We are the 99%では、私たちは、残りの99%だと言っているが、実はそうではない。なぜなら、個人個人価値観が違う為、一概に全部ひっくるめてというやり方は強引すぎる。
あなたが何を感じ、何を目指すのかは本来自由であるべきだ。集団を結成して何かをなすためには、団結力を導くために大きなスローガンが必要になる。We are the 99%は、同じような境遇にある人たちが集まりやすくするためのスローガンであり、その呼びかけに答えるかどうかは、あなたの価値観が判断する。
あなたがもし、その一員であると感じるのであれば、参加すればいいだけの話であり、そうでなければやめておくというのが賢い価値の示し方である。
逆に、残りの1%に入ろうとするのかどうかもあなた次第だ。結局は、1%の人間と言われている富裕層がいなければ、資本主義社会は成り立たない。資本を投入してくれないからだ。
そしてマネーゲームに飽き飽きとしても、うんざりしても始まらない。結局は、自由といえども、現代の資本主義社会に生まれてしまったという運命がある以上、自らをどこに位置づけて生きていくのかというのは、自分自身でしか決めることができない。
価値組に入りたい人たちは、きちんとした自分の価値観を持ち続けること、そして世間に流されるのではなく、自分の判断で物事の決断を下すことが大いに求められる。つまりは、自立した個人として生き抜くことが最重要課題だ。
1%の富裕層の本質とは何か。残りの99%の本質は何か。あなた自身は、どちらにも分類されず、またその勝ち負けに翻弄されることなく生きていくにはどのような行動をしたらよいのか。もっと深く価値組について知る必要がありそうだ。
では、次の章でもっと価値組を実践してみよう。もちろん、価値組に入るか入らないかもあなた次第である。
人は、価値を評価するのに、おカネを用いることがある。
AFP通信の2010年5月5日付のニュース[i]で、ピカソの絵画が史上最高額の101億円で落札されたと報じられた。落札者にとっては、101億円の価値があったのだろう。それは、落札者の「価値測定器」がそう判断させたのだ。
これは決して悪い例ではない。むしろ、歴史的な芸術作品がそれくらいの価値があると判断されたと称賛すべきである。しかし一方で、あなたの「価値測定器」は、果たしてこのピカソの絵画にいくらの値段を付けるだろうか。
今度は、違うケースを用いたい。2012年2月29日付の産経新聞の「義援金3485億円 海外からは175億円超」[ii]をご紹介する。
東日本大震災の被災者支援のため、日本赤十字社と中央共同募金会など4団体に寄せられた義援金が、総額3485億円に上ることが24日、わかった。厚生労働省によると、99.4%の3466億円が15都道県に送金され、2857億円が各市町村を通じて被災者に配られた。
日本で起きた未曾有の大災害に、日本国内からでもなく、海外からも多くの義援金が送られてきた。本当に、義援金を送っていただいた海外の方たちには感謝をしたい。そして、私たちは、日本人が結束力の高い民族であったと改めて実感をした。
私たちも、街頭のみならず、銀行振込やポイントカードのポイントで寄付をするなど、様々な方法で募金をした。もちろん、しなかった、できなかった人たちもいる。
あなたの「価値測定器」では、これの3,485億円をどう判断されただろうか。「意外と多いな」、「えっそんなもんなの」など意見は分かれそうだが、これらの義援金は、私たちの「善意」や「痛みを分かち合う精神」などの価値測定器が働いて行動した結果の現れだ。1億2千万人の人口で、これだけの善意が集まったのは、大変喜ばしいことだと感じる。
更に違うケースを引用したい。できれば、私としては使いたくない記事だが、2012年2月29日付の産経新聞の「電通契約社員を逮捕 女子中学生を買春容疑 神奈川県警」[iii]という記事。
逮捕容疑は、昨年8月23日午後、東京都新宿区のホテルで東京都東村山市に住む中学3年の女子生徒(14)に現金3万円を渡し、わいせつな行為をしたとしている。
この男は、この少女のカラダに3万円という値段をつけて買った。あなたの「価値測定器」は、どう動くのか考えてみよう。
そう、「値段が付くような話」ではないのだ。特に注意しなければならないのは、未成年者の「価値測定器」は未熟であるということ。そして、それを悪用した男が下した判断とは、卑劣であって絶対にやってはならないことなのだ。
価値を評価するのに、おカネを用いることもあるが、人間としての「倫理性」や「道徳性」といったもののが、おカネを用いるときには問われるのは、この例をみれば明らかに重要である。なぜ、この記事を使ったのかといえば、未成年者の「価値測定器」は未熟だということを示したかった。
おカネに関わるエピソードにも、ピカソの絵のような直接的価値観が作用する場合と、他の2つの例で取り上げた善意・悪意、協調性、倫理性、道徳性といった間接的に作用する価値観がある。
こうしたおカネに与える価値観を測る基準を「価値測定器」と呼び、自分なりの基準を作ってみよう。
そうすることによって、人生という限られた時間の中で入ってくるおカネを貴重に使うことができる。限られた人生のうち、自分に入ってくる分には限界がある。だからこそ、それを増やす、増やさないで勝負をしても、人生のほとんどをおカネに縛られて過ごさなければならない。
自分らしさを大切にして仕事をした結果入ってきたおカネを、最大限自分の価値観で使ってみるというのが価値組の本位であり、すなわち収入となる金銭の多寡では勝ちも負けもなくなるのだ。
Time is Money(タイムイズマネー)から、Time is Value(タイムイズバリュー)に価値観の転換を行おう。
Time is Moneyとは、文字通り「時は金なり」。時間は、お金と同じように大切で貴重であるという訓え・ことわざだが、これではおカネに縛られた考え方がいつまでたっても抜けきれない。
Time is Valueは、「時は価値なり」。限られた時間をうまく使うのも、使わないのも私たち次第だ。
私たち人間は、途方もないくらいの奇跡の確率でこの世に生きている。いくつもの奇跡を経て、いま私たちがいる。その大きな3つの奇跡をご紹介する。
① 宇宙が誕生した奇跡
② 生命が誕生した奇跡
③ 人類が誕生した奇跡
これら3つの奇跡は、その順番通りに起きなければ、現在に至っていない。
一つ目の宇宙が誕生した奇跡は、ビッグバンという今から約137億年も前にさかのぼる[i]宇宙の爆発から始まった宇宙の奇跡。宇宙が誕生した経緯は未だ謎が多いのだが、何もなかったところ、或いはものすごく小さかった宇宙が、突然爆発し、宇宙が誕生した。また、観測により、宇宙が膨張していることは知られており、宇宙は今もなお大きくなっていっている。その膨張している先端の向こうに何があるのか、宇宙が誕生する前にはその空間には何があったのか。また、宇宙が誕生する前は、そこには空間すら全くない「無」の状態であったとも言われ、それがどういう状態なのか私たちの知る由もない。
このような無限に近い、本当に天文学的な確率で宇宙は誕生した。次の生命の誕生に関する奇跡に移ろう。
2つ目の奇跡である生命の誕生は、偶然と偶然と偶然×天文学的数字の重なりとも言える。宇宙が誕生して最初にできたと言われている原子は水素とヘリウムである[ii]。そこから化学反応を繰り返し、次第にそれぞれが結びつき、何億年、何十億年とかけて、星や銀河を形成した。地球が誕生したのは、約46億年前で、約38億年前にアミノ酸などが複雑な生命分子となり、生命が誕生したと言われている[iii]。
太陽系の惑星の中で唯一地球のみ、生命体が今も活発に生き続けいる。地球が太陽を回る軌道からあと1個分内側でも外側でもずれていたら、この地球の生命体は誕生していなかったのではないかと、私は聞いたことがある。偶然なのか、それとなるべくしてなったのかはわからないが、いくつもの偶然が引き起こし結果、生命は誕生した。
そして、3つ目の奇跡は、人類の誕生である。なぜ、人類だけが知的に他の生命体を凌駕し、これだけの文明を開化させることができたのか。これも謎だらけである。最初に言葉を使ったのは誰だとか、人間が進化してきた過程で誰が最初に火を使ったのか解明できていない。発明は往々に偶然の賜りものである。私が今書いている本は、コンピュータを使って、書いている(正確には、打ち込んでいるのだが)のだが、このパソコン自体、あらゆる文化の発展と発明の繰り返しでできたものである。
私たちがこうして生きていること自体が、奇跡なのである。そして、私たち人間は生まれながらにして、限られた時間しか生きることはできない。そう、だからこそ時間には「とても」価値がある。
こうした奇跡の繰り返しともいえる過去を経て得た「価値ある時間」は、おカネでは決して代替えのできないものだ。
価値があるからこそ、人間は時間を大切に使わなくてはならない。その価値をわかって初めて人は人生の短さを知る。時間に価値を与えて有効活用するのが、価値組の時間の使い方。
* これらの宇宙に関する情報は、私たち日本の誇るJAXA(独立行政法人 宇宙航空研究開発機構)の提供する宇宙情報センターのホームページに詳しく解説されているので、一度ご覧いただくといい。
http://spaceinfo.jaxa.jp/
ここまでお話ししてきたとおり、生命は奇跡と言える過去を経て誕生した。そして、人間は、出会いと出会いが重なり合って、子孫を残してきた。それ以外の生命も同じである。植物や動物もそれぞれの出会いがある。
花が受粉させるのに小さな虫を使うように、一つ一つの生命と生命のつながりあいが、生命全体を支えている。
食物連鎖という言葉があるはご存知だろう。私たち人間を含め動物は何かを食べなければ生きることは出来ないし、その食べるもののほとんどが自然の生命である。動物は自然の生命を食べなければ生きていけない。
他の生命を犠牲にする食事の際に、日本では「いただきます」という。素晴らしい伝統であり文化であり、そして日本人の価値観の現れだ。生命の尊さを知らない限り、こういった言葉は生まれてこない。
また、人間は、命を授かりながら生きて産まれてこないこともあるし、幼いころ命を落とすこともある。それは、植物も人間以外の動物もすべての生命に言えることなのだ。人間は、こうして命の尊さを学び、生命の価値を知る。
こうした生命の価値観を失うと、人は戦争を起こしたり、いつまでも妬みが絶えず復讐として報復の攻撃をしたりする。戦争とは、生命の尊さを知らない、もしくはその価値を見失った人間の侵す、最大で最悪の犯罪である。