赤い糸

 

 やはり、一気に逃げ出せばよかったと後悔した。美緒は、いったん、追求し始めるととことん追い詰めるたちだった。これ以上話を続けていれば、変態扱いされそうに思えた。「そう、追い詰めなくてもいいじゃないか。今のところだよ。運が良ければ、将来、彼女ができるかもしんないけど。そんなところだ。もう行くけど」美緒は即座に立ち上がり、鳥羽の右肩を抑え込んだ。「何よ。別に逃げることはないでしょ。もうちょっと、付き合ってよ。そう、今は、いないけど、彼女が欲しいってことね。誰か、いい人いないかな~~。ところで、どんなタイプがいいの。顔は?スタイルは?」厄介なことになったと心でつぶやいたが、だんだんやけくそになってきた。「別に、顔とかスタイルとかは気にしない。気が合えば、それでいいよ。今まで、モテたためしがないから、彼女は、夢でいいよ」

 

 美緒は腕組み押して巨乳をグイッと持ち上げた。何か考えているような表情でじっと鳥羽を見つめた。「そうだ、同じクラスの子を紹介してあげようか。顔は、いまいちだけど、明るくて、面白い子がいるのよ。どう、一度会ってみない?千里の道も一歩から、っていうじゃない」何か馬鹿にされているようで、目を吊り上げて返事した。「今は、彼女を作る気にはなれないんだ。今、勉強も大変だし、教授のアシスタントもやっている。まあ、気が向いたら、その時は、頼む。とにかく、中年のセックスフレンドは、よくない。そういうこと、そいじゃ」顔をそむけた鳥羽に即座に返事した。「中年のセックスフレンドじゃなければ、いいってこと。そいじゃ、鳥羽君ならいいの?」

 

 さすがに今の言葉には、腰を抜かした。まさか、ここまで言うとなれば、淫乱メギツネに思えてきた。「何を言ってるんだ。俺が言ってるのは、セックスフレンドじゃなくて、同年代の男子と普通の恋愛をしたほうがいいって、言ってるんだ。まったく、俺を持ち出すなよ。意味わかんねぇ~」ニコッと笑顔を作った美緒は、ジロッと鳥羽を見つめた。「わかったわよ。そう、怒らないでよ。鳥羽君しか、友達いないんだから。そうね、もう少し、自分ひとりで、いい作戦を考えてみる。鳥羽君って、怒りんぼなんだから」鳥羽が、美緒の言葉を無視して立ち上がろうとすると間髪入れず美緒は問いかけてきた。「ゆう子先輩のこと、聞きたいんでしょ。聞きたいことがあったら、なんでも、聞いていいよ。ホクロがどこにあるか、聞きたくない?いろんなところにあるのよ」鳥羽は、ゆう子先輩と聞いて気持ちが揺らいだ。またもや、美緒のアリジゴクに落ちていくのかと思うとつくづく自分が情けなくなってしまった。

 


             最後のお願い

 

 107日(日)午前7時に起床した沢富は、南向きのベランダから雷山を眺望していた。秋晴れのそよ風は心を和ませたが、美緒とのデートを考えると気が重かった。2019年春完成予定の糸島高校前駅近くの新築マンションに今年の5月に引っ越した沢富は、美緒と午前11にマック前原店で落ち合う約束をしていた。午前1045分に地下パーキングに止めていたブルーのクロスビーに乗り込むと国道202沿いのマックに向かった。いつもは、夕方薄暗くなったころ、人目につかないように志摩総合病院の駐車場で落ち合い、美緒を拾うと沢富のマンションでひっそりとデートしていた。沢富は、人目がつくマックで会いたくなかったが、すでに、過ちを犯してしまった沢富は、指示に従わざるを得なくなっていた。

 

 約束時刻の5分前にマックのカウンターに立ち、窓際の席を見渡したが、美緒の姿はなかった。沢富は、ブラックコーヒーを購入するとかつてよく座っていた窓際の二人用テーブルに着いた。美緒と会うのは最後にしようと話す内容を昨日何時間も考えて、気合を入れてやってきたものの、いざ、これから話すと思うと、怖気づいてきた。左手のブラックをグイっと飲み干すと空になったコップを手にしてカウンターに向かった。空のコップをダッシュボックスに放置込みもう一杯ブラックを小顔の女子店員に注文した。二杯目のブラックを手にしてテーブルに戻った沢富が、窓から国道を走る車をぼんやりと眺めていると、伊都タクシーがゆっくり右折してパーキングに入ってきた。停車したタクシーのドアが開くとレザーミニスカートの美緒の姿が現れた。

 

 カウンター前に立った美緒は、お気に入りの窓際のテーブルに腰掛けている沢富を確認すると笑顔で手を振った。美緒は、オレンジジュースを購入すると自慢するかのようにHカップの巨乳をブルンブルンと揺らしながら笑顔でやってきた。正面に腰掛けた美緒のなんの悩みもないような能天気な表情を見ると沢富の心は解放されるのだったが、今日ばかりは、笑顔に屈しないようにと気を引き締めた。沢富は、自分の過ちを悔いていたが、いざとなれば、結婚という形で責任は取るつもりでいた。美緒は、結婚を拒んでいるが、だからといって、セックスフレンドで終わらせるわけにはいかなかった。全く理解しがたいことだったが、前回のデートの時、子供を産んでシングルマザーになると言い張った。もはや、一大事件に発展していた。

 

 

 


 美緒は、笑顔だけを見ていると能天気で優柔不断のように見えるが、そう簡単には気持ちを変えない頑固なところがあった。シングルマザーになることをどのように考えているのか憶測できなかったが、おそらく、子供の育成における苦難については考えていないのではないかと思えた。また、父親の存在意義についても考えてないように思えた。美緒は、物わかりのいい大人のように思えたが、社会人として考えてみると全く無知な子供のように思えた。沢富は、自分の過ちを棚に上げて道徳的説教をする気にはなれなかったが、それかといって、シングルマザーを容認する気にもなれなかった。どうやって美緒の気持ちを誘導しようかと考えあぐねていると美緒と目が合った。

 

 沢富は、ブラックをグイッと一口流し込み口火を切った。「秋晴れだ、ドライブ日和だな。そういえば、マックは、昨年以来だな~。ちょっと、懐かしく感じる」美緒は、窓の外に顔を向け、つぶやいた。これからも、ずっとずっと会えるといいね。でも、やっぱ、別れる時が来るのかな~~。さみしいな~~。サワちゃん、例の彼女と結婚するの?」セックスフレンドを続けていては、二人のためにならないと言われた時から、美緒は、沢富の結婚を直感していた。36歳になる沢富は、ひろ子との結婚を真剣に考えていた。だから、美緒との関係を続けるわけにはいかなかった。沢富は、まだ結婚の話はまとまっていなかったが、この際、来春結婚予定だと嘘を言って美緒を説得することにした。

 

 美緒は、悲観的なことを言っていた割には、表情は明るかった。勇気を振り絞った沢富は、目を吊り上げ話し始めた。「実は、そうなんだ。美緒に黙っていたのは悪かったが、来春、結婚したいと思っている。でも、美緒に対しては、責任を取りたい。だから、美緒が結婚したいというのならば、俺は、美緒を選ぶ。とにかく、シングルマザーは認めない。二人にとって、一番いいのは、二人の結婚じゃないだろうか。今でも、絶対結婚したくないというのなら、俺は、今付き合っている彼女と来春結婚する。美緒、わかってくれないか?」美緒は、聞いているのか聞いていないのか読み取れない表情で窓からぼんやりと青空を見つめていた。

 

 

 

  


 美緒は、言葉で説明できなかったが、一生結婚をしたくなかった。シングルマザーになれば、苦労するのはわかっていた。でも、結婚生活をやっていく自信が全く起きなかった。できれば、後、一年でいいから沢富とセックスフレンドでいたかった。今は、安らぎを与えてくれる中年男性とセックスを続けたかった。心も体もそう願っているのを感じ取っていた。「そう、来春、結婚するの。美緒は、邪魔ってことか。美緒がいて、サワちゃん、困ってるってわけ。そうよね。美緒と関係を持てば、不倫だもんね。そんなの良くない。でもね~~、サワちゃん、あと一年、ダメ。でも、彼女にばれたら、大変なことになるか。サワちゃんの人生をダメにしたくないし」

 

 美緒の気持ちに変化が出てきたと内心ほっとした。うまくいけば、きっぱりと別れられるのではないかと小さな期待を抱きやさしく話し始めた。「二人の将来のためだ。このままセックスフレンドを続けていても幸せはやってこない。美緒は、20歳じゃないか。もっと若いイケメンの男子と恋愛して、幸せをつかんでほしい」美緒は沢富に振り向くと小さくうなずいた。オレンジジュースを一口すすり納得したかのように返事した。「そうね、美緒はまだ20歳だもんね。サワちゃんとは違いすぎるのか。サワちゃんには重荷になるってことね。若い男子の彼氏ね~~。それができれば、一番いいんだろうけど。よし、美緒も勇気を出してアタックするか」

 

 うまく説得できたと思った沢富は、決意を確認することにした。ブラックをグイッと飲み干し美緒を見つめた。「それじゃ、今日できっぱり、別れよう。それでいいんだな」美緒は、即座に返事しなかった。残りのオレンジジュースををチュチュと飲み干し、自分を納得させるかのように一回大きくうなずき返事した。「わかれることに決めた。若い彼氏を作る。でも、今月までは、今のままでいたい。ダメ?サワちゃん」沢富は、返事に迷った。今日できっぱり別れたい気持ちでいっぱいだったが、今日で別れよう、と言えば美緒を怒らせてしまうようないやな予感がした。そうなれば、今までの努力が台無しになってしまう。最後のお願いを聞いてやることにして、承諾してやることにした。

 

 

 

 


春日信彦
作家:春日信彦
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