超短編集

女性銀行員( 1 / 1 )

女性銀行員

北野奈美は銀行員だ。主に窓口業務や事務処理などを担当している。現在A銀行では大幅に定額預金の高金利キャンペーンを行っている。ここ数日、奈美は客の苦情処理に没頭しているのだ。

A銀行に預金している客に高金利キャンペーンを大々的に宣伝した。しかし、今の世の中、うまい話は転がっている訳もなく、注意書きとして「普通預金から定額預金への移行は対象外」と記してあった。要するに、自宅に溜め込んでいる金、理想的なのは他行に預けている金をA銀行へ移してくれる事なのだ。

「定期に移せば、高金利になるんじゃなかったの?話が違うじゃないか」
年配男性は興奮気味だ。
「案内に、これまで預けているお金を定期に移し変えるのは、無効と書かれていたはずです」
入行して7年になる奈美は、涼しく答える。それでも、何人もの相手を繰り返していくうちに疲れは蓄積される。

奈美は銀行を退社して駅へ向かう。二人の女子高生とすれ違う。彼女らは笑いながら話していた。どう見えているのだろう、あの子達に私は。彼女たちの年代から、いくつかの恋は経験してきた。特に2年前に別れた歯科医とは結婚を意識していた。しかし、最初は優しかった彼も、付き合って1年を過ぎたあたりから、一緒にいても楽しそうでなくなり、やがて不機嫌になった。つられて私も、不満をぶちまけ喧嘩になった。私は修復のための喧嘩のつもりだったが、彼は別れたかったようだ。

29歳。30を目前に控え、孤独を感じるようになった。男勝りに仕事に集中しても、自宅に帰ると、淋しさが浮かび上がってくる。日に日に若さが、女性らしさが薄皮をはがすように、削り取られていくような気がする。これからまだ恋は出来るのだろうか?結婚は?子供は?

仕事の後、同僚と食事した帰り、すでに午後11時を過ぎていた。駅から自宅まで10分もない。しかし、光が消えた街を歩くのは少し怖い。ヒールの音が自分をますます弱くする。後ろから誰かが歩いてくる。少し振り向いたら体格の良い男性だった。男性も気を使ったのか、足を速めて奈美を抜いた。自宅に辿り着き、安堵した瞬間、皮肉にも自分が女性である事を体の奥底から感じた。

君はどんな春を迎えるだろう( 1 / 1 )

君はどんな春を迎えるだろう

初めて彼女に会った時、有人は、彼女を直視できなかった。肌は目立って白く、黒目がちな瞳、長い睫毛、長い黒髪が、彼女の色白の顔をさらに引き立てているようだった。
「世の中にこんなにも美しい人がいるのか」
有人の偽らざる感想だった。
「佐藤君、この子に仕事教えてあげて」
年配社員の横で井川杏は僕に軽く会釈した。
 
3か月が過ぎた。杏はとっくに有人の職場を辞め、現在コンビニで働いている。有人は映画館の中にいる。隣には杏の横顔がある。職場で杏に連絡先を教えたらしく、杏が仕事を辞めてから一週間ほど後、メールに杏から「今度会おうよ」とのメッセージが入っていた。二人きりで会うのは今日が5度目だ。有人は、そろそろ杏と会うのはやめようと思案していた。
 
有人は映画館のような場所が苦手だ。パニック障害という病気なのだ。窒息死する恐怖を乗り越え、電車に乗り、せっかく合格した大学も2年で中退した。この館内は大学の大教室に似ている。この日に備えて、不安を抑える頓服薬を飲んできたものの、効果のほどはよくわからない。とにかく有人は地獄と天国が同居している状態にあった。
 
ほとんど俯いていたが、映画が終わりに差し掛かる頃、杏の顔を力ない目で見た。涙ぐんでいた。映画に集中し、自分の様子に関心がないことに有人は安堵した。
 
二人は映画館を出て、近くの喫茶店に入っていた。木枯らしが枝を揺らし、辛うじてしがみついた葉々が風に揺れながら舞っていく。
「つまらなかった?」
「うん。どうも洋画は苦手だね。しかも恋愛ものだし。アクションものならともかく」
「せっかくいい作品なのに、もったいない」
杏は少々、不満げな言葉を並べたが、それ以上に自身の感動、興奮が勝っているようだった。

杏はよく家族の話をする。両親と、すでに結婚した姉と兄の5人家族。杏の柔和な顔を見れば、彼女が皆に可愛がられて、育ったことはおおよそ想像できる。そしてこの日も話し出した。
「子供のころ、柴犬を飼っていてね。それがすごく私になついてて。でもある日、突然、死んでしまったの。8年生きたのかな。その日は家族全員で泣いたんだ」
有人はその話を聞き、杏とはもう会わない決断を下した。彼女のどこにも自分の入る余地はないと感じた。
 
「また今度、メールする」
杏は笑顔だった。何よりも美しい笑顔が夕日に照らされながら、有人に哀しく焼き付いた。
「うん、わかった」

杏は背を向け、歩き出した。有人も逆方向へ歩き出した。彼は途中で振り返り、間に入ってくる人々を縫うように杏の後姿を見ていた。5階建てのビルを彼女が左へ曲がるまで。
 
有人は、桜並木を知らない若い男と肩を並べて歩く杏を想像した。
「君はどんな春を迎えるのだろう。どうか良き春を」
 
 

天国案内人( 1 / 3 )

天国案内人「前」

白髪頭の男性が、ゆっくりとした足取りで俯き加減で歩いてくる。しばらくして男性の足が止まり、顔を上げた。目の前には白のドレス姿の美しい女性。頭にシロツメクサの花冠を被っている。

「堀田耕作さん、67歳。間違いありませんね」
「はい。そうです。間違いありません」
「天国行きが決まりました。今、歩いてきた方向をそのまま真っ直ぐ進んでください。すぐに天国に入れます」

耕作は辺りを見回した。全体的に白く霧のようなものに包まれている。
「いや、ちょっと待ってください。私は死んだんですか?」
「はい。亡くなりました」
「入院していた記憶はないんですが」
「心筋梗塞だったようです」
「そうですか」
「はい」
「しかし、何とかならないもんですかね?」
耕作は少し、案内人の方を見て俯いた。
「といいますと」
案内人は怪訝な表情を浮かべた。
「ここを真っ直ぐ進めば天国という事は、引き返せば、元の世界に戻れるんですかね」
「つまり、生き返りたいと」
「まあ、そういう事なんですが」
「もっと生きたかったですか?」
案内人の口調は常に穏やかだ。
「ええ。こないだ、長男に二人目の孫が生まれたんです。初めての男の子で」
「会えたのですか?」
「はい。会えましたが、何せまだ生後3か月で、成長を楽しみにしているんです」
「結論から申しますと、残念ながら地上に戻ることはできません」
案内人の色白の顔は愁いを帯びていた。

「なぜダメなんでしょう?」
耕作は少し語気を強めた。
「あなたはすでに亡くなったのです」
「もし、引き返したらどうなるんです?」
「何も起こりません」
「というと?」
「見えない壁があり、そこから先へは進めないんです」
「そんなことはないはずだ」
耕作は独り言のように呟き、歩いてきた道を引き返していった。

30分ほど経っただろうか、耕作は戻ってきた。
「あなた、立ちっぱなしで疲れない?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「どうしても戻れません。あなたの言う通りだ」
「はい。残念ながら戻ることはできません」

案内人の女性は待たされた疲れも見せず、穏やかな笑みを浮かべていた。耕作はその女神のような顔をじっと見ていた。そしてしばらく考え込んだ末「わかりました」と案内人が示した天国への方向にしっかりとした足取りで歩いて行った。

天国案内人( 2 / 3 )

天国案内人「中」

ぽつんと取り残された一軒家で、久保田正弘は待ち続けていた。3年前に突然、姿を消した娘の帰りを。妻に先立たれ、大学に通う娘の美希と二人暮らしだった。帰りが遅くなる日には必ず連絡をよこした。

午後10時、11時、12時。帰ってこないのはともかく、連絡がないのが気がかりだった。最初のうちは正弘も、美希だって二十歳を過ぎた大人。遊びたい盛りだ。メールだって面倒な時もあると言い聞かせていたが、次第に良からぬ想像ばかりが浮かぶようになった。メールを送っても返してこない。電話もつながらない。正弘は自宅から出た。美希が帰ってくるであろう道をたどっていく。いつの間にか最寄り駅まで来ていた。時計に目をやると午前1時を大きく回っていた。

正弘は自宅で眠れない夜を過ごした。警察に連絡しようとも何度も考えた。しかし、小学生や中学生ではない。美希は大学生だ。一晩帰らないぐらいで警察というのも気が引けた。勤務先の市役所に欠勤の連絡をし、警察に電話したのは、結局、昼前になっていた。

失踪者の数は年間約8万人。その膨大な数を考えれば、治安のいい日本で凶悪犯罪に巻き込まれた可能性はそれほど高くはないはずだ。警察も全力を尽くしているだろう。正弘は美希の仲のいいと思われる友人と連絡を取り、彼女が姿を消した日の行動を調べた。どうやらこの日、美希は大学を午前中で早退している。「少し体調が悪い」と話していたが、それほど深刻ではなさそうだったことも、複数の友人からの証言を得た。正弘は少しだけ安堵した。深夜に友人と別れた帰り道、何者かに襲われたのではないかという不安は解消されたのだ。何か父親である自身に不満があったのかと胸に手を当ててみる。思い当たる事はないのだが、遅れてきた反抗期かもしれない。

正弘の妻、貴子は美希が中学生の時に病死した。まだ40代だった。勿論、正弘の落胆は大きかったが、それと同時に一人娘の美希が心配だった。結婚してからなかなか子供ができず、諦めかけていた時にようやく授かったのが美希だった。故に客観的にみれば、正弘も貴子も一人娘を溺愛していたのかもしれない。貴子が病死した時、美希は涙を流していた。しばらくは落ち込んでいるように見えたが、少しずつ以前の彼女に戻っていき、掃除や洗濯、それに多少の料理。死んだ母親の代わりをこなそうとしていた。


kumabe
作家:空乃彼方
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