さやかとアンナ

拓也は風呂に入ろうと服を脱いだはずだが、いつの間にか朝。

パンツだけの拓也は昨日の夜のことをミーシャに聞いてみたが、

困った顔して「わかりません」と優しい声で一言。

ほんの少しまぶたを開ける。かすかな光。

言語化できない程の色気を持ったルミが、透き通るシルクをまとい、

蜃気楼と共に朝日の中に現れた。


すると、突然さやかが脳裏に飛び出し、目が覚めた。

起きて散歩しようかと思ったが、引力と勝負する気になれない。

しばらく目を閉じていると、暗闇から昨夜のルミとの会話が優しく聞こえてくる。

裸、ネイチャーウェーブ、マリンピュア・・・・


電話が鳴る音。7時過ぎに電話。いったい誰?

さやか?瞳?

電話に引き寄せられるように拓也は立ち上がる。

受話器を耳元に運ぶと、ドクターのフラットな声。

「はい、病院で、1時半ですね」拓也は即座に返事する。

昨日、接待を受けた手前断れない。

大学とも関係があるため、是非、病院まで来てほしいと言う。


拓也は1時に病院に到着。

目の前にはまったく予想外の建物。

確かに安部精神病院と書いてあるが、どう見ても病院には見えない。

外観は高級ホテルそのもの。どうりで精神病院が繁盛するわけだ。

少しは恐怖感が薄らいだが、足が動かない。

初めてお化け屋敷に入る気分。

拓也は思い切って受付に飛び込む。


「関と申しますが、1時半に・・」と言いかけると、

受付嬢の目が2回、青くフラッシュした。

「伺っております。しばらくお待ちください」

ピンクのスーツを着た美女ロボは、人間そっくりの笑顔で応える。

人間よりもカワユイ!

受付嬢はじっと拓也を見つめる

(きっとモニターテレビに僕の顔が映っているに違いない)


「理事長室にご案内いたします」

拓也はゆりとジャスミンを配合いたような甘い香りの後ろについて行った。

廊下の大きな窓の外には、

やしの木に似たおそらく10メートルはあると思われる木が、

約5メートル間隔で並んでいる。


拓也が目をキョロキョロさせて、

廊下を飾るピカソが描いたような絵を見ていると、

拓也の目の前に宮殿に使われるようなバロック調のドア。

「どうぞ」

受付嬢は軽く2回ドアをノックすると、ドアを開け静かに消えた。


「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

奥に陣取った威風堂々としているが、どこか孤独を感じさせる理事長席。

70歳前後の大柄で少し脂ぎった、動物園の熊のような白髪の理事長。

彼は飼育係に餌でももらいに来るかのように、

ゆっくりと拓也の方にやってくる。

かなりの肥満。ダイエットしないと・・・


「どうぞ」

拓也を座らせると、彼はソファーに沈んだ。

「いつも進(シン)がお世話になっております。

ここの理事長をやっております、進の父です」

「こちらこそドクターにはいろいろとご教授いただき、

勉強させていただいております。今後ともよろしくお願いいたします」


「初めてでしょう、精神病院は」

「は、はい、初めてです」

ソファーの左側にはモニターテレビが6台、

その前には科学者が最も愛用するロボ・PSPルークⅡ、

さらに右側にはPCが2台控えている。


「別に怖いところじゃありませんよ。気を楽にしてください」

理事長はむくんだ顔で笑顔をつくる。

「ドクターは今もこの病院で研究をなされていらっしゃるんですか?」

「やっております。女子大に勤めたのも研究のためです」

「そうだったのですか。

来年はライプニッツ大学で教鞭をとられるとお聞きしましたが」

「はい、ボストンにある精神病院でも研究する予定です。

親としては、研究もいいが、早く子どもをつくってほしいものです」


「ドクターは女学生に人気がありましてね、

立って講義を聴く学生もいるくらいなんですよ」

「日本州の女性に興味がないのか、何度お見合いをさせてもダメです。

進のやつ、アメリカ女性に骨抜きにされたのかもしれませんな。

グラマーな女性が多いですからな。ハハハハ・・・」


「失礼します。お待たせしました」

ライトブルーのスーツを着たドクターが入ってきた。

拓也は理事長に深く頭を下げ、ドクターの後について出る。




ドクターの研究室は広く、入口右手に高級なソファー、

左手には、モニターテレビ12台、ロボット3台。

窓際のサイドボードには、いくつものトロフィー。

「ゴルフ、チェス、ビリヤード、フェンシング、サーフィン、

フレンチスピーチコンテスト、ショパンコンクール、

これはすごい。さすが天才!」

拓也はいくつかのトロフィーの賞を読み上げた。


「学生時代の遊びですよ」

「ところで何か重要な話でも?」

「ええ、きわめて重要です。大学と関係ある」

「いったいどういうことでしょうか?」

拓也は皮製のソファーに腰掛ける。


「どうぞ」

ドクターはジャスミンティーを置くと正面に座り、

15センチほどの細長い葉巻に火をつけた。

「いや、先生は吸われませんでしたな。失礼してよろしいですか?」

「まったくかまいません。話とは?」

「今の段階では、大学の運営にもかかわるものですから、

すべてをお話しすることはできませんが、

お耳に入れておいたほうがいいかと思いまして」


「と、言いますと?」

拓也は身を乗り出す。

「自殺未遂がありまして、その患者はこの病院で治療しています」

「はあ、自殺未遂。大学とどのような関係が?」

「患者は当大学の女学生です」

「え!何か事件にでも巻き込まれたとか?」

拓也の声は、一オクターブ高い声。


「事件と言えば事件ですが、

患者の自殺未遂の原因が重大事件といえます」

「原因とは?」

「原因は、神の子を流産したことです」

「神の子?」

カップを運んでいた手が、急に止まる。


「患者はある新興宗教の信者で、教祖の子を懐妊したのです。

ところが、その子を流産したわけですよ」

「教祖の子をですか。しかし、神の子じゃなくて、人間の子じゃないですか」

「ところが、信者にとっては、神である教祖の子は神の子なのです。

今でも、目を離せば自殺しかねません。厳しい監視が必要です。

また、教祖の子を出産した女性は20人以上いると聞いています。

今、大学内にも、学生だけに限らず信者がいると聞いています。

今年に入り、中退、留年が急に増えました。

御父母から何件かの捜索願いがあり、

警察による教団の捜査が進められています。

これ以上は、時機を見てと言うことで、内密にしておいてください」

ドクターは拓也から目をそらし、葉巻を静かに吸う。




「はい。しかし、僕にはまったく理解できません。神の子とは」

「ただ、医者として言えることは、信者になる多くの女性は小さいときから、

禁欲的なしつけを受けた女性と言えます」

「と、言いますと?」


「彼女たちは小さいときから人間との性行為は罪悪である、

と言われて育ってきたのです。

そのため、人間の男との性行為を否定しなければなりません。

しかし、人間である女性は男を本能的に求めていきます。

誰しも人間の本能的性欲を死ぬまで抑圧し続けることはできません。


毎日、無意識に罪にならない行為を求め、

地獄のような世界で、もがき、苦しみ、やつれていくのです。

人間は彼女たちを地獄から救い出すことはできません。

彼女たちを救えるのは、唯一、神の男、すなわち教祖です。

神の男との行為は罪にはなりません。

したがって、彼女たちは神の男である教祖との行為によって、

地獄から脱出するのです。


さらには、神である教祖との行為によって神の子を産むことを望んでいきます。

神の子を産むことは、この上ない至福をもたらすのです。

また、神の子の母になることは神に近づくことにもなるのです」

ドクターは講義でもするように淡々と述べた。


「僕にはよく理解できませんが、僕はどうすれば?」

「今は、警察に任さなければなりません。

もし、教団に誘われるようなことがあれば、私に連絡いただきたい」

「わかりました」

ドクターはこの件に関して誰かに依頼されているのか?

「診察の時間なので、先生も病室を覗かれますか?」

「いや、結構です。失礼させていただきます」

拓也は患者に出くわさないよう、逃げるように病院を後にした。




今日は中学生の達也君の件で、今つき合っている瞳が来る。

瞳は近所に住んでいた幼稚園からの幼なじみ。

6年前、3年に一度開催される世界数学者会議が奈良で開催された。

拓也は大の親友であるシルベスター博士と奈良公園で鹿に餌をやっていた。

そのとき、偶然、20年ぶりに瞳に再会した。

女神のいたずらか?

その再開が新しい人生の第一歩となった。

もう、そろそろやってくる。



「タクヤ、いる?」

弾む女子高生のような声。

「暑かっただろう」

この暑さで瞳の胸の谷間から汗が噴出している。

「もうだめ!」

服を一気に脱ぎ、バスルームに飛び込む。

「タクヤ、心配だわ。近所で下着泥棒が出たって言うの。

達也だったらどうしようかと思って」

「知り合いに精神科医がいるんだが、彼が言うには心配ないそうだ。

性的興味は自然だとさ。ほっといていいんじゃないか?」

拓也はシャワーの音で瞳の声がはっきり聞き取れなかったが、

シャワーの音を打ち消すように大声で返事する。


「そうね、だといいんだけど。麗子のこともあるの」

瞳はバスルームから出ると、奥の部屋で着替えながら大声。

「え、麗ちゃんのこと」

「そうなの、アルバイトしてるみたいなのよ」

瞳は水玉のワンピースに着替えると、キッチンに跳ねてやってくる。


「アルバイトぐらい、いいじゃないか」

拓也は缶の野菜ジュースをグラスに注ぐ。

「それが普通じゃないのよ。

お小遣いでは買えないような、かなり高級なブランド品を持ってるのよ」

瞳は冷蔵庫から缶ビールを取り出す。


「おいしいわ、夏はビールね。タクヤは?」

「やめとくよ。昨日、飲みすぎちゃってね」

拓也は野菜ジュースで喉を潤した。

「変なアルバイトしてなきゃいいけど」

「気にしすぎじゃないか?」

「お小遣いはちゃんとあげてるのよ。お金に困るはずないんだけど」

「麗ちゃんはしっかりしてるから、心配ないって」

「麗子も女よ」

瞳はビールを一気にグラスに注ぐ。

あっという間にビールの泡はテーブルまで流れ落ちた。


「今の子は、ロボと張り合っているからな」

今では人間女優よりロボ女優のほうが売れている。

「まさか、あの時の私と同じことやっているんじゃないかって」

「同じことって?」

「例の女優業よ」

瞳はゴクンとビールで喉を鳴らす。


「まだ、はっきりしたわけじゃないし、考えすぎじゃないか?」

「だといいだけど。親としては、やってほしくないの。虫がいいようだけど」

「僕には女性の気持ちはわからんよ」

「麗子には普通の恋愛をして、普通の結婚をしてほしいの」

「あ、そう」


「タクヤも、6年前、女優のこと打ち明けたとき、軽蔑したでしょ」

「瞳を軽蔑なんか、するはずないじゃないか」

「なぜだかわかる?女優やったの。タクヤが捨てたからよ!」

「ちょっと待てよ。捨てたんじゃなくて、離れただけじゃないか」

「同じことよ。タクヤに見せたかったのよ。ウーン、はっきり言って、

嫉妬させたかったの。数学しか頭にないんだから。バカ!」


「僕はおくてだから・・・昔のことはよそう。

不思議だな、いつの間にかこんな関係になるとは。赤い糸で結ばれていたのかも」

「だけど、幸せだわ。過去はどうでもいいの。

今、タクヤがいてくれるから。タクヤ、食事済んだ?」

「ああ。夜はどうしようか?食べに行ってもいいけど」

「つくるわ。元気が出るもの買ってくる。6時に戻れるかも」

瞳は服を着替えると、時間を気にしているかのように飛び出して言った。


女優と瞳が言ったとき、記憶が鮮明に甦ってきた。

初めてDVDを見たのは大学4年の時。悪友が誕生日のプレゼントにくれた。

DVDのジャケットには、純白のウエディングドレスの少女。

中央に黄色い文字で書かれた「夢見る乙女」。

右上には赤い文字の人間女優・早乙女 愛。

ロボ女優より、人間女優のほうが値段が安い。


拓也はケースからDVDを取り出すと、そっとトレイに入れた。

瞬間、目を疑った。目の前にいるのは瞳だった!

「え!瞳?まさか、似ている、確かに似ている」

とっさに拓也は画面に声をかけると、呆然と映像に見入った。




春日信彦
作家:春日信彦
さやかとアンナ
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