白と黄

 鳥羽は、返事に少し躊躇した。確かに、二人は捨て駒に違いないと思えた。おそらく、ここという時に、モサドは二人を捨て駒として使うに違いない。先輩を見殺しにはできない。鳥羽も腹を決めた。「わかりました。先輩を見殺しにはできません。でも、いったい、どうやって、先輩と連絡を取るかです。電話やメールでは、すぐに発覚します。それと、三島さんには、先輩と僕のことは黙っていてください」安田は、少し気持ちが落ち着いたのか、ホッとした表情で返事した。「そうだな。このことは、鳥羽と俺の秘密にしておこう。三島は、びくつかなくてすむ。もし、危険な任務に就いた場合、どうやって、鳥羽にそのことを伝えるかだ。慎重にやらないと、コレだからな」安田は、右手の親指で首を切る仕草をした。

 

 鳥羽も絶対にバレない連絡方法を考えることにした。「そうです。まだ時間はあります。じっくり考えてみましょう。ところで、リノさんには、イスラエルでの研修のことは伝えたんですか?」安田は、顔をしかめて返事した。「それがだな~~。まだなんだ。それに、リノのヤツ、妊娠したみたいなんだ。困ったな~。妊娠が本当だったら、出産は、4月か、5月ってことだろ。まだ、出発時期は、はっきりしてないんだが、1年間、イスラエル研修に行くと言ったら、どう思うだろうか。いや~~、困った」鳥羽は、安田の優柔不断な気持ちが気にかかった。「先輩、モサドは、スパイです。感情に流されるようじゃ、判断ミスをして、即、やられてしまいます。リノさんには、モサド入隊の了解は取っているんでしょ。ならば、はっきりと、言わなければなりません」

 

 安田は、これからモサドになることを改めて気づかされた。万が一、リノに反対されるようだったら、きっぱりと、モサドを断ることにした。三島には悪いと思ったが、リノに反対されてまで、モサドにはなりたくなかった。「わかった。今、はっきりというべきだな。アドバイス、ありがとう。さすが、鳥羽。リノは、日本救済のモサドの仕事には賛成してくれた。俺よりも男らしい。大したもんだ。万が一、俺がやられたら、リノと再婚してくれ。鳥羽だったら、許す」目を丸くした鳥羽は、即座に返事した。「何、バカなことを言ってるんですか。死ぬなんてことは、考えてはいけません。とことん、生き抜くんです。それに、リノさんは、僕にはムリッス」安田は、ワハハと笑い声をあげて、氷が解けて水っぽくなったコーヒーを一気に飲み干した。

 

             AI脳実験

 

 86日(火)広島原爆の日。夕食後、キッチンテーブルで向かい合ったイサクとヤコブは、いつものAI脳についての雑談を始めた。イサクは尋ねた。「AI搭載は、頭頂葉が最適なのか?」ヤコブは首をかしげて返事した。「今のところ、頭頂葉が最適だと考えている。左右の海馬をAIにすることも考えたが、まずは、頭頂葉にAIを設置し、海馬と間脳に電気信号を送り、グリア細胞活性化のテストをすることにしている。しかし、当初考えていたより、かなり、やっかいだ」イサクは自分の意見を述べた。「やはり、無理があるんじゃないか。AIを設置できたとしても、AI信号は人間のニューロンに適合しないと思うんだ。シナプスの伝達物質は、単なる電子ではないんだろ。しかも、あまりにも複雑だし」

 

 腕組みをしたヤコブが一度うなずき返事した。「確かに、その通りだ。AIからニューロンへの電気作用は、今のところ、実験を繰り返さないと何とも言えない。だから、まずは、AIでグリア細胞を活性化させることにしたんだ。つまり、第一段階として、AIを使って海馬と間脳に電気信号を送る。これによって、グリア細胞を活性化させる。グリア細胞は海馬をさらに活性化させる。活性化された海馬が大脳皮質を高度に機能させる。これに成功すれば、第二段階として、左右の海馬にAIを設置し、AIデータを利用できる大脳皮質を形成する。今は、第一段階を成功させることが目標だ。まずは、エージェントAI脳を作り、次に、科学者AI脳をつくる」イサクは、AI脳の実現がまじかに迫っているように思えて笑顔を作った。「なるほど、まずは、エージェントAI脳だな」

  

 ヤコブは、話を続けた。「そうだ。第一段階の実験では、今言ったように、AI頭頂葉から海馬と間脳に電気信号を送る。それによって、グリア細胞の機能を高める。結果的に、大脳皮質の高度機能につながる。何といっても、本来、人間が持っているグリア細胞を最大限に活用することが、脳機能には不可欠だ」イサクは、笑顔で返事した。「なるほど、ヤコブがいつも口にしているグリア細胞の最大活用だな。面白そうだな」ヤコブが、身を乗り出し、話し始めた。「そうさ。なんといっても、まずは、グリア細胞の活用だ。ニューロンとグリア細胞は相互に作用しあって、脳は高度に機能するんだ。問題は、実験だ。モルモットが必要となる。しかも、猿やオラウータンではだめだ。人間モルモットが必要だ」

 イサクは、目を丸くして話し始めた。「人間モルモットか。そうだよな。AI脳は、人間でなければ、実験の成果がわからない。でも、人間を実験に使うとなると、厄介なことになるんじゃないか?」ヤコブがうなずいた。「そうなんだ。しかも、だれでもいい、というわけにはいかない。実験効果が、確認できるような人間でなければならない」イサクが質問した。「それじゃ、いったい、どんな人間がいいんだ?」ヤコブは、目を輝かせ返事した。「大学生がいい。いろんなタイプの学生を実験してみたい。でも、実験の最初は、失敗が起きる可能性は高い。そこが、問題となる。脳に損傷が残れば、知的、精神的障がい者となってしまう。でも、人体実験には、犠牲者はつきものだ」

 

 神妙な顔つきになったイサクは、尋ねた。「もしかして、あの二人を実験に使うつもりか?」ヤコブは、ゆっくりうなずいた。「もちろんさ。そのために、二人をモサドにしたんだ。二人を優秀なAI脳モサドにするつもりだ」イサクは、小さな声で尋ねた。「もし、失敗したら?」ヤコブは、唇を右上に引き上げ、返事した。「失敗しないことを祈るだけだ。いや、二人の場合、失敗するわけにはいかない。モサドだからな。そう、心配するな。今の段階では、成功率70%だ。きっと、成功する。成功した暁には、あのアホの二人も、秀才エージェントになれるってことだ。実験が楽しみだ。でも、彼らの実験の前に、数人の実験は必要だ」

 

 イサクは、うなずき返事した。「そうか。失敗しても構わない人間モルモットが必要なんだな。僕が、連れてくるということか?」ヤコブが笑顔で返事した。「いや、イサクの手を煩わせるようなそんな実験はしない。実験場所と人間モルモットは、準備できている」イサクが、首をかしげて尋ねた。「いったい、どこで?」ヤコブはニコッと笑顔を作り返事した。「イサクもよく知ってる場所だ。精神病院さ。そこなら、失敗しても、精神病の悪化ということで、うまく処理できる」目を丸くしたイサクは、大きくうなずいた。「なるほど。精神病院か。今、世界的に、うつ病の学生は多い。実験用人間モルモットが、向こうからやってくるってことか。これはいい。さすが、ヤコブ。そこなら、失敗しても、だれも文句は言わないだろうな」

 

 

 イサクの顔が、一瞬曇った。「万が一、裁判沙汰になりそうだったら?」ヤコブが、ドヤ顔で話し始めた。「そうだな。脳損傷隠ぺいのために、植物人間にして、死ぬまで入院させればいい。まあ、いざとなれば、お金で解決できる。親族にとっては、厄介者が減って、金が手に入るんだ。喜んで、金もらって帰るさ。精神病院とは、そんなところさ」イサクは、顔をブルブルと左右に振った。「恐れ入った。AI脳の実験は、ヤコブに任せるよ。俺には、気味が悪くて、ついていけない」ヤコブは、一つうなずき話し始めた。「AI脳の実験は、倫理に反する場合もあるが、脳医学においては大きな意義を持つんだ。おそらく、君は、このAI脳実験は、秀才をつくための実験だと思っているだろう。でも、それだけではないんだ。精神病治療にも役立つんだ」

 

 イサクは、精神病の治療に役に立つと聴いて、ちょっと、ホッとした。「AIで精神病が良くなるというのか?」ヤコブは、大きくうなずいた。「そうだ。精神病は、今のところ、不治の病さ。不安を取り除くために、精神安定剤を処方しているが、実は、その薬というのは麻薬なんだ。だから、これは、治療とは言えないんだ。もし、AIによるグリア細胞の活性化ができれば、ニューロン機能の活性化が可能になる。そうなれば、精神も知能も通常以上のレベルに回復する可能性が出てくる。だから、あえて、グリア細胞にこだわっているんだ」ヤコブはAI兵器科学者ではあったが、AIを使った精神病治療をも考えた実験を試みていた。初めて、そのことをイサクに打ち明けた。

 

 イサクは、安田と三島について話し始めた。「安田に、イスラエル研修の話をしたんだろ。面食らっていただろう?」ヤコブは苦笑いしながら返事した。「安田のヤツ。意外と肝っ玉が小さいな。卒業早々、イスラエルと聞いて、泡吹いてた。まあ、無理もないが、鉄は早いうちに打て、というからな」イサクがうなずいた。「確かに。でも、あの二人、モサドの過酷な研修に耐えられるだろうか?1日で脱走するんじゃないか?三島のほうは、剣道をやっているから、どうにか耐えれそうだが」ハハハとヤコブの笑い声が響いた。「まあ、いいさ。あくまでも人間モルモットにするのが目的だから、脱走しない程度に、しごいてくれ、と本部にはお願いしているから」

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
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