棒になった指輪

一 町田家( 6 / 14 )

一 町田家

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 山内滋子は、友禅職人の父と機織りの母の長女として大正十一年に京都市中京区に生まれた。家は一男六女の子だくさんで、おまけに不況のあおりで赤貧洗うがごとしを、絵に描いたようであった。こんな昭和の大不況の折に高等小学校を卒業し、西陣の呉服問屋に就職した。鼻が低いので、すっきりとした美人ではないが、愛嬌があり聡明な滋子は、職場でぐんぐん頭角を現していた。そんな折、満州国大連市で呉服屋を営む本橋田二郎とその妻百合に見初められ、田二郎の甥の小板橋英二の嫁にと請われて大陸へ渡った。巷では、国内経済の低迷による閉塞感の裏返しで、満州に活路を見出そうとする宣伝が渦巻いていた。

 小板橋英二は、東京市江戸川区で大正七年に生まれた。三男四女の子沢山な家族であった。高等小学校を優秀な成績で卒業したが、大不況のあおりで就職できないままでいた。兄の正太郎もまた就職出来ず、実家の小さな食堂を手伝っていた。そんな折、満州で成功し、羽振りの良い叔父の田二郎が帰国して、小板橋家を訪問した。そして、噂に等しいような成功した者の武勇伝を二人に語り、

「大陸で一旗上げよ!」

と鼓舞したので、そろって満州へ渡り田二郎の営む呉服屋で番頭として働いていた。

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一 町田家

 当時は軍人が国民の憧れの的で、東條英機大将、後宮 淳大将、冨永恭次中将らは最高峰に上り詰めた軍人として尊敬されていた。中でも後宮 淳(うしろくじゅん)大将の人気は抜群で、英二も心酔していた。

 また、

「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」

のイントロで日本中の女風呂を空にし、

「東京に焼夷弾が落ちる中、偶然一緒になった見知らぬ男女が、助け合って戦火の中を逃げ惑う。命からがら銀座数寄屋橋までたどり着く。朝になって二人は、ここでようやくお互いの無事を確認して、その後、名乗らないまま、すれ違いの人生を生きて行く・・・」、

あの戦後の混乱から落ち着きを取り戻し始めた昭和二十八年放送の有名なラジオドラマ「君の名は」の主人公、後宮春樹(あとみやはるき)の名字は、この大将由来と言われている。ユーモアがあり、小柄で、はげ頭の後宮大将は、戦前戦後の一時期に一世を風靡した人物である。

 満鉄嘱託や満州国交通部顧問を兼務していて、満州にも縁が深く、渡満後、英二は、益々憧れを強くしていた。子供には、淳や力(後宮大将の父親の名前)と名付けたいと、考えるまでになっていた。

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一 町田家

 京都から送られて来る新作の反物を物色するために、店に立ち寄る色街の芸者衆には、鼻が高く端正な顔立ちで人気があったが、根が真面目一方の英二には、冷やかしとしか映らず、むしろ迷惑していた。そんな時に、本橋家の計らいで滋子が大陸へ渡ってきた。機敏に働く聡明な感じが気に入り、身を固める意味もあって喜んで結婚した。兄正太郎も新潟から来た相手と、少し前に結婚式を挙げていた。

 百合には、姉の町田 梅がいて、両親と共に満州瀋陽に渡っていたが、放蕩癖の夫に愛想を尽かして離婚した。その後生活苦もあって、両親を連れて田二郎の店に身を寄せていた。英二達が渡満の頃には、父親の捨吉は長年の大酒のせいで亡くなっていたので、町田家は、母貞と二人になっていた。

 こんな町田家の行く末を案じた田二郎の薦めで、英二と滋子は、結婚後夫婦養子となった。英二は憧れの後宮大将の故郷京都府に近い兵庫県が本籍となることに、少なからず喜びを感じていた。もちろん年金が一部の人達への恩給だけという貧しい当時の社会で、老後の保険のように養子縁組は一般的であった。もちろん表向きは家系の継続であり、町田家も清和源氏に繋がるブランドに等しい家系を誇っていた。

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一 町田家

 その当時は、庶民は子供を沢山生んで、それによって老後の保障としていた。現在でも発展途上国では、極々普通の家族計画である。世界の人口問題、出生率に関係して、こんな話がある。

 昭和四十年十一月九日にナイアガラの発電所から供給される電力が停止して起こった大停電、俗に言うニューヨーク大停電の後、出生率が大幅に上がったことから、これは夜テレビを見ることができなかったためであろうと、ある社会学者が推理して、その実証のために、開発途上国の一つの地域にテレビを送って様子を見た。しかし一向に出生率が下がらないので、現地を視察したところ、即座に納得が行った。村に一台置かれたテレビの前には、子供達と乳飲み子を子守する老人が群がっていて、生み盛りの若い夫婦は、一組もいなかった。文明の利器も、その地域の人々が認める家族計画には勝てない。

 「滋子さんは、こんなことも知らんの? 家が貧乏だと、教育が行き届かないのね!」

と、ことあるごとに貧乏な実家を種に、滋子は、呉服店に君臨していた女王百合の格好の攻撃目標となっていた。しかし、田二郎は、理不尽な言動の多い百合に媚びることなく、やるべき仕事に精を出している滋子を陰から見ていた。そして夕方には、肩叩きを所望し、周囲には聞こえないように小声で

「百合が、何と言おうが、辛抱せいよ!」

と慰めるのであった。

郡山 裕貴
作家:郡山 裕貴
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