さやかとアンナ

確かに高級なブランデーだ。ブランデーは寝る前に飲むが、

一般庶民が飲むブランデーとはまったく違う。

ブランデーに関しては口が肥えているほうだが、これは違う。

生まれてはじめて経験するまろやかさとこく。

さらに、香りが最高にいい。すべて最高級というわけか。


「こんなブランデーは初めてですよ」

「このブランデーはマリンピュアと言って、

水、フルーツ、リカー、香料すべてP1・デベロ・ステーションで開発されたものです」

一種の健康ドリンクでもあるんですよ。ロボットって頭がいいんですね。

あら、ぜんぜん減ってないわ」

拓也はあわてて残りを一気に飲み干す。


「キャー、先生、お強いこと。ステキ!」

ルミはくっつくように座りなおす。

「ルミもいいかしら」

赤い唇を少し動かしながら、じっと拓也を見つめグラスを空ける。


「ルミさんは強いんだね」

拓也は少し微笑んで驚いたように言う。

「うれしい、先生の笑顔が見られて。チョット、がんばっちゃたわ。

先生ったら、怖い顔しているんだもの」

ルミの手は拓也の太股を行ったり来たり。


「ドクターはどうしたんだろう。おそいな!」

小さな声でつぶやく。

「今日はルミがお相手よ。ドクターにはママがついてるわ。先生、もっと飲んで」

拓也の手をそっと包みグラスを手渡す。


「先生はどんな感じの女性がお好きですか?」

チョコレートをつまむと、拓也の口の中に押し込む。

「ルミさんみたいな、美しくて知的な女性ですね」

(顔に似合わず気が強そう)

拓也の視線はシルクに覆われた白く長い脚の上を走り、

一気に蜜でできた唇まで駆け上がる。


「うれしい!」

なぜか、拓也の手は彼女の膝の上。拓也は少し紅潮し、

よった勢いで膝を掴む。

シルクと融合した肌の柔らかさは、毛穴まで伝わってくる。

「よかったわ、先生に気に入られて。これからもひいきにしてくださいね」

グラスを置くとルミはカウンターに向かった。


「ドクターからです」

戻ってくると、甘い香りのP2・アグリ・ステーション産のメロンを目の前に置く。

しばらくすると、ママに支えられたドクターが老人のような足取りでやってくる。

「悪い、先生」

ドクターはかなり酔っている。アルコールに弱いドクター。

「ドクターのおかげで楽しく過ごさせていただきました」

頭を下げて丁寧にお礼を言う。

「ここは先生がお好きなだけ利用できるクラブです。

ママ、しっかり、先生を覚えていてちょうだいよ」

ドクターの変なリズムをつけた口調。


「承知いたしました。先生にはルミが待っていますから、

いつでもお越しください」

ママは両手をそろえて丁寧にお辞儀する。

「ルミ、いいわね」

ルミに目配せして、命令するように言う。

「先生、お待ちしております」

ルミは命令に従うかのように拓也に寄り添い、手をしっかり握って微笑む。

ドクターは目をつぶっていたが、何か言いたい顔。


「先に失礼させていただきます」

拓也は立ち上がると、顔をドクターに近づけながら言う。

「やあ、あの件は後日と言うことで」

ドクターは独り言を言うように言って、拓也に握手を求めてきた。

この握手は何を意味しているのか判然としなかったが、

拓也は義務的に軽く握手した。


「タクシーをお呼びしますので」

ママはロボ・ボーイに合図する。

席を立つとルミは拓也にぴったり寄り添い、出口まで見送る。


拓也はドアのところで、ドクターの顔をしばらく眺める。

ドクターに何か話さなければと漠然と思ったが、ルミの甘い香りが忘れさせてしまった。

「待ってます」愛人の眼差しで見送るルミ。


タクシーに乗り込んだと思うと、靴を脱いでいる自分に気づく。

小脳が案内してくれたのであろう。

ミーシャがキョトンとした顔で拓也を見ている。

拓也はすぐにベッドに横になったが、いろんなことが頭に浮かぶ。

目を開けると天井が揺れている。


ママの態度がルミに対して何か威圧的に感じられた。

ドクターはママに何かを依頼したのだろうか?

そこは普通のクラブではない。会員のほとんどが超資産家の高級クラブ。

入会金だけでも目が飛び出る。その会員に拓也を無料でした。

脳の研究のためなのか?それとも何か別の目的が・・・・

いったい、なぜ?


ドクターは何を拓也にさせようとしているのか?

ひとたび閉じ込められると、二度と出られないドクターの実験室。

麻酔をかけられて運び込まれる拓也。

拓也の心に不吉な予感。

すでに、拓也はモルモットとしての役割をピノキオのごとく演じている。

拓也はモルモットとして、これからどんな実験に使われるのだろうか?


さやかと拓也はドクターにとってはモルモット。

二人は確かに実験台に乗せられた。

だが、この実験の成果は二人が独占している。

もし、二人を精神分析できなければこの実験はドクターにとって水の泡。

この点が物理学的実験と大きく違う。


拓也は風呂に入ろうと服を脱いだはずだが、いつの間にか朝。

パンツだけの拓也は昨日の夜のことをミーシャに聞いてみたが、

困った顔して「わかりません」と優しい声で一言。

ほんの少しまぶたを開ける。かすかな光。

言語化できない程の色気を持ったルミが、透き通るシルクをまとい、

蜃気楼と共に朝日の中に現れた。


すると、突然さやかが脳裏に飛び出し、目が覚めた。

起きて散歩しようかと思ったが、引力と勝負する気になれない。

しばらく目を閉じていると、暗闇から昨夜のルミとの会話が優しく聞こえてくる。

裸、ネイチャーウェーブ、マリンピュア・・・・


電話が鳴る音。7時過ぎに電話。いったい誰?

さやか?瞳?

電話に引き寄せられるように拓也は立ち上がる。

受話器を耳元に運ぶと、ドクターのフラットな声。

「はい、病院で、1時半ですね」拓也は即座に返事する。

昨日、接待を受けた手前断れない。

大学とも関係があるため、是非、病院まで来てほしいと言う。


拓也は1時に病院に到着。

目の前にはまったく予想外の建物。

確かに安部精神病院と書いてあるが、どう見ても病院には見えない。

外観は高級ホテルそのもの。どうりで精神病院が繁盛するわけだ。

少しは恐怖感が薄らいだが、足が動かない。

初めてお化け屋敷に入る気分。

拓也は思い切って受付に飛び込む。


「関と申しますが、1時半に・・」と言いかけると、

受付嬢の目が2回、青くフラッシュした。

「伺っております。しばらくお待ちください」

ピンクのスーツを着た美女ロボは、人間そっくりの笑顔で応える。

人間よりもカワユイ!

受付嬢はじっと拓也を見つめる

(きっとモニターテレビに僕の顔が映っているに違いない)


「理事長室にご案内いたします」

拓也はゆりとジャスミンを配合いたような甘い香りの後ろについて行った。

廊下の大きな窓の外には、

やしの木に似たおそらく10メートルはあると思われる木が、

約5メートル間隔で並んでいる。


拓也が目をキョロキョロさせて、

廊下を飾るピカソが描いたような絵を見ていると、

拓也の目の前に宮殿に使われるようなバロック調のドア。

「どうぞ」

受付嬢は軽く2回ドアをノックすると、ドアを開け静かに消えた。


「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

奥に陣取った威風堂々としているが、どこか孤独を感じさせる理事長席。

70歳前後の大柄で少し脂ぎった、動物園の熊のような白髪の理事長。

彼は飼育係に餌でももらいに来るかのように、

ゆっくりと拓也の方にやってくる。

かなりの肥満。ダイエットしないと・・・


「どうぞ」

拓也を座らせると、彼はソファーに沈んだ。

「いつも進(シン)がお世話になっております。

ここの理事長をやっております、進の父です」

「こちらこそドクターにはいろいろとご教授いただき、

勉強させていただいております。今後ともよろしくお願いいたします」


「初めてでしょう、精神病院は」

「は、はい、初めてです」

ソファーの左側にはモニターテレビが6台、

その前には科学者が最も愛用するロボ・PSPルークⅡ、

さらに右側にはPCが2台控えている。


「別に怖いところじゃありませんよ。気を楽にしてください」

理事長はむくんだ顔で笑顔をつくる。

「ドクターは今もこの病院で研究をなされていらっしゃるんですか?」

「やっております。女子大に勤めたのも研究のためです」

「そうだったのですか。

来年はライプニッツ大学で教鞭をとられるとお聞きしましたが」

「はい、ボストンにある精神病院でも研究する予定です。

親としては、研究もいいが、早く子どもをつくってほしいものです」


「ドクターは女学生に人気がありましてね、

立って講義を聴く学生もいるくらいなんですよ」

「日本州の女性に興味がないのか、何度お見合いをさせてもダメです。

進のやつ、アメリカ女性に骨抜きにされたのかもしれませんな。

グラマーな女性が多いですからな。ハハハハ・・・」


「失礼します。お待たせしました」

ライトブルーのスーツを着たドクターが入ってきた。

拓也は理事長に深く頭を下げ、ドクターの後について出る。




ドクターの研究室は広く、入口右手に高級なソファー、

左手には、モニターテレビ12台、ロボット3台。

窓際のサイドボードには、いくつものトロフィー。

「ゴルフ、チェス、ビリヤード、フェンシング、サーフィン、

フレンチスピーチコンテスト、ショパンコンクール、

これはすごい。さすが天才!」

拓也はいくつかのトロフィーの賞を読み上げた。


「学生時代の遊びですよ」

「ところで何か重要な話でも?」

「ええ、きわめて重要です。大学と関係ある」

「いったいどういうことでしょうか?」

拓也は皮製のソファーに腰掛ける。


「どうぞ」

ドクターはジャスミンティーを置くと正面に座り、

15センチほどの細長い葉巻に火をつけた。

「いや、先生は吸われませんでしたな。失礼してよろしいですか?」

「まったくかまいません。話とは?」

「今の段階では、大学の運営にもかかわるものですから、

すべてをお話しすることはできませんが、

お耳に入れておいたほうがいいかと思いまして」


「と、言いますと?」

拓也は身を乗り出す。

「自殺未遂がありまして、その患者はこの病院で治療しています」

「はあ、自殺未遂。大学とどのような関係が?」

「患者は当大学の女学生です」

「え!何か事件にでも巻き込まれたとか?」

拓也の声は、一オクターブ高い声。


「事件と言えば事件ですが、

患者の自殺未遂の原因が重大事件といえます」

「原因とは?」

「原因は、神の子を流産したことです」

「神の子?」

カップを運んでいた手が、急に止まる。


「患者はある新興宗教の信者で、教祖の子を懐妊したのです。

ところが、その子を流産したわけですよ」

「教祖の子をですか。しかし、神の子じゃなくて、人間の子じゃないですか」

「ところが、信者にとっては、神である教祖の子は神の子なのです。

今でも、目を離せば自殺しかねません。厳しい監視が必要です。

また、教祖の子を出産した女性は20人以上いると聞いています。

今、大学内にも、学生だけに限らず信者がいると聞いています。

今年に入り、中退、留年が急に増えました。

御父母から何件かの捜索願いがあり、

警察による教団の捜査が進められています。

これ以上は、時機を見てと言うことで、内密にしておいてください」

ドクターは拓也から目をそらし、葉巻を静かに吸う。




「はい。しかし、僕にはまったく理解できません。神の子とは」

「ただ、医者として言えることは、信者になる多くの女性は小さいときから、

禁欲的なしつけを受けた女性と言えます」

「と、言いますと?」


「彼女たちは小さいときから人間との性行為は罪悪である、

と言われて育ってきたのです。

そのため、人間の男との性行為を否定しなければなりません。

しかし、人間である女性は男を本能的に求めていきます。

誰しも人間の本能的性欲を死ぬまで抑圧し続けることはできません。


毎日、無意識に罪にならない行為を求め、

地獄のような世界で、もがき、苦しみ、やつれていくのです。

人間は彼女たちを地獄から救い出すことはできません。

彼女たちを救えるのは、唯一、神の男、すなわち教祖です。

神の男との行為は罪にはなりません。

したがって、彼女たちは神の男である教祖との行為によって、

地獄から脱出するのです。


さらには、神である教祖との行為によって神の子を産むことを望んでいきます。

神の子を産むことは、この上ない至福をもたらすのです。

また、神の子の母になることは神に近づくことにもなるのです」

ドクターは講義でもするように淡々と述べた。


「僕にはよく理解できませんが、僕はどうすれば?」

「今は、警察に任さなければなりません。

もし、教団に誘われるようなことがあれば、私に連絡いただきたい」

「わかりました」

ドクターはこの件に関して誰かに依頼されているのか?

「診察の時間なので、先生も病室を覗かれますか?」

「いや、結構です。失礼させていただきます」

拓也は患者に出くわさないよう、逃げるように病院を後にした。




今日は中学生の達也君の件で、今つき合っている瞳が来る。

瞳は近所に住んでいた幼稚園からの幼なじみ。

6年前、3年に一度開催される世界数学者会議が奈良で開催された。

拓也は大の親友であるシルベスター博士と奈良公園で鹿に餌をやっていた。

そのとき、偶然、20年ぶりに瞳に再会した。

女神のいたずらか?

その再開が新しい人生の第一歩となった。

もう、そろそろやってくる。



春日信彦
作家:春日信彦
さやかとアンナ
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