返信、トビちゃん、たぶん僕は三番手です。
通称ぐずり。グズだけど利口だからですよ、皆様。
僕は、もともとバリバリのフェミニズム信奉者ですっ。筋金入りのっ。
だから結婚などしておりません。別にホモセクシャルでもございません。
不自由はしておりませんし、こうなりますとわざわざ「僕」という必要も感じないのですが。
女の意識でけっこうヨ、女であって何が悪いノ、男性社会に切り込んでいく女性の権利をできるだけ引き上げるワ、という強い決意と確信があります。
これは理屈で学んだものではありませぬ。
生まれつきの女の自信ナノ。
もちろん女の色香など利用しません、踊らされません。
女性ホルモンは天然に働くんですから、男性ホルモンにこちらだって天然に引っかかるわけですし、この点ではお互い様のはずです。
ただ、男どもは権力欲と占有慾のために女も人間なことを忘れがちなのです。
これをちょっと教育してやれば彼らも男女同権論者に変身しますね。
このための手段として僕というもヨシ。
こんな生き方を可能にするのは僕が手に職を持っているからです。以上っ!
拝啓、四番目は多分僕かごめです。
かごの中のとり、という連想は当然当たっていますが、「かご」的存在でもあります。
運命は皮肉なものです。
僕はいわゆる平凡な生活を当たり前のこととして、女はそうして生きていくものだと思って、良妻賢母良き嫁でありました。
夫となった人、その両親、親せき、小都市の共同体の常識にピッタリ合致して生きていて、それなりによい生活でした。
思いもかけずまだ還暦前だったしゅうと夫婦が次々に倒れてしまうまでは。
ありがちな不運です。
僕は逃げられません。僕が男であれ女であ
れ、人間として逃げられません。
僕に頼りきっている人々を食べさせ洗ってやり絶えず家の中を動き回って世話することを止めるわけにいかないのです。
夫は小さな金物屋をやっていて、店を離れるわけにいかない。
二年くらいたつと、僕は過労からウツになりました。
実の親に会う暇もなく、ひたすら身を粉にし手を荒らして若い盛りをこうして過ごす事になったのは、嫁いできたからだと思うようになりました。
そしてある日、自分を締めつけているのは社会の圧力だ、と分かったのです。
同情心はあります。袖すり合うも他生の縁ではあります。
しかし夫とはいえ他人の親のために何故他人の僕がここまで犠牲になる?
理由は一つ、みんながそれを常識と考えているからだ。
嫁である女の立場の情けなさが僕を鬼にした。
いっそ彼らを捨てたであろう。
僕がいるから彼らは別の手段を考えなかった。
女を止めた。嫁を止めた。
頭の中がすっかり常識から外れた。
ただ、同情心は同じくらい強かった。
では、非人間にはなりたくない、ということであれば人間にとどまるほかない。
新しい人格を想い描き、僕と名乗った。
からだは女であり周囲も女とみなしていたが、意識は女ではなくなった。
僕、と言い続けることで別の発想と手段に至った。
嫁がすべてをしょい込む時代は終わっていたのだ。
介護保険を使い、地域のボランティアを頼み、ヘルパーや弁当配達、シフト訪問、短期入所、いろいろな方法があった。
僕を解放することは可能だったのだ。「僕」への変身は単純に人間であることの現われだった。
いかがですか、こんな自己紹介ですが。
またの機会に。