遠くの方でチャイムが聞こえ、裕斗は本に落としていた目線をあげた。どうやらもう六時間近くたっていたらしい。五時の鐘がそれを告げていた。
「道理でお腹が減っている訳だ」
意識した瞬間に鳴り始めるお腹を押さえることもなく、裕斗は携帯電話を片手に文章を打ち込み始めた。その内容は短く、今日の日替わりランチは何であったかという確認のメールであった。弥生からの返信を待つ間に、読みかけていた本に再び目を通す。
すると、数分後、丁度読み終わった頃に、弥生からの返信が届き、裕斗は少しばかり緊張した面持ちで携帯電話を開いた。
「……まさか今日がビーフシチューだったなんて」
裕斗の好物であるビーフシチューが今日のランチメニューとして出されたらしい。もっと正確に言えば、あの施設で出されるビーフシチューが、大のお気に入りだった。一度食べたときから日替わりランチでビーフシチューが来る日を毎度毎度楽しみにしており、仕事が休みでもビーフシチューを食べに施設に行くぐらいには好きだったのに。朝仕事を終えて、それから直ぐに図書館に来て調べ物をしていたため、食堂に寄る暇すらなかったのだ。すっかり落ち込んでいる裕斗の元に、まるで追い討ちをかけるかのように弥生からのメールが届く。
そのメールにはご丁寧に弥生が撮った美味しそうなビーフシチューの写真が送られてきていた。美味しかったよ、の一文を添えて。それを見た瞬間に、裕斗は溜息を大きく吐いた。あまりの衝撃に、弥生にメールを返す気力すらも残っておらず、読み終わった本をとぼとぼと歩きながら一冊ずつ片付け始める。そして、全ての本を片付け終わった瞬間、三通目のメールが届いた。送り主はもちろん、堂島弥生、だ。あまりにもタイミングが良すぎたため、見られているのかという考えが過ぎったが、流石にそこまで弥生も暇ではないだろう。
――ましてや、GPS機能で事細かに位置を把握している訳でも、図書館内の監視カメラにアクセスしている訳でもあるまい。
今度は一体何のメールだろうと、裕斗は携帯を開く。これで、完食後のお皿の写真が送られてきていようものなら、今日の仕事に支障をきたす程度には落ち込んでいただろう。
しかし、裕斗の勘は外れていた。それもいい意味で、だ。
「流石、食堂のスタッフさんです。僕がビーフシチューを好きだということを覚えていてくれたなんて」
裕斗の手に握られた携帯の画面には、“今日のお昼のビーフシチュー、食堂のスタッフが残して置いてくれたから、早く帰っておいでよ”と、そう表示されていた。無表情ながらもふわふわとした空気を纏った裕斗は、まるで誕生日プレゼントをもらった子どものように嬉しそうだったと、後に弥生に笑われることになるのだが。
普段大人びて見える彼の、珍しく年相応である十九歳の少年の姿だった。