デクスター・ヒューズ二級魔術師だ。
「パット先生、今仰られた事でご提案があります。」とアビゲイル先生はかっこ良く登場した。そして僕もかっこいい、かな?パット先生は少し驚かれ、僕を見てなお驚かれた。「ウィズ。まだ帰ってなかったのですか?」とパット先生が目尻を吊り上げられたので、アビゲイル先生が割って入られた。
「私が今まで彼を引き止めていました。荷物を運んでもらっていました。ところでパット先生が補習をしなければいけない生徒とは、このウインザード君ですね?」と一度鼻をヒクつかせて質問なさった。
「ええ、そうですけどご提案とは何でしょう?」とその場の国民の疑問を代表してたずねられた。
「はい、この休暇中ウインザード君に私の研究を手伝ってもらう事にしました。そこでもし先生が要らぬお節介だと思わないで下さるなら、私が彼の補習も引き受けます。いかがでしょう?お母上の介護をしておあげになれば、きっと喜ばれると思いますよ。」とアビゲイル先生が仰ると、パット先生は、「ええっ!よろしいのですか?私の方は願ってもない事です。ですがこの子はとにかくやる気がないので大変難しい生徒です。それでも引き受けてくださるのでしょうか?」と僕を見ながら渋い顔をなさった。
「勿論承知の上です。私がパット先生に代わってウインザード君をビシバシ補習すると言う事でよろしいですかね?」と確認するように仰った。パット先生は驚きと感激で「ありがとうございます。」を何度も連発し、小躍りなさった。
「では、委任状とご両親に宛てた補習通知を書いてくださいますか?」とアビゲイル先生が仰ると、パット先生は慌ててご自分の机に戻り、二つの書類を作り始められた。
他の二人の先生は社長に「素晴らしい」だの「立派です」だの「教師の鑑です」だのと賛辞を三時以降も並べ立てていらっしゃった。勿論もう既に夕方の四時を回っていたんだ。
僕はその間、黙って大人しくしていた。心には新たに芽生えた期待感を抱きながら。
十分ほどでパット先生は書類を作り、僕に補習通知を、アビゲイル先生には委任状を渡され、僕にはもう遅いから帰りなさいと言って夕日の当たる、禿げ頭の様に輝く校舎を追い出された。
帰り際にアビゲイル先生は成績表を返しながら、僕にウインクしたんだけど、いるかいないか分からないその彼女にしてあげれば、と思いつつ家に向かった。