パラドクス氏は課題のなかに巻き込まれて自己紹介を忘れたようだ。
僕らの間ではすでに共有情報となっている氏の離婚調停問題は、財産分与と親権をめぐって社会と僕らとの間にあるまがまがしい溝の深さを、まるで最終戦争のようなありさまで提している。
カツラ氏の結婚相手が、おおっぴらに自らには多くを許し、妻には服従を要求するたぐいの男であったとすれば、僕の結婚相手はもっぱら僕を彼の愛の真綿で締めつけて僕を閉じ込め不自由にした。
愛がもっとも大事だと言いながら、自分にはたくさんの活動領域を当然のように擁した、それに対し僕には一つの役割のみを要求した、彼の人生のアクセサリーだ。
僕を人形のように飾りたて自慢して連れて歩いた。
すべてを決定し買い物にも付き合った。
もう少し人件費が安かったら家政婦すら雇っただろう。
僕は、幸せな妻であるはずだった。
基本的には、パラドクス氏の婚姻関係も似たものであったらしい。
僕らは単に無い物ねだりで足るを知らざるつけあがった女である。
僕トビウオは傀儡の異名のとおり、裕福な生活の誘惑を断ち切ることのできない、どっちつかずの人間だ。
せめて、「僕」と名乗ることよってその概念が革新的な生き方の実際へと導いてくれることを、心を無にして待っているのだ。
あと二十年あるはずの寿命を使って。
カツラ氏はといえば、チャンスをうかがっている。
夫の変革が中途半端になりそうなら、飛び立った方がいいだろう。
子どもたちは飛び立っていったしカツラ氏は五十才を過ぎたばかりなのだ。
で、本題のパラドクス氏だが氏は三十代半ばで、二人の子息は十歳前後である。結婚相手はそこそこの学歴と能力をもった人物でおまけにハンサムだった。
実はその美しい外見ゆえについ若かったパラドクス氏は惚れ込んでしまったという。
結婚を迫ったのは氏の方だったそうだが、相手は気難しく心を開いてくれなかった。
つまりパラドクス氏は夫から愛されなかったのだ。
「どんなに訴えても、愛し合うことを生活のなかで実践しようと誘っても、僕を、僕の願いを人間の願いとは受けとってくれませんでした。
僕は生活のすべてを愛する夫と一緒に行いたかった。仕事も家事も育児も。
自分の領域などほしくなかった、二人で同じ領域で同じ活動をしたかったのです」
パラドクス氏はこう説明してくれた。
熱い愛情だったのだと思う。
二人の愛の証としての子どもたちをとても愛して育てた。
残念ながら、氏はいつも母子家庭のように捨て置かれた。不幸なことだった。
淋しさがその顔に現われていた。
「あの人にとって私は人間ではない。わたしの願うことは人間の願いではないのだ、あの人にとっては」
と、女言葉で当時氏は日記に書いた。
そこへ、偶然が不運と共にやって来た、大学時代の同級の知人、生物の教師になっていた女性であるが、近所に引っ越してきた。
道で出合った。言葉を交わした。
思いもかけないことが世の中には起こるものだ。
懐かしさに圧倒された、パラドクス氏の前身である女性、環さんは彼女、道代さんなる人に交際を申し入れた。