身代わり

怪訝な顔で見つめる直人を見て夏美はつぶやいた。「最近、とても毎日が充実しているの。生きるってことは時間じゃないのね、一瞬を大切にすることだね。すでに、11年間も生きてきたのね、こんなに長く、生かしてくれたのよ。いつ死んでも悔いはないわ。神様、ありがとう。みんなそれぞれ、神様が与えてくれた命と言うものがあるの。長い、短いは幸不幸とはまったく関係ないの。

 

大切なことは生きている今に感謝することなの。だから、病気と闘っている毎日がとても幸せ。病気の自分に感謝しているの。白血病も神様が与えた一つの幸せなのよ。最初は、病気の自分を不幸と思っていたけど、病気はいろんな大切なことを教えてくれたのよ。もし、元気になったら、いっぱい勉強して、大きくなったら難病と闘っている多くの人たちの力になりたいと思うの。直人もしっかり勉強するんだぞ」夏美はニッコリ笑うと直人の右肩をポンと叩いた。

 

「なんだか、先生みたいだね。いつの間にそんなに賢くなったんだよ。毎日、本を読んでいるからだな。僕も、負けないように本を読むぞ。よし、僕は将来医者になる。小児癌の子供たちを救って見せる。夏美と競争だ、負けないぞ。指きりげんまんしよう」直人は右手も小指を突出した。夏美も小指を突出し“指きりげんまん、嘘ついたらはりせんぼんの~ます”二人は大きな声で誓いを交わした。

 

 

 身代わり

 

翌日、直人は帰りのホームルームでみんなの前で夏美の手紙を読んだ。

 

~ クラスのみんな、千羽鶴、ありがとう。今は骨ずい移植も無事終わってとても元気です。すぐにでも退院したいです。みんなと一緒に遊んだり、勉強したりしたいです。でも、当分は病院でがんばります。病院には同じような病気で苦しんでいる友達がたくさんいます。だけど、みんなとても明るく仲良しです。一緒に遊んだり、勉強したり楽しくやっています。

 

私の将来の夢は看護師になることです。私を見てくれている看護師さんはとても優しいです。自分もこの人のような優しい看護師になりたいです。看護師さんはしっかり勉強すれば、きっとなれると励ましてくれました。がんばって夢を実現したいです。今度クラスに戻ったとき、一緒に勉強できるように病院でも一生けん命勉強します。これからも仲良くしてください。みんなに会える日はすぐだと思います。~

 

直人は照れながら読み上げると、大きな拍手が起こった。クラス委員長の悟は僕たちも将来の夢を書いた手紙を夏美に届けようと声を張り上げた。賛成、賛成とみんなの声がクラス中に響き渡った。先生も将来の夢を書くわと尾崎先生も笑顔でみんなの仲間入りをした。直人は夏美の手紙を読んだことが何か手柄を立てたことのように思えた。なんだか、英雄になったような気がして嬉しくて超ハイテンションになってしまった。

 

帰宅途中、直人の仲良し三人組は夏美のことで話が盛り上がった。いつもは、まっすぐ自宅に帰っていたが、その日は上町に住んでいる雅彦の家によることにした。三人は青信号に変わると横断歩道を渡り始めた。次の瞬間三人は消えた。居眠り運転のトラックが三人に突っ込んだ。跳ね飛ばされた雅彦と紀夫は肋骨、脚の骨折の重症ではあったが、幸運にも一命を取り留めた。直人は跳ね飛ばされ左腕の骨折だけであったが、右側頭部が電柱に激突した。

 

手術後、5日間の昏睡状態が続いた。そして、主治医は、現状では植物人間になる恐れがあると説明した。直人は天国へ向かう夢を見始めていた。明かりのない世界に歩き始めていた。それは神が授けた命の終焉を意味していた。直人の魂は夏見の枕元で別れを告げると、暗闇に向かってゆっくりと階段を上っていった。後ろを振り向くと、もはや地上に引き返す階段はなかった。神は直人を天国に引き上げていた。

 

夏美の魂は悲しい別れの言葉を聞いた。直人の声であった。「僕はまだやりたかったことがあったけど、先に天国に行くよ。夏美、さようなら」

 

夏美の全身が凍りついた。夏美は自分の命を捨てる決心をした。

 

~神様、私の命を直人にあげてください。私は11年間幸せでした。小児癌の子供たちを救うために、直人を生かしてください。お願いです、神様。直人、直人、目を覚ますのよ。夏美の声が聞こえないの。直人、直人、起きなさい!直美の笑顔がスパークした~

夏美はすべての涙を流し、神にお願いした。涙が涸れると、夏美は静かに息を引き取った。

 

奇跡的に眼を覚ました直人は言葉を話すことができた。言語中枢には異常がなかった。3ヶ月の入院後、退院した直人は夏美の死を知らされた。彼女の死は直人が眼を覚ましたその日であった。

 

夏美の死から、30年の月日が経った。政代は衆議院議員として、日本が核保有国になれるための憲法第九条の改正案を推進していた。一方、医者となった直人は丸坊主の夏美の写真を腹巻に入れて長崎の病院で小児癌の子供たちを診療していた。

 

春日信彦
作家:春日信彦
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