僕ら女の

第三章 結束( 1 / 8 )

「ただ、よく世間で攻撃の対象となっている、例の『のうのうと専業主婦でいたがる女』、あるいはその変形である『専業主婦すらも満足にしない女』の存在をどう考えるか。

この言い方そのものが実にこの言葉の核心を突いていますが、そんな女が居ることも事実です
けれども、しかし、考えてみると男の数パーセントは全く働かないし、あるいは女を働かせて自分がのうのうとしている訳ですが、それでも男全体が無能力だとは決して言えないわけです。

これと同様に、数パーセントの女が、好んで自分で生活を支えない方を選ぶからと言って、こんなにも簡単に女と家事を結びつけ価値の低い者と貶める社会であっていい理由はありません。

この歴史は、連綿と続いてきた。女性たちは社会進出をある程度果たしたが、それはいっそうの困難を与えている。ジレンマのなかに閉じ込められている。

女性自身の性意識が自らを不自由にし、苦しめている。そうですよね。
僕はこの前まで、こんなことを思う自分はおかしいのだ、わたしがわがままなのだ、と自分を責めていて、しかも虐げらているという確信のためにパニックになって眠ることもできなかったのです。」

カツラ氏のこんな告白を、僕は視線を外すことなくじっと聞いた。
僕たちは、全くの意見の一致を見た。そして声をそろえて言うのだった。

「僕らは男だ。
これからの長い変革の道のりを歩むとき、女性としてそだった意識をねじ曲げるよりも、すっぱりと捨ててしまうことにしたのです。
自分は男だ、と考えることにしたのです」


僕たちはお互いのしわやシミのあるくすんだ顔を見つめ合った。
化粧っ気のないのは自分が女性ではないという印だった。
しかし淡い色のマニキュアをつけているのは、自分が権力意識を持った男性ではない、という印だっ
た。
快楽享受了解であれば、ないしはさらに受胎了解であればその印として、何かを特別に付け加えたであろう。
時代を反映せざるとえないとして、口紅やヒールやアルコールや美しい靴下とか?


「少し月並みですか?」

僕たちはどちらからともなく、こんなことを了解しあいながら歩き続けていった。
何か生まれてきそうな具合だった。

第三章 結束( 2 / 8 )

 僕はすでに精力的に同志を探していたのだが、
全国で、こんな生き方を選ぼうと確信した女
性が七人になったので特別なサイトを起ち上
げようということになった。

 ここまでは予想の範囲内である。
 どうしても反旗を、のろしを上げるつもりで
はいた僕だけれども、ここに至っても実はこ
れまでと同様次に打つ手がわかっていない。
 そこが僕らの僕らたる由縁である。そこが面
白くかつ困難な点である。次の一行をどう書
いていくか。
 僕は正直なところを書いて掲示板に配信した。
僕たちのサイトはまだ仮の姿で、掲示板のみ
からなっているようなものだった。


皆様、どんな日常ですか。
傀儡トビウオです。
先日は高らかにのろしを上げるべき宣言を
共に確認しあいましたが、次の一歩を踏み
出すには、まずどんな言葉を発するか、そ
の一言についての考えや如何。セッサタク
マ(失礼、変換できません)して道を
造っていく僕らです。
なお、お互いはじめてですので自己紹介も
かねた返事よろしく!

トビウオ氏、一番です。つまり君に最初に
施術された和子こと仮の名カズです。
僕の出発点は比較的明白な、最近世に悪名
をはせるDV、ドメスティックヴァイオレ
ンス被害者です。肉体的虐待でした。
君は男だ!とムチのような一言で僕は、部
屋の隅で頭を抱えてぐずぐず考えたり悲鳴
を上げたり、自分が悪いのだ、彼もそのう
ち変わるのではないか、逃げてもかえって
怖い、どこに逃げよう、とか、考えるのを
止めた。すっくと立った。きっと振り向い
た。まなこを見開いた。「お前こそ、くず
だぁ!」と怒号した、いすを振り回して夫
の脚を払い、倒れた顔にゴキジェットをふ
りかけた。死ぬ覚悟だった。
以上手荒な自己紹介でした。
ところでまずは、サイトの命名をどうしま
すか。ノーモア性別役割、とかあからさま
に核心を言葉にするか、比諭を使うか。僕
は言葉の分野をあまり得意でないので、サ
イト全体の色調や、文字色による印象を考
えてみましょうか。

第三章 結束( 3 / 8 )

拝啓、二番目です。通称森です。
僕の提案は、まさにこの「僕」という字の
ことなのですが、男性言葉のなかでへりく
だった自己判断を示していて、まだ女性
だったときはもっとも好きな言い方でした。
で、「僕」つまり下僕の僕ですが、これ以
外に何か考えられるでしょうか。女でない、
とか中性だとか、そんなものでは力になら
ない、だからこそ「男である」、という意
識を植えつけて女性役割からすっくりと足
を洗うためのキーワード、大事な自己名称
です。別案があるのではなく、ただ一考の
価値があると思ったので。

ところで、自己紹介のようなもの。

僕の場合も結構明白でした。夫婦とも中学
校教員、年齢も仕事の中身も給料も疲れも
差がなくて帰宅後も何かと仕事絡みです。

小学生の子供二人、家事の分担は必要不可
欠でした。二人で料理するのではなく、一
人ずつ時間が取れるように分担することで
す。いろいろ試しました。料理と茶わん洗
いに分ける、掃除と洗濯同時進行で家事時
間短縮、あるいは一日交代、一週間交代、
ときには出前、時には市の派遣お手伝いを
頼みます。
余談ですが、セックスも臨機応変に設定を
変えて可!! すんなり移行派です。

第三章 結束( 4 / 8 )

返信、トビちゃん、たぶん僕は三番手です。
通称ぐずり。グズだけど利口だからですよ、皆様。

僕は、もともとバリバリのフェミニズム信奉者ですっ。筋金入りのっ。

だから結婚などしておりません。別にホモセクシャルでもございません。
不自由はしておりませんし、こうなりますとわざわざ「僕」という必要も感じないのですが。

女の意識でけっこうヨ、女であって何が悪いノ、男性社会に切り込んでいく女性の権利をできるだけ引き上げるワ、という強い決意と確信があります。

これは理屈で学んだものではありませぬ。
生まれつきの女の自信ナノ。
もちろん女の色香など利用しません、踊らされません。

女性ホルモンは天然に働くんですから、男性ホルモンにこちらだって天然に引っかかるわけですし、この点ではお互い様のはずです。

ただ、男どもは権力欲と占有慾のために女も人間なことを忘れがちなのです。
これをちょっと教育してやれば彼らも男女同権論者に変身しますね。
このための手段として僕というもヨシ。

こんな生き方を可能にするのは僕が手に職を持っているからです。以上っ!



拝啓、四番目は多分僕かごめです。

かごの中のとり、という連想は当然当たっていますが、「かご」的存在でもあります。

運命は皮肉なものです。

僕はいわゆる平凡な生活を当たり前のこととして、女はそうして生きていくものだと思って、良妻賢母良き嫁でありました。

夫となった人、その両親、親せき、小都市の共同体の常識にピッタリ合致して生きていて、それなりによい生活でした。
思いもかけずまだ還暦前だったしゅうと夫婦が次々に倒れてしまうまでは。
ありがちな不運です。

僕は逃げられません。僕が男であれ女であ
れ、人間として逃げられません。
僕に頼りきっている人々を食べさせ洗ってやり絶えず家の中を動き回って世話することを止めるわけにいかないのです。
夫は小さな金物屋をやっていて、店を離れるわけにいかない。
二年くらいたつと、僕は過労からウツになりました。

実の親に会う暇もなく、ひたすら身を粉にし手を荒らして若い盛りをこうして過ごす事になったのは、嫁いできたからだと思うようになりました。

そしてある日、自分を締めつけているのは社会の圧力だ、と分かったのです。
同情心はあります。袖すり合うも他生の縁ではあります。
しかし夫とはいえ他人の親のために何故他人の僕がここまで犠牲になる? 

理由は一つ、みんながそれを常識と考えているからだ。
嫁である女の立場の情けなさが僕を鬼にした。

いっそ彼らを捨てたであろう。
僕がいるから彼らは別の手段を考えなかった。

女を止めた。嫁を止めた。
頭の中がすっかり常識から外れた。
ただ、同情心は同じくらい強かった。

では、非人間にはなりたくない、ということであれば人間にとどまるほかない。
新しい人格を想い描き、僕と名乗った。
からだは女であり周囲も女とみなしていたが、意識は女ではなくなった。
僕、と言い続けることで別の発想と手段に至った。
嫁がすべてをしょい込む時代は終わっていたのだ。

介護保険を使い、地域のボランティアを頼み、ヘルパーや弁当配達、シフト訪問、短期入所、いろいろな方法があった。

僕を解放することは可能だったのだ。「僕」への変身は単純に人間であることの現われだった。
いかがですか、こんな自己紹介ですが。
またの機会に。

東天
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