白と黄

 イサクがちょっと安心した表情で話し始めた。「それはよかった。マジ、二人は脱走するんじゃないかと、心配していたんだ。頭脳はないが、安田には、学生運動家としての知名度がある。日本の学生を勧誘する場合、安田は大いに役に立つ。まあ、大目に見てあげていいんじゃないか。安田は、頭も体も鍛えるようなレベルじゃない。モサドの心構えをみっちり叩き込んでもらえればそれでいい。三島は、バカだが、お金のエサでハイハイと指示に従う忠犬だ。あの二人、意外と、お買い得だったかもしれんな」大きくうなずいたヤコブだったが、安田のことが気になっていた。「三島は、お金で使える。でも、安田は、ちょっと気にかかる。安田は、同棲している相手がいて、卒業後、すぐに結婚するといっていた。問題は、結婚相手だ。ややこしいことにならなければいいが・・」

 

 イサクは安田と鳥羽の関係が気になっていた。「確かに。イスラエル研修にどう返答してくるかで、安田の気骨がわかる。そのことより、安田は、鳥羽と親友であることが気にかかかる。安田は、鳥羽にモサド入隊について話しているような気がする。ヤコブは、どう思う?」ヤコブは、首をかしげて、しばらく考え込んだ。「そうだな~。安田は、ちょっと、口が軽いところがある。う~~、話している可能性が高いな。でも、三島はいつ切ってもいいが、安田は、今のところ、必要だ。まあ、いいさ。安田には、当分の間、学生勧誘に専念してもらう。AI脳実験とAI兵器研究に関する機密情報は流さない。心配することはない。万が一、裏切れば、おきてに従ってもらうだけだ」

 

             禅

 

 三島は、市営住宅の一室で壁に向かって座禅し、心静かに将来のことを考えていた。モサドになることに不安がないといえば嘘であった。でも、高額報酬のことを思えば、モサド入隊を断る気は全く起きなかった。当然、母親には、モサド入隊のことを伝えることはできなかった。モサドの身分は、家族であっても知らせることができなかった。だから、母親には、カツラAIシステムズに就職が決まり、そして、卒業後、1年間のイスラエル研修があることを伝えることにした。三島としては、嘘をつくことは、後ろめたかったが、今回ばかりは、本当のことは言えなかった。三島は、これでいいんだ、これでいいんだ、と何度も心で繰り返した。

 

 モサドであっても、結婚は許されるが、モサドの身分は伏せなければならなかった。三島は、峰岸と結婚したかった。でも、相手には、一生、嘘を突き通さなければならないことになる。こんな、結婚生活で、うまくやっていけるのだろうか?こんな疑問がわいたが、嘘が嫌なら、結婚はできない。嘘をついて、結婚する以外ない。モサドでは、殉死すれば、家族は一生涯生活が保障される。そのほかにも、生命保険に入っていれば、お金だけでも、償いができる。これで、勘弁してもらうことにした。三島は、恐る恐る、予想していた。”俺たちには、生死にかかわる任務を負わされる、と。”死を覚悟で、モサドになる以外ない。母親にも、峰岸にも、将来産まれてくるだろう子供達にも、嘘をつき通して死ぬことになる。これは、自分の運命として割り切ることにした。

 

 お金にこだわらず警察官の道を歩むこともできる。あえて、危険な道を選んでしまった。それは、やはり、お金だけではない、日本の若者の未来のためだ。今の政治が続けば、若者は犬死していく。優秀な若者だけでも、九州に集め救済すべきだ。もはや、日本という国家は、無きに等しい。若者は、日本にこだわっている場合ではない。ヤコブが言うように、ヤマト・ヘブル国家を建国し、日本の若者は、イスラエル人と協力し合い、生き延びるべきだ。いずれ、本州は廃墟となる。一刻も早く、優秀な若者を九州に移住させなければならない。西日本で原発テロが起きてからでは、手遅れになる。九州がテロに合わないという保証はどこにもないが、今のところ、CIAの情報を信じる以外ない。

 

 静寂の中に小さな足音が近づいてきた。ドアの開く金属音とともに母の疲れた声が響いた。「帰ったよ」三島は、目を閉じたまま、大きな声で返事した。「おかえり~」耳に入ってくる音から、三島は母親のいつもの動作が想像できた。キッチンテーブルに落とされる荷物のガサガサという音。スリッパのかすれた音。フレッジが閉じるパタンという音。引きずられる椅子の足のズ~~という音。「ナニ、やっととる」母の疲れた声。三島は暗闇から出ることにした。「今行く」と即座に返事して、立ち上がり6 畳の部屋から出た。「今日は、弁当を買ってきた。疲れて、作る気せん」母親は、ここ最近、帰ってくるなり、疲れた、というようになった。三島は、お茶を入れることにした。お茶を差し出し、三島は向かいに腰掛けた。「再来年は、就職できる。もう、内定もらった」

 

 母親の目がピカっと輝いた。「内定?警察官の?」ニッコと笑顔を作り、顔を左右に振った。「違う。外資系のAIベンチャー企業。結構、給料がいい」母親は、外資系といわれ、ふに落ちなかったが、軽くうなずいた。「へ~、こんなに早く。どんなとこね、どこにあるとね」一瞬説明に戸惑ったが、心配をかけないような説明をすることにした。「今は、内定が早いんだ。外資系といっても、支店は、九州にある。でも、卒業後、1年間は、イスラエルで研修がある。頑張るけん」イスラエルと聞いた母親の顔は、一瞬引きつった。「イスラエル?ホ~、剣道しか能がないのに、よう、外資系に入れたもんやね。どんな仕事するん?」三島も具体的なことは知らされていなかった。当たり障りない言葉を並べることにした。「まあ、よく言う営業。新製品の売り込み。そんなとこ」

 

 母親には、ピンとこなかった。でも、就職が決まったことにホッとした。「よくわからんけど、内定もらえて、よかった。人生は、剣の道と同じ。しっかり自分の心に耳を傾けていたら、間違いはない。自分で選んだ仕事だったら、それでよか。仕事に、成功も、失敗もない、自分の気持ちを大切にすればよか。いえることは、それだけ。剣を捨てても、心の剣は、きっと、いざという時、助けてくれる」イスラエルと聞いて、母親はおどおどするのではないかと思っていたが、落ち着いた母親の言葉を聞いて、三島は安心した。「俺が、働くようになったら、仕事を減らして、無理せんでよか。生活費、入れるけん」母親を気遣う言葉を聞いた母親は、ニコッと笑顔を作り、お茶をすすった。

 

 

 母親は、肩の荷が下りたようで、疲れていた気分が、少しずつ薄れていくのを感じた。気分がよくなったついでに、先日、連れてきたガールフレンドをほめることにした。「この前の、ちびっこい、警察官の彼女、なかなか、気が利いて、いい子やった。結婚するとね」突然、結婚を持ち出され、顔が固まった。「ああ、あの子。まあ、まだ、先のことは、まだ、考えてない。中学からの友達、ってところやから」母親は、話を続けた。「結婚は、気が向いたときにしたらよか~。何も、親のことは心配せんでよか。あの子は、素直で、剣の心を持っとる。見どころがある。あの子だったら、申し分ない」母親は、一目見て峰岸を気に入っていた。

 

 三島も結婚したいとは思っていたが、とりあえず、1年間の研修を終えて、具体的な結婚準備の話をしようと思っていた。今のところ、モサドの過酷な研修を無事に終える自信がなかった。万が一、脱落すれば、どうなるのだろうと不安に駆られていた。「まだ、結婚は、先の先の話。それより、ムリせんように」母親は、自分のことを気遣って給料の安い警察官をあきらめ、剣の道を捨てたのではないかと気がかりだった。ガツンとハッパをかけることにした。「来年こそ、日本一にならんと。まだまだ、心にスキがある。もっと、心に向き合わんと。一瞬のチャンスは、考えてわかるものじゃない。心が教えてくれる。心が体を動かしてくれる。初心に帰って、死ぬ気でけいこせい。九州一ぐらいで、天狗になったら、天国の父さんが悲しむ。死ぬ気で、日本一になれ」

 

 これ以上話をしてると夜中まで説教されると思い、話を切り上げることにした。「わかった。来年は、優勝する。ちょっと、やることがある」三島は、腰をあげた。部屋に戻った三島は、座禅の続きを始めた。確かに、俺は、なぜか、心にスキができる。集中力が、ふと、切れるときがある。俺には、勝つ気持ちが足りないのか?何が、足りない?間合いか?気合か?勇気か?三島は、自問自答した。一つわかっていたことがあった。それは、勇気が足りないことだった。相打ちを恐れるところがあった。一瞬の恐怖を克服できないでいた。無謀に打ち込めば、相手の思うツボだ。相手のメンを待つべきか?メンを打たせて、ドウを切る。来年は、最後。もはや、理屈はいらない。自分のひらめきを信じよう。心が教えてくれるはず。

 

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
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