「そうかぁ、最も強大な殺傷者である我々のみが、この殺生のシステムを壊滅させられる。その能力を培ってきた。これには悪魔も思い及ばなかったやろう。ざまみろ」
小山なずさの疲れた前頭葉は、決して脳が許さないようなことを考えさせた。
「死んで意識が無くなる。それで苦労が絶えるのは良いとして、しかし、何でエネルギー不滅の法則やねん!ああ、いやや。自分が悪の存在やて。時には美しいこの世も殺生の世界を巧妙に隠すためやて。美しさも善も囮作戦なんやな。自分で自分を騙しとんのか!」
怒りと絶望とショックの渦に巻き込まれ、小山は、我を忘れてカイコさんに愚痴った。
「なあどう思う、カイコさん」
命の恩人のカイコさんにしがみついた。
二人とももう余り匂わなくなっている。体を清拭したり、時には町のなんとかランドに、洗い立てのこざっぱりした格好で出かけて、何食わぬ顔でお湯に浸かった。冬に臭っていた二人ではなかった。
「しょ、しょない。な、しょない。どしょもない」
と、カイコさんはしがみつかれて困っていた。
小山の言うことはうわ言のように思ったのだろう。
二人とも、少しずつ喋ることの出来るパートナーとなっていた。
「誰かをころ、殺したいの、んか」
「今生きてるものを殺すのは矛盾やんか。殺生の上塗り」
「よかったぁ、どしょうか思た」
「ごめんな」
一息ついて、カイコさんが世間話のついでのように、
「わたしなんか、昔男を殺したよ」
とあっさり告白した。
「石のような子やって、父ちゃんが怒鳴った。学校は大変やった。男もぶった。石のように黙っていたんやけど、みんなますます叩いたんよ」
淡々と作文のように話す。小山はカイコさんを抱きしめた。
「そ、それで」
「ある夜な、男が眠ったときな、もうお前は充分我慢した、よろしい、って誰かが許した。それで息の根を止めた」
「嘘やろ!」
と、小山は思わず叫んだ。
「ウウン、血がどくどくって」
憎むべき卑小な哀れな男は、簡単に生涯を閉じた。その後のことは、余り意識に無いらしい。
カイコさんの身体を抱いて揺すりながら、そうか、そうか、と小山は自分に呟いた。
きっと罪を償ったり、治療されたりしたのだろう。その時だれかが、きっと小園佑子さんのような人が世話してくれたのだ。
そしてこんな小さな共同体の、山と野原と小さな町のそばの、このアパートに暮らすよう取り計らってくれたのだ。
善良で素朴でだれに害も与えない何も求めないカイコさんがこうして、その死のときまで静かにここで暮らす。
「ついでに私を、救う気なんか無しに、生き延びさせてくれた、生まれたからにはやがて死の時が来るまで」
「金や権力、名誉に憑かれた連中は、欲と好奇心にかられて、やがて決定的に踏み出してしまうだろう。栄華のさいちゅうに地球が破滅するまで。それは間違いないし、そうあるべきだ。でも、私ら、それについて行けなかった者は絶滅の日までも貧乏の悲惨な毎日が続くわけやなあ」
と、小山が呟くのをカイコさんはじっと聞いてくれる。
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「というか、向こうは勝手にやってもろたらいいんやけど、こっちら、こっちらで静かに生きる算段をせなあかん。飢え死にとか凍え死にとか自殺とか、それはやはり可哀想やもん、人間の尊厳とか言うわけやないけども。尊厳が欲しかったらそれに値いせなあかん。人間の尊厳なんて、高望みというもんや、ねぇ。悪業のなかでも、悪行を避けられなくとも、幽かに生きる方法を探す」
小山が「かすかに」という漢字を、幽霊の幽だというと、カイコさんがヘヘ、と歯を少し見せた。
意を得たり、という感じの、小山には初めてのカイコさんの破顔であった。