身代わり

          夏美の幸せ

 

 直人は机の上に置いた丸坊主の夏美の写真をじっと見つめて、あのころのことを思い浮かべていた。小学校5年生になった春に白血病が再発し、夏美は九大病院に入院した。直人は休みの日にはしばしばお見舞いに行った。夏美はクリスチャンで朝夕6時に必ず祈願していた。直人は夏美の話が大好きであった。夏美は神に与えられた命はすべて等しく尊いものだと言って、今生きていることに感謝しなければいけないと直人によく言った。

 

 「元気そうだね、早く退院できるといいね。これ、みんなからの手紙」直人は5年2組全員からの手紙を入れた袋をベッドの上に置いた。夏美は笑顔を見せると袋の中を覗き込んだ。「寝る前に少しずつ読むね、ありがとう。これ、みんなへのお礼の手紙。直人が代表でみんなの前で読んでもいいよ」夏美は目を細めて手渡した。「骨髄移植をしてからとっても調子いいよ、すぐに退院できるかも。早く、みんなと遊びたいな~」ベッドから飛び降りると大きく背伸びした。

 

 「止めとけよ、まだ、安静にしなくちゃ、必ず、神様が元気な身体にしてくれるよ、それまで我慢しろ」直人は本当に良くなったのか、病院の先生に聞きたい気持ちでいっぱいだった。と言うのも、前回、ほぼ完治したと言われて退院したのだ。にもかかわらず、再発して再入院してしまった。元気な夏美を信用することができなかった。心の中できっと元気になる元気になると何度も自分に言い聞かせた

怪訝な顔で見つめる直人を見て夏美はつぶやいた。「最近、とても毎日が充実しているの。生きるってことは時間じゃないのね、一瞬を大切にすることだね。すでに、11年間も生きてきたのね、こんなに長く、生かしてくれたのよ。いつ死んでも悔いはないわ。神様、ありがとう。みんなそれぞれ、神様が与えてくれた命と言うものがあるの。長い、短いは幸不幸とはまったく関係ないの。

 

大切なことは生きている今に感謝することなの。だから、病気と闘っている毎日がとても幸せ。病気の自分に感謝しているの。白血病も神様が与えた一つの幸せなのよ。最初は、病気の自分を不幸と思っていたけど、病気はいろんな大切なことを教えてくれたのよ。もし、元気になったら、いっぱい勉強して、大きくなったら難病と闘っている多くの人たちの力になりたいと思うの。直人もしっかり勉強するんだぞ」夏美はニッコリ笑うと直人の右肩をポンと叩いた。

 

「なんだか、先生みたいだね。いつの間にそんなに賢くなったんだよ。毎日、本を読んでいるからだな。僕も、負けないように本を読むぞ。よし、僕は将来医者になる。小児癌の子供たちを救って見せる。夏美と競争だ、負けないぞ。指きりげんまんしよう」直人は右手も小指を突出した。夏美も小指を突出し“指きりげんまん、嘘ついたらはりせんぼんの~ます”二人は大きな声で誓いを交わした。

 

 

 身代わり

 

翌日、直人は帰りのホームルームでみんなの前で夏美の手紙を読んだ。

 

~ クラスのみんな、千羽鶴、ありがとう。今は骨ずい移植も無事終わってとても元気です。すぐにでも退院したいです。みんなと一緒に遊んだり、勉強したりしたいです。でも、当分は病院でがんばります。病院には同じような病気で苦しんでいる友達がたくさんいます。だけど、みんなとても明るく仲良しです。一緒に遊んだり、勉強したり楽しくやっています。

 

私の将来の夢は看護師になることです。私を見てくれている看護師さんはとても優しいです。自分もこの人のような優しい看護師になりたいです。看護師さんはしっかり勉強すれば、きっとなれると励ましてくれました。がんばって夢を実現したいです。今度クラスに戻ったとき、一緒に勉強できるように病院でも一生けん命勉強します。これからも仲良くしてください。みんなに会える日はすぐだと思います。~

 

直人は照れながら読み上げると、大きな拍手が起こった。クラス委員長の悟は僕たちも将来の夢を書いた手紙を夏美に届けようと声を張り上げた。賛成、賛成とみんなの声がクラス中に響き渡った。先生も将来の夢を書くわと尾崎先生も笑顔でみんなの仲間入りをした。直人は夏美の手紙を読んだことが何か手柄を立てたことのように思えた。なんだか、英雄になったような気がして嬉しくて超ハイテンションになってしまった。

 

帰宅途中、直人の仲良し三人組は夏美のことで話が盛り上がった。いつもは、まっすぐ自宅に帰っていたが、その日は上町に住んでいる雅彦の家によることにした。三人は青信号に変わると横断歩道を渡り始めた。次の瞬間三人は消えた。居眠り運転のトラックが三人に突っ込んだ。跳ね飛ばされた雅彦と紀夫は肋骨、脚の骨折の重症ではあったが、幸運にも一命を取り留めた。直人は跳ね飛ばされ左腕の骨折だけであったが、右側頭部が電柱に激突した。

 

手術後、5日間の昏睡状態が続いた。そして、主治医は、現状では植物人間になる恐れがあると説明した。直人は天国へ向かう夢を見始めていた。明かりのない世界に歩き始めていた。それは神が授けた命の終焉を意味していた。直人の魂は夏見の枕元で別れを告げると、暗闇に向かってゆっくりと階段を上っていった。後ろを振り向くと、もはや地上に引き返す階段はなかった。神は直人を天国に引き上げていた。

 

夏美の魂は悲しい別れの言葉を聞いた。直人の声であった。「僕はまだやりたかったことがあったけど、先に天国に行くよ。夏美、さようなら」

 

春日信彦
作家:春日信彦
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