棒になった指輪

一 町田家( 3 / 14 )

一 町田家

一からのスタートであった。

 教えを請うている霜川プロが、

「町田さん! こんにちは! どうですか? 調子は?」

と日焼けした顔をほころばしながら、打席に近づいて来た。人懐っこい霜川の笑顔に、親近感を覚えながら、

「調子は上がっています。今日もよろしくご指導をお願いします」

と、五十球ほどすでに打っていたので息が上がっていたが、声を弾ませ、一礼した。初日に、左手の親指を右の手の平の生命線で覆う握り方から始まり、彼女の言うビジネスアワー、八時ー四時で腕を振ってピッチングウエッジの使い方を教わり、打ってみるとクラブヘッドとボールの反発で、二階席からとは言え、六十ヤード以上ボールが飛ぶことに、驚きと大きな興味を覚えた。

 毎回レッスンから帰って、タワーマンションに併設するゴルフケージで、習ったばかりのスイングを練習し、週一回の霜川プロの指導に備えていた。この練習が効を奏して徐々にではあるが、距離はともかく、確率良く真っすぐに打てるようになっていた。

 健太郎は、人と触れあっているのが好みに合い、学者の端くれでありながら孤独に哲学的に振る舞う生活は似合わない。猫的と言うよりも大いに犬的な人間である。しかし、霜川プロの、

「はい! そこで尻の穴を締めて!」

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と背後に回り、腰骨を押さえての運動部的指導には、笑い上戸なので、流石に真面目に答えるのに、少々苦労を感じる有様であった。

 元々、社交的なスポーツとしてゴルフにあこがれて、よくテレビの中継を見ていた健太郎は、

「ゴルフは良いな!」

と憧れを持って、大学の同僚達の会話を聞いていたのに、なぜこれまで手を出さなかったかについては、理由があった。

 最も大きな理由は、前妻の典子から、

「ゴルフをやるのなら離婚よ!」

と厳しく宣言されていたことで、今にして思えば、金銭感覚に乏しい健太郎がゴルフを始めたら、家計がめちゃくちゃになることを恐れた上での言葉であった。また、子育てと仕事にも忙しく、ゴルフをする時間的余裕がなかった。

 更に、二十代のアメリカ留学時代に日本人仲間の誘いで、一度パブリックコースでプレーをしたことがあった。その時練習場でクラブを振り抜いて、野球のバットよろしく手を離したため、ループを描いて飛んだクラブが、駐車していた車の天井に落ちると言う失態を演じた。おまけにコースでは仲間に置き去りにされ、あっちこっちと隣のコースにまでタマが飛び、ウロウロして打つので管理人が怒って注意した。しかし、英語が聞き取れず苦笑いと言った有様

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で、ゴルフには憧れ以外には良い思い出が無いまま、六十七才を迎えていた。

 再婚相手の香川茉莉にゴルフの経験があり、サンフランシスコでホールインワンを経験するなど、昔は鳴らした口で、ゴルフには理解があった。古いながらもアメリカで買った高級なクラブを揃えていて、捨てずに玄関脇のウオークインクローゼットの奥にしまっていた。外資系会社で彼女と同期入社だった友人夫婦の訪問を受けた折に、ゴルフの話題になり、興味があることを話すと、

「それなら練習からご一緒しましょう」

と誘われていたが、すぐにゴルフを始める気にはならなかっただけで、再婚後はすでに機は熟していたことは間違いない。

 グライダー部の同輩の誘いが、最後の一藁となって乗せられた。大学時代、年間百八十日間合宿し、同じ釜の飯を食った気心の知れた友人達と、第二の人生で再合流したいと願う気持ちが、健太郎をして、この年になってゴルフを始める動機になったことは否めない。

 ゴルフケージの中でせっせと練習することも多くなった。

「ボテ!」

「こりゃいかんなぁ!」

と健太郎はドライバーを杖に一息ついた。窓ガラスに映るこの杖を突いたような姿を見て、急に四年前に他界した母滋子のことが頭をよぎった。

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***

 

 山内滋子は、友禅職人の父と機織りの母の長女として大正十一年に京都市中京区に生まれた。家は一男六女の子だくさんで、おまけに不況のあおりで赤貧洗うがごとしを、絵に描いたようであった。こんな昭和の大不況の折に高等小学校を卒業し、西陣の呉服問屋に就職した。鼻が低いので、すっきりとした美人ではないが、愛嬌があり聡明な滋子は、職場でぐんぐん頭角を現していた。そんな折、満州国大連市で呉服屋を営む本橋田二郎とその妻百合に見初められ、田二郎の甥の小板橋英二の嫁にと請われて大陸へ渡った。巷では、国内経済の低迷による閉塞感の裏返しで、満州に活路を見出そうとする宣伝が渦巻いていた。

 小板橋英二は、東京市江戸川区で大正七年に生まれた。三男四女の子沢山な家族であった。高等小学校を優秀な成績で卒業したが、大不況のあおりで就職できないままでいた。兄の正太郎もまた就職出来ず、実家の小さな食堂を手伝っていた。そんな折、満州で成功し、羽振りの良い叔父の田二郎が帰国して、小板橋家を訪問した。そして、噂に等しいような成功した者の武勇伝を二人に語り、

「大陸で一旗上げよ!」

と鼓舞したので、そろって満州へ渡り田二郎の営む呉服屋で番頭として働いていた。

郡山 裕貴
作家:郡山 裕貴
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