ドクターの研究室は広く、入口右手に高級なソファー、
左手には、モニターテレビ12台、ロボット3台。
窓際のサイドボードには、いくつものトロフィー。
「ゴルフ、チェス、ビリヤード、フェンシング、サーフィン、
フレンチスピーチコンテスト、ショパンコンクール、
これはすごい。さすが天才!」
拓也はいくつかのトロフィーの賞を読み上げた。
「学生時代の遊びですよ」
「ところで何か重要な話でも?」
「ええ、きわめて重要です。大学と関係ある」
「いったいどういうことでしょうか?」
拓也は皮製のソファーに腰掛ける。
「どうぞ」
ドクターはジャスミンティーを置くと正面に座り、
15センチほどの細長い葉巻に火をつけた。
「いや、先生は吸われませんでしたな。失礼してよろしいですか?」
「まったくかまいません。話とは?」
「今の段階では、大学の運営にもかかわるものですから、
すべてをお話しすることはできませんが、
お耳に入れておいたほうがいいかと思いまして」
「と、言いますと?」
拓也は身を乗り出す。
「自殺未遂がありまして、その患者はこの病院で治療しています」
「はあ、自殺未遂。大学とどのような関係が?」
「患者は当大学の女学生です」
「え!何か事件にでも巻き込まれたとか?」
拓也の声は、一オクターブ高い声。
「事件と言えば事件ですが、
患者の自殺未遂の原因が重大事件といえます」
「原因とは?」
「原因は、神の子を流産したことです」
「神の子?」
カップを運んでいた手が、急に止まる。
「患者はある新興宗教の信者で、教祖の子を懐妊したのです。
ところが、その子を流産したわけですよ」
「教祖の子をですか。しかし、神の子じゃなくて、人間の子じゃないですか」
「ところが、信者にとっては、神である教祖の子は神の子なのです。
今でも、目を離せば自殺しかねません。厳しい監視が必要です。
また、教祖の子を出産した女性は20人以上いると聞いています。
今、大学内にも、学生だけに限らず信者がいると聞いています。
今年に入り、中退、留年が急に増えました。
御父母から何件かの捜索願いがあり、
警察による教団の捜査が進められています。
これ以上は、時機を見てと言うことで、内密にしておいてください」
ドクターは拓也から目をそらし、葉巻を静かに吸う。
「はい。しかし、僕にはまったく理解できません。神の子とは」
「ただ、医者として言えることは、信者になる多くの女性は小さいときから、
禁欲的なしつけを受けた女性と言えます」
「と、言いますと?」
「彼女たちは小さいときから人間との性行為は罪悪である、
と言われて育ってきたのです。
そのため、人間の男との性行為を否定しなければなりません。
しかし、人間である女性は男を本能的に求めていきます。
誰しも人間の本能的性欲を死ぬまで抑圧し続けることはできません。
毎日、無意識に罪にならない行為を求め、
地獄のような世界で、もがき、苦しみ、やつれていくのです。
人間は彼女たちを地獄から救い出すことはできません。
彼女たちを救えるのは、唯一、神の男、すなわち教祖です。
神の男との行為は罪にはなりません。
したがって、彼女たちは神の男である教祖との行為によって、
地獄から脱出するのです。
さらには、神である教祖との行為によって神の子を産むことを望んでいきます。
神の子を産むことは、この上ない至福をもたらすのです。
また、神の子の母になることは神に近づくことにもなるのです」
ドクターは講義でもするように淡々と述べた。
「僕にはよく理解できませんが、僕はどうすれば?」
「今は、警察に任さなければなりません。
もし、教団に誘われるようなことがあれば、私に連絡いただきたい」
「わかりました」
ドクターはこの件に関して誰かに依頼されているのか?
「診察の時間なので、先生も病室を覗かれますか?」
「いや、結構です。失礼させていただきます」
拓也は患者に出くわさないよう、逃げるように病院を後にした。
九
今日は中学生の達也君の件で、今つき合っている瞳が来る。
瞳は近所に住んでいた幼稚園からの幼なじみ。
6年前、3年に一度開催される世界数学者会議が奈良で開催された。
拓也は大の親友であるシルベスター博士と奈良公園で鹿に餌をやっていた。
そのとき、偶然、20年ぶりに瞳に再会した。
女神のいたずらか?
その再開が新しい人生の第一歩となった。
もう、そろそろやってくる。
「タクヤ、いる?」
弾む女子高生のような声。
「暑かっただろう」
この暑さで瞳の胸の谷間から汗が噴出している。
「もうだめ!」
服を一気に脱ぎ、バスルームに飛び込む。
「タクヤ、心配だわ。近所で下着泥棒が出たって言うの。
達也だったらどうしようかと思って」
「知り合いに精神科医がいるんだが、彼が言うには心配ないそうだ。
性的興味は自然だとさ。ほっといていいんじゃないか?」
拓也はシャワーの音で瞳の声がはっきり聞き取れなかったが、
シャワーの音を打ち消すように大声で返事する。
「そうね、だといいんだけど。麗子のこともあるの」
瞳はバスルームから出ると、奥の部屋で着替えながら大声。
「え、麗ちゃんのこと」
「そうなの、アルバイトしてるみたいなのよ」
瞳は水玉のワンピースに着替えると、キッチンに跳ねてやってくる。
「アルバイトぐらい、いいじゃないか」
拓也は缶の野菜ジュースをグラスに注ぐ。
「それが普通じゃないのよ。
お小遣いでは買えないような、かなり高級なブランド品を持ってるのよ」
瞳は冷蔵庫から缶ビールを取り出す。
「おいしいわ、夏はビールね。タクヤは?」
「やめとくよ。昨日、飲みすぎちゃってね」
拓也は野菜ジュースで喉を潤した。
「変なアルバイトしてなきゃいいけど」
「気にしすぎじゃないか?」
「お小遣いはちゃんとあげてるのよ。お金に困るはずないんだけど」
「麗ちゃんはしっかりしてるから、心配ないって」
「麗子も女よ」
瞳はビールを一気にグラスに注ぐ。
あっという間にビールの泡はテーブルまで流れ落ちた。
「今の子は、ロボと張り合っているからな」
今では人間女優よりロボ女優のほうが売れている。
「まさか、あの時の私と同じことやっているんじゃないかって」
「同じことって?」
「例の女優業よ」
瞳はゴクンとビールで喉を鳴らす。
「まだ、はっきりしたわけじゃないし、考えすぎじゃないか?」
「だといいだけど。親としては、やってほしくないの。虫がいいようだけど」
「僕には女性の気持ちはわからんよ」
「麗子には普通の恋愛をして、普通の結婚をしてほしいの」
「あ、そう」
「タクヤも、6年前、女優のこと打ち明けたとき、軽蔑したでしょ」
「瞳を軽蔑なんか、するはずないじゃないか」
「なぜだかわかる?女優やったの。タクヤが捨てたからよ!」
「ちょっと待てよ。捨てたんじゃなくて、離れただけじゃないか」
「同じことよ。タクヤに見せたかったのよ。ウーン、はっきり言って、
嫉妬させたかったの。数学しか頭にないんだから。バカ!」
「僕はおくてだから・・・昔のことはよそう。
不思議だな、いつの間にかこんな関係になるとは。赤い糸で結ばれていたのかも」
「だけど、幸せだわ。過去はどうでもいいの。
今、タクヤがいてくれるから。タクヤ、食事済んだ?」
「ああ。夜はどうしようか?食べに行ってもいいけど」
「つくるわ。元気が出るもの買ってくる。6時に戻れるかも」
瞳は服を着替えると、時間を気にしているかのように飛び出して言った。
女優と瞳が言ったとき、記憶が鮮明に甦ってきた。
初めてDVDを見たのは大学4年の時。悪友が誕生日のプレゼントにくれた。
DVDのジャケットには、純白のウエディングドレスの少女。
中央に黄色い文字で書かれた「夢見る乙女」。
右上には赤い文字の人間女優・早乙女 愛。
ロボ女優より、人間女優のほうが値段が安い。
拓也はケースからDVDを取り出すと、そっとトレイに入れた。
瞬間、目を疑った。目の前にいるのは瞳だった!
「え!瞳?まさか、似ている、確かに似ている」
とっさに拓也は画面に声をかけると、呆然と映像に見入った。
拓也がこのDVDの女性が瞳であることを知ったのは、今から6年前。
瞳と奈良で再会したとき、拓也は浦和のお店のことを知った。
自分から瞳に会うのは、律子を裏切るようで躊躇したが、
会うことを実行する決意が心の底で芽生えていた。
律子に出張の話をした拓也は、メモに記された「スナックヒトミ」
第一カトレアビル3Fの住所に向かった。
銀色文字の「スナック*ヒトミ」を確認すると、静かにドアを開けた。
中は薄暗く静かで、右手のソファーではサラリーマンと思われるお客が7,8人。
ホステスたちと楽しそうにペチャクチャ。
カウンターに目をやると、ヒトミがカウンターの客にグラスを手渡していた。
拓也に気づいた15,16歳と思われる赤のドレスのホステスが、
「いらっしゃいませ」と明るく声をかけた。
条件反射のようにドアのほうに顔を向けた瞳は、
驚きを隠した笑顔で口を少し動かした。
「タクヤ!」
声はかすかであったが、あの懐かしい女子高生の声。
「やあ」
拓也は足元を気にしながら、カウンターの席につく。
「すぐにわかったでしょう」
化粧は大人の瞳をつくっていたが、笑顔は少女のときと同じ。
「ああ」
拓也は学生のように軽い返事。
「奥があいているわ」
瞳の甘い香水は、拓也を奥のテーブルに誘う。
拓也はより薄暗いテーブルのソファーに腰を落とす。
肌を感じるほどに近くにいる瞳。
瞳の笑顔がキャンドルライトに浮かぶ。
瞳は膝で喜びのサインを送りながら、
白い手に包まれたグラスをそっと正面のコースターの上に置く。
「瞳がこんなに近くにいるとはね」
女子高生とまったく同じ笑顔は、瞳への気持ちを活火山のように爆発させた。
「ほんとね!」
「明日、会わないか?」
勝手に瞳の手を握ろうとした右手を急いで左手が止める。
「そうね、明日は休みなの。それじゃ、駅前のコスモクラシックに来てよ」
少女のような弾む声。
「ほら、駅前にあったでしょ。パチンコ屋よ。12時ころ来て。88番でやってるから」
「僕はやんないよ」
「12時には引き上げるから。ね、タクヤ」
拓也の手を軽く握る。
翌日、拓也は浦和駅裏のビジネスホテルを10時30分に出る。
駅のエレベーターで3Fに上がり、パチンコビルへの通路を歩く。
パチンコビル3Fはゲームセンター。
子どもたちが意味のわからない言葉をしゃべっている。
2Fにエスカレーターで降りると、ルパンⅢ世が大きく描かれたドア。
自動でドアが開くとロックとジャズをアレンジしたような爆発音。
人間の店員はいない。カウンターにロボ3台。
キョロキョロと瞳を捜す拓也。
「88・・・」つぶやきながら番号を目で追う。
拓也は列の中央まで歩き足を止める。
「よう!」
瞳の肩に軽く手を置く。
「見て!134029個よ!」
瞳はデジタル表示を指差すと、緊張した顔つきでピンを見つめている。
「そいじゃ、入口のところで待っているから。早めに頼むな」
拓也はコーヒーを飲むことにした。
「いいわ、もう潮時だわ」
拓也に笑顔を送る。
拓也は入口のカウンターでコーヒーを飲みながら辺りを眺めていた。
10分ほど待つ。カワユイおへそが目に飛び込む。
丈の短いブラウンのシャツを着た瞳。
笑みを浮かべレゲエを踊りながらやってくる。
あのころとまったく同じ。
「タクヤ、ごめん、お待たせ。しっかりおごるから」
「瞳、勝ったみたいだね」
「たまにはね」
瞳は500ドル札を5枚、自慢げに大きな胸の谷間にはさむ。
二人は大通りに出るとあたりを見渡す。
「タクヤ、何食べたい?」
「何にしようか」
「そいじゃ、パスタにする?チョー人気の店に行くとすっか」
「いいね!」
二人は高校生のときと同じ会話。
パスタ店の入口の前には若いカップルの長い列。
「多いな、やめとくか」
「そいじゃ・・・隣のレストランに入る?」
レストランボンジュールに入ると、二人は奥の日の当たらない席に座った。
拓也は瞳の今の仕事が気になった。
切り出す言葉に戸惑ったが、何気なく聞くことにした。
「今の仕事、長いのかい?」
「別れて、それから。タクヤこそどうしたのよ」
「僕は主張さ。まあそういうことで」
「それって、バレバレじゃない」
瞳はあきれた顔。
「今、別れたって言ったけど」
「自業自得ってやつね。5年で破滅しちゃった」
瞳は窓に視線を向ける。
拓也の気持ちを察したように、ステーキが運ばれてくる。
「おいしそうだね」拓也はナイフとフォークを手にする。
「コレって、ロボがステーションで創った肉よ。
ロボ肉もここまでおいしくなると、地球の牛さん、安心ね」
瞳はレアで焼かれた肉を切り取ると大きな口に放り込む。
「うまい。本物以上だ」
拓也は笑顔で味わう。
「ロボって、何でも創っちゃうのね」
瞳は感心しながら、あまりかまずに飲み込んでいる。
「ああ、さすがだね!」
拓也は豪快に食べる瞳の口を唖然と見ている。
瞳は赤ワインをグイっと半分ほど流し込むと、拓也の顔をしばらく見つめうつむく。
「奥さん、きれいな方でしょうね」
「いや、なんと言うか。まあ」
「タクヤ、子どもは?」
「一人、娘がいるよ。ヨシエと言うんだ」
「こっちは二人よ。女と男。レイコとタツヤ」
瞳は話し終えると、すぐに口を大きく開けて肉を押し込む。
「女で一つで、大変だね」
「そうでもないわ、母がいるから。タクヤ、浦和に主張ってことはないでしょう。
奥さんと喧嘩したんでしょう。顔に書いてあるわよ」
「女の勘にはかなわないな。喧嘩じゃないけど、羽をのばしたいだけさ」
「あら、きれいな奥さんがいるのに」
「どうだか、歯ぎしりがひどいんだぜ」
「そんなに。拓也って、女運が悪いのかしら。私を捨てたからよ」
「昔の話はよそう。明後日、帰ることになっているんだ。今夜、どう?」
「誘ったりして、後悔するわよ」
瞳はハンカチを取り出すと、笑顔で光る胸を拭く。