超短編集

天国案内人( 2 / 3 )

天国案内人「中」

ぽつんと取り残された一軒家で、久保田正弘は待ち続けていた。3年前に突然、姿を消した娘の帰りを。妻に先立たれ、大学に通う娘の美希と二人暮らしだった。帰りが遅くなる日には必ず連絡をよこした。

午後10時、11時、12時。帰ってこないのはともかく、連絡がないのが気がかりだった。最初のうちは正弘も、美希だって二十歳を過ぎた大人。遊びたい盛りだ。メールだって面倒な時もあると言い聞かせていたが、次第に良からぬ想像ばかりが浮かぶようになった。メールを送っても返してこない。電話もつながらない。正弘は自宅から出た。美希が帰ってくるであろう道をたどっていく。いつの間にか最寄り駅まで来ていた。時計に目をやると午前1時を大きく回っていた。

正弘は自宅で眠れない夜を過ごした。警察に連絡しようとも何度も考えた。しかし、小学生や中学生ではない。美希は大学生だ。一晩帰らないぐらいで警察というのも気が引けた。勤務先の市役所に欠勤の連絡をし、警察に電話したのは、結局、昼前になっていた。

失踪者の数は年間約8万人。その膨大な数を考えれば、治安のいい日本で凶悪犯罪に巻き込まれた可能性はそれほど高くはないはずだ。警察も全力を尽くしているだろう。正弘は美希の仲のいいと思われる友人と連絡を取り、彼女が姿を消した日の行動を調べた。どうやらこの日、美希は大学を午前中で早退している。「少し体調が悪い」と話していたが、それほど深刻ではなさそうだったことも、複数の友人からの証言を得た。正弘は少しだけ安堵した。深夜に友人と別れた帰り道、何者かに襲われたのではないかという不安は解消されたのだ。何か父親である自身に不満があったのかと胸に手を当ててみる。思い当たる事はないのだが、遅れてきた反抗期かもしれない。

正弘の妻、貴子は美希が中学生の時に病死した。まだ40代だった。勿論、正弘の落胆は大きかったが、それと同時に一人娘の美希が心配だった。結婚してからなかなか子供ができず、諦めかけていた時にようやく授かったのが美希だった。故に客観的にみれば、正弘も貴子も一人娘を溺愛していたのかもしれない。貴子が病死した時、美希は涙を流していた。しばらくは落ち込んでいるように見えたが、少しずつ以前の彼女に戻っていき、掃除や洗濯、それに多少の料理。死んだ母親の代わりをこなそうとしていた。


天国案内人( 3 / 3 )

天国案内人「後」

美希は出来すぎた娘だった。正弘はそれに甘えていたのかもしれない。今更ながら、もっと娘の心情を理解すべきだったと後悔した。しかし、それよりも何よりも早く戻ってきてほしい。それが無理なら無事であることを知らせてほしい。正弘の偽らざる思いだった。しかし5年、10年待っても美希は戻らなかった。そのうちに正弘は重い病を患い、病室の白い天井を眺める日々が続いた。窓の外には彼を慰めるような緩やかな雨が降っていた。

「児玉たき子さん、91歳。間違いありませんね」
「ああ。そうですけど。どうかしました?」
「天国行きが決まりました。今、歩いてきた方向をそのまま真っ直ぐ進んでください。すぐに天国に入れます」
「は、何?」
老婆は孫のような若い女性に耳を近づける。

「天国に行けますよ」
案内人の女性は少し声のトーンを上げた。
「天国?」
「はい、このまま真っ直ぐ進めば天国です」
「はあ、そう。やっと死ねましたか?」
「はい。亡くなられました」
「8年前に主人が死んでからは、私も早く死にたくて死にたくて」
「そうだったんですね。もうすぐご主人に会えますよ」
案内人は老婆をいたわるように穏やかな口調だ。老婆は心なしか足取りを軽くして天国へ向かった。


「久保田正弘さん71歳、間違いありませんね」
「はい、確かに間違いありません。ここはどこですか?」
正弘は白いドレス姿のシロツメクサの花冠をした若い女性に尋ねた。
「天国への通り道です、このまま真っ直ぐ行けば天国です」
「ああ、では私は死んだんですね」
「はい。お亡くなりになられました」
「そうですか。女房に先立たれて・・・」
正弘の言葉が途切れた。そして案内する女性の顔を凝視する。

「どうされました?」
「どうされましたって、美希お前・・・」
「美希さんとはどなたですか?」
案内人の普段の穏やかな口調は変わらない
「行方不明になった私の娘です。もう10年以上前ですが」
「その女性が私とそっくりということですか?」
「最後に見た美希と何もかも変わらない。顔も、体型も、声も」
「しかし、10年以上前の話ですよね。それでしたら、多少は外見も変わっている可能性がありますね」
「そう言われれば、その通りなんですが」
正弘は困惑した顔をして言った。

「私はこれまでここを通られたすべての方を覚えていますが、久保田美紀さんという若い女性は通られませんでした。亡くなったすべての方が天国に行ける訳ではありませんが、お嬢さんはまだ生きていらっしゃると思います」
「そうですか」
正弘は懐かしい満面の笑みを浮かべた。
「それでも最後にあなたに会えてよかった。娘と瓜二つのあなたに」
「こちらこそ喜んでいただいて幸いです」
彼女は穏やかに微笑んだ。

「こちらをまっすぐ進めば天国です」
案内人の丁寧な口調に従い、正弘は天国へと歩を進める。一度振り返ったが、女性は後ろを向いていて顔を見ることはできなかった。シロツメクサが小さく震えていた。どこからか涙が一粒だけ零れた。
kumabe
作家:空乃彼方
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