とりあえず書類に書いてあった内容を思い出しながら、必要になるであろう知識を得るために裕斗は一人、図書館の前まで来ていた。気温は二十九度。じわじわとした暑さと日射しが肌を焼いていく感覚が痛い。額に浮かぶ汗をハンドタオルで拭いているが、すぐにまた汗が浮かんできてしまう。
「はやく涼しいところに入ろう……」
裕斗は小さくそう呟いて、図書館の自動ドアをくぐった。外気との温度差に少しだけ心臓がきゅうとなる。ひんやりとした風が汗がにじむ肌をなで、その冷たさに寒いとまで思ったが、人の身体というものは慣れるのが早いらしい。冷たくて気持ちが良いと思っていた図書館の気温でさえ、丁度良いものという認識に裕斗の中で変わるまで、そう時間はかからなかった。
図書館の中を歩きながら、今回の依頼のことを考える。依頼者は佐々木渚。高校二年生。もうすぐ期末試験があり、社会、主に歴史に不安があるそうだ。だから、今回裕斗は家庭教師の役を依頼され、社会を教えることとなった。期末試験までぎりぎりの時期ではあったが、考えに考えた末に、依頼してきたのだろう。
――それだけ追い詰められていたというか、自分ではもう、どうにもならなかったといったところか。
試験の嫌さは、裕斗自身感じたことが無かったが、周りの同級生を見ている分には、試験とは嫌なものなのだろう。自分自身がまだ高校生だった頃、試験の度に他の生徒が絶叫していたことも覚えている。
だからこそ、普段演じることが多い娯楽的な役柄とは別の、日常生活に十分関与しうるこの役柄は、あまり受けたくない部類だった。日常生活の責任を僅かながらに負うことになるからだ。裕斗の生活において、大半の人間は無関心という枠で覆われているため、関わることはない。けれど、今回の場合は無関心の人間に対し、その生活の一部に対する共犯者のような役柄であるが故に、普段の依頼ならばある程度自分の中にある知識と、インターネットの情報を活用して切り抜けてくることが通常だったのが、今日は図書館まで来てしまっている。
何処に出かけるのかと名前の思い出せない施設の人間に聞かれた時に、図書館だと答えたら、ひどく驚かれたのもほんの十分前ぐらいの話だ。
「さて、本を探さないと」
今の高校二年生がどこまで歴史を学んでいるか、裕斗には皆目健闘も付かなかったが、そこは弥生が赤文字できちんと書いていてくれたので、非常に助かった。そうでなければ片っ端から歴史の流れを頭に叩き込むことになっていたかもしれない。暗記力、それから速読力に富んでいる彼であっても、流石に今日一日でどうにかなる量ではないだろう。
いざという時は弥生が演じている最中に、外から手助けをしてくれるのだが、あまり借りは作りたくないというのが本音だった。彼女に借りを作って、痛い目をみたことが何度もある。
そんなことを考えながら歩いていると、目当ての本がある区画に来ていたらしい。午前中でまだ人が少ないからか、ずらりと並んだ本棚の中に、欠けている本があまり無いという状況は非常に好ましい。歴史の流れが記された本や、ある部分に特化した本を手にとる。
――流石にここも、何処が重要なのかは弥生に聞く羽目になったのだが。
それらをまずは十冊程度机に運び、一番上に置いた本から読み始める。これぐらいの文の量ならば二十分もあれば問題ないだろう。今出した本を全て読み終わっても、そして同じ数だけ本を出しても、指定された時間までは余裕で間に合う時間だ。
そうこうしている間にも裕斗が手に持っている本は、既に半分まで頁が捲られていた。