東天アパート

第四章 夢のように( 5 / 7 )

赤松は見なかったことにしてくれるという。少年をしばらく小山に預けた。
そうなると、ますます生活資源がやはり問題だった。
赤松は彼らに里山手助けの仕事をせっせと回すことにした。晴耕雨読のような生活になった。敷地の前には自前の畑を作ろうと、誰彼が暇なときに耕したり水をやったりする。きゅうりやトマト、小松菜、ねぎ、韮、植えるものには事欠かない。

カイコさんと大山がセットになって、孤老介助と、それが無いときは空き缶新聞集めに回った。普通の暮らしをしている界隈でも、それらの廃棄物を影のように回収してくれるのを待つ人が多かった。
牛山さんの絵には似顔絵も加わったので、珍しがられた。カイコさんの仏の木彫りも並べた。

音楽家たちは本拠地を東天アパートとして活動した。CDも小規模ながら製作しているらしい。何よりも音楽が好きで、音楽を食べて生きていた。
みんなが忙しいときは、猫ちゃんが少年、カズちゃんの相手をしてくれた。実はカズちゃんのほうが世話していた。

小山がドリルを買ってきた。すると少年は喜んで勉強するのだった。
「君、すごいな。ハンサムでスマートじゃん。優しくて賢いって意味だよ」
小山は泣きそうになりながら褒めてやる。カズちゃんはその微妙な表情を見ている。しかし大口を開けて笑ってみせ、小山にすがりついた。アア、神様神様、心の中で叫びながら小山はしっかりと小さなやせた少年を抱きしめた。

東天アパートにソーシャルワーカー小園佑子が配置してきたのは、驚いたことに老人と老女だった。ふたりとも人生の半分を路上で過ごしてきたのだという。そして今や人生の最後のときを迎えるというのだ。

小山は、これはいわゆるホスピスの代わりだな、と了解した。しかし、どうすればいいのか。年若い連中は回復していくが、死んでいくひとに自分が寄り添ってあげられるのか、見当もつかない。
すると、母の大野みずさが手伝いを申し出た。自分は例によって夫に縛られているので使い物にならないのだが、友人で看護師の資格を持っている女性を引き込むことに成功したという。彼女自身は独身で通したため、年金はあり、時間もあり、人助けの精神的余裕もある。こうして彼女もやってきたので、一気に東天アパートは三部屋埋まった。
医療の知識のある人物がいることは実はどんな施設にも重要なことだった。小山はさしずめ心理カウンセラーという役どころだった。


赤松陽司と、右野さん、小山なずさ三人で町役場の支所の一室のひとつのデスクの周りでそろう機会が多くなった。

やや元気を取り戻した若い三人、小山、大山、右野の生活保護が打ち切られそうな気配になった。完全に社会復帰できるとは小山には思えなかったし、これまでのように暮らしたのでは元の木阿弥ではないか。

社会的弱者に空いた施設を提供する、という方法はかなり現在広まっている、と赤松は言う。財政的に厳しいのは、行政が税金を使いたがらないことにもよるが、日本では募金活動ないしは寄付という概念が一般的でないことにもよると付け加えた。

「そうやなぁ。お寺さんや神社にお賽銭を投げるのは自分のためやもんね。お寺の檀家もお寺を金持ちにするだけやしね。その点,キリスト教では自分の救いなんやけど、善人でありたい、そうすれば天国にいけるってんで必然的にひと助けっていう効果がでてくるんやね」  
「はあ、そうなんや」
と、大山がこっくりをする。彼女はコンピニでアルバイトする覚悟を固めつつあった。それを相談するためにその日大山も支所に来ていた。

募金を募るのはひとつの実行できる考えだった。小山なずさは、赤松陽司を見つめて尋ねた。
「赤松さん、ここで私パソコン使わせてもらえへん?ネット接続してサイトを探したいと思うて」
「東天サイトをたちあげるんですか。僕も協力しますよ」
「たちあげる、というても、寄付を募るというのが目的やけど」

「わかりますよ。でもそのためには一度新聞とか取り上げてもらわないことには。つまり世間的に名を知らしめアドレスを知ってもらわないとですね」

「ふうん、やっぱりそうきますよね。そのためには何か、お金をせびるだけじゃないシステムでないとあきませんね。社会の負け組みへの施しではなくて、これがひとつの別の生き方であるような。そんな説得方法、というか、むしろ哲学かな」
と、さすがに小山も言いよどむ。


第四章 夢のように( 6 / 7 )


「そうかぁ。人生は確かに運不運次第ですよね。成功者は自分は努力した言うけれども、努力しても成功しない人が大部分ですもん」
赤松も少し苦い顔を見せる。

「不運な我々が、贅沢は望まず欲も持たず、しかも運のいい一握りの人や、正規社員とか中流によって、見下されずに静かに豊かに自分の出来ることをしてこの人生を過ごしたい。怠けたいわけでもなく、社会から離脱したいわけでもなくその当然の成員として。しかも、実際今じゃ、不運な人間のほうが絶対的に多いと来てるし」
と、小山が本を読むように言う。いつの間にか、赤松陽司も不運の仲間に入っていた。

小山なずさのここ数年音信不通であった父親が東天アパートに入居してくるという。尾羽打ち枯らしたのではない、娘がそこにいると聞いて退職を機に、身の回りのものを整理して身ひとつで引っ越してきた。といっても幾ばくかの預金通帳を持って。小山は思いがけなさに、尻餅をつくくらい驚いた。
母親に対する気持ちは愛憎ともに深かったが、

この父をなずさは好きでも嫌いでもなかった。消えた母親のことを一言もなずさと話さなかった。自身が何かに傷ついて心を閉ざし、妻の離反によってさらに心を硬くした父親との距離は縮まらないままだったのだが。頭がよくて根は優しい、と遠く感じてはいた。

それに、小山なずさの忘れることもない娘かりなと父親には面差しに似たところがあった。そのためもあって父親を見ると喜びが湧いた。

小山幸平のもたらしたものはしかし全員にとっても大きな意味をもっていた。一階の最後の一部屋に落ち着いた後、幸平は鍋釜を揃えたのだ。しかも大釜大鍋だ。電気炊飯器ではない。ホーロー製のしっかりした大釜でご飯を炊くのだという。
穀物は白米だったり麦が混ざったり、近くの生産者からわけてもらうのだ。ひとつきりのガスレンジで朝から全員の一日分の一升を炊く。その後すぐに大鍋で汁物を作った。
その日手に入ったものが具である。畑の作物も使うが、食材の確保には農家の手伝いに行ったときに、現金の代わりに取れたての野菜をもらってくるという手がよく使われた。
「今日は大根と人参だけだぁ」
と、なずさは見ても信じられなかったのだが、すぐにここに馴染んでしまった幸平が庭で叫ぶ。
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混ぜご飯や雑炊、すし飯、焼き飯、メニューは結構多かったし、川や池でだれかれが釣ってくる魚も加わる。粗大ごみの日に見つかった七輪で焼き魚パーティも出来る。猫ちゃんが辛抱強く焼き当番をした。かりなに似た父と、かりなと同年齢のカズちゃんと生活することの幸せを小山なずさはしみじみと味わった。

夏休みが終わるまでカズちゃんはここに暮らしていいことになっていた。その後は近くの施設に預けられて、そこから通学するのだろう。この瞬間がどんなに大切なものか小山なずさには痛いほどわかっていた。
そんな夏の日々の過ぎるうちにみんなは何となく体力をつけていった。小山の免疫力も強くなった。

それぞれが社会活動によって手にしたお金は共同の缶に入れる。それは小山幸平の部屋においてある。必要な額をそこから取ることもできた。幸平が時々自分の財布を全部空けているのをなずさは知っている。

赤松陽司と情報を交換して、小山なずさは彼らのサイトの一部として「東天自然人サイト」をくっつけさせてもらった。赤松らのNPOサイトは地域の広報、あるいは全国的な同類サイトにリンクしている。小山なずさが、写真や人物紹介などを書き溜めていくうちに、コメントがつくようになった。応援したいという善人も多くはないが、結構存在してくれていた。たとえ千円でも、人が一日人間として生き延びられるのだ。

第四章 夢のように( 7 / 7 )


カズちゃんは意外なほどあっさりして東天を巣立った。学ぶことが好きだったので学校に行けるのを喜んだ。それに、古里がこのコミュニティだということがカズちゃんの安心材料だった。小さな家族には怖い面もあることをよくよく経験していた。
「休みには帰ってくるよ、お母さん」
と、意気揚々と手を振った。迎えのバスに乗って去って行く。カズちゃんに泣かれたらどんなに辛かっただろう。

暑く長い夏が過ぎると全員の寒さ対策が必要となる。障害者の運営する古着屋で買う意外に、家庭から出る不用品は寝具衣類その他お宝の山、という感じだった。
昔、なずさが捨てたものは何と無用のものばかりだったことか、ただ生きるためなら。
そのころしかし、生活のサイクルが落ち着いてきたとき、小山なずさの中で少し、欲が湧きそうになっていた。シャワー、本、鏡、携帯電話、ウォシュレット。


しかしある夜。牛山、音楽バンドの若者らに難儀が起こった。即ち東天アパートに。
ショバ代を要求する者がこんな片田舎に現れたのである。この連中も生活しなければならず、上納金を要求されているのだそうだ。やっと大人になったばかりのような小柄な男二人だという。ともかくいくらかでも金を払えという。結局その日に得た収入の半分、二千円を没収された。
「僕は実は空手とかできるんですけど」
「俺だってそうだよ」
「だめだめ。じかに応酬したら収拾つかなくなる」
「半分も持っていかれるとナァ」
「警察に言おう」
「やくざか。まだそんな者がいるんや」
「当たり前だよ。人類の多様性の一角?」
「そなアホナ。優生学的にいうと次第に消滅するはずなんやけど。平和が続くとな」
「だから、社会的な要因よ」
「うん、それがポイントやね」
余り筋肉も知力も発達していないような東天住人が知恵を振り絞る。
「わしが一緒に行たろ」
という声に全員驚く。ホスピスのつもりで入居した春日老人である。涼しくなった頃から、何となく生気に溢れてきた。

もうひとりの老女秋野さんはかなり弱っている。看護師だった辰巳さんは、淋しく死なせた自分の母親の代わりのように、老女を世話する。病院の周囲だけが彼女の生活の場であって、しかも人手不足による過労のために、患者さんを人間として見ることもなく過ぎた四十年だった。

辰巳さんのここでの新しい仕事の半分は、秋野さんの珍しい路上生活話を聞くことでもある。たくさんの野良犬野良猫、人間の赤ん坊まで彼女が世話した。次から次へとそれは途切れることなく連続した生活だった。
辛かったのは寒さでも労働でもなく、路上生活者を自らの鬱憤のはけ口とするいわゆるぐれた少年達の攻撃だった。その犠牲者は多くあったのだ。


「あの子らの性根は腐っとってね。憎たらしいたらない。でも大部分は自分が虐げられたモンやねんな。親から無視されたんか、心がからっぽ、自分が生きられへんからやろか、自分の代わりに弱いモンを殺す」
秋野さんは肺がんだ。弱い呼吸を荒げた。
何が彼女を路上で生活するように強いたのか、それを語る言葉を秋野さんは持たなかった。
「誰でもなる、ちょっとしたことで。なったら最後、誰も振り向いてくれへん」
辰野さんは看護師として脈をみながら、話し相手でありうることをむしろ感謝した。
「でもね、精一杯に生きたよ、私」
「そうよそうよ、まだまだ人生あるよ」
秋野さんはうっすらと笑った。

春日老人には、確かにこわもての気配があった。釜ガ崎で日々の仕事を求めた若い頃、親に仕送りが出来たりすると、男の仕事として自らを慰めることが出来た。経済が発展していく時期には結構のっていた。気づくと、賭け事、酒、トラブル、闇の世界、仁義と巻き込まれていた。その行きつく先が怖くなり、上京して山谷に紛れ込んだ。そこで目立たぬようにまじめに斡旋された仕事をこなした。

近代までは労働力の収集派遣は「人買い」とも呼ばれたし、或いはやくざの本業でもあった。現代では派遣会社が同じ仕組みで法的に運営を行っている。
そんな労働者のみが圧倒的に弱い立場だったのを、春日老人は今にして理解する。
バブルがはじけた後、次第に簡易宿泊所は萎縮していった。関西に戻ってのち、春日老人は脳梗塞を起こした身を公園の青いテントから一度病院に運ばれたのである。
最近は、リハビリの効果が目に見えてきた。長い木の枝の、手に余る程の握りの棒を杖として、ほとんど一人で歩く。

牛山、バンドの若いもん、春日、四人で仕事に出かけた。ここは何としても、人生のすべての知恵と経験をかけて東天アパートの生存のリスクに戦いを挑まねばならない。春日老人には何の不安もなかった。今こそ彼の生きてきたことに意味が付与されるのだ。
彼らが夜に帰ってきたとき、集団は他の住民で動ける者も加わり、それに赤松陽司も小園佑子も一緒だった。

第五章 遥かな道( 1 / 2 )


「春日さんには参ったなあ。俺を殺してみろ、ちゃんと殺されてやる、その代わりほっとくんや、お前らの行く末がこの俺や、自分を殺してみろ、それも出来んならこの辺の元締めから逃げ出すんや。命のあるうちに。深入りするなや。さあどうする。俺を殺すか。よう殺さんか。生まれ変わるか」


バンドの二人が上手に再現してみせるので、全員が心から笑った。
「そこで赤松さんは説教するは、小園さんは説得するは」
「でも春日さん、大丈夫。疲れたやろ。さあ、みんな夕食食べよ。ありがとう、春日のおじいさん」
全員が小山幸平の振る舞いを受けた。狭い部屋が暑くてたまらなくなると、庭に出てそれぞれの踊りを踊った。

翌日は快晴であった。画家とシンガーソングライターと、用心棒の一行は駅前の広場に場所を移した。ここなら交番も近い。町役場への許可に関しては赤松陽司が手を打ってくれていた。
数日するとよその町からも、観客がくるようになった。といっても列が三重になるくらいだが。春日老人が例の杖を手に、少し離れて無言の圧力を及ぼしているせいか、芸術活動は滞りなく発揮された。

特にバンドが心も浮き立つようなリズムで人生の応援歌のような歌詞を歌うと、リズムの波が観客の中に生じる。ついには誘い出されるように中学生くらいの連中が両手両足をくねらせ、腰を巧みにリズムに乗せてそこらで踊り始めた。アメリカのストリートダンスをまねたり、学校の体育祭でやらされたソーラン踊りを数人で行うようになった。
カラオケ気分で、バンドに曲を注文してマイクなしで歌いだす者、演歌にあわせて踊るおばあさん、観客だった人々がそれぞれが好きに動いて参加した。最後には理由もなく、ありがとう、といって寄付してくれるのだった。

沈みがちで自分を抑えがち、人の目を気にしがちな普通の人々の固い殻も、滝野駅前広場ではカチンとはじけてもいいんだ、というそんな雰囲気が定着していった。
小山幸平となずさの親子もその輪の中で、理由もなく笑いに笑い、笑いすぎて涙をにじませ、気を許して手を握り合う。そしてできるだけ踊ってみた。

東天
作家:東天
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