赤い糸

 美緒は、笑顔だけを見ていると能天気で優柔不断のように見えるが、そう簡単には気持ちを変えない頑固なところがあった。シングルマザーになることをどのように考えているのか憶測できなかったが、おそらく、子供の育成における苦難については考えていないのではないかと思えた。また、父親の存在意義についても考えてないように思えた。美緒は、物わかりのいい大人のように思えたが、社会人として考えてみると全く無知な子供のように思えた。沢富は、自分の過ちを棚に上げて道徳的説教をする気にはなれなかったが、それかといって、シングルマザーを容認する気にもなれなかった。どうやって美緒の気持ちを誘導しようかと考えあぐねていると美緒と目が合った。

 

 沢富は、ブラックをグイッと一口流し込み口火を切った。「秋晴れだ、ドライブ日和だな。そういえば、マックは、昨年以来だな~。ちょっと、懐かしく感じる」美緒は、窓の外に顔を向け、つぶやいた。これからも、ずっとずっと会えるといいね。でも、やっぱ、別れる時が来るのかな~~。さみしいな~~。サワちゃん、例の彼女と結婚するの?」セックスフレンドを続けていては、二人のためにならないと言われた時から、美緒は、沢富の結婚を直感していた。36歳になる沢富は、ひろ子との結婚を真剣に考えていた。だから、美緒との関係を続けるわけにはいかなかった。沢富は、まだ結婚の話はまとまっていなかったが、この際、来春結婚予定だと嘘を言って美緒を説得することにした。

 

 美緒は、悲観的なことを言っていた割には、表情は明るかった。勇気を振り絞った沢富は、目を吊り上げ話し始めた。「実は、そうなんだ。美緒に黙っていたのは悪かったが、来春、結婚したいと思っている。でも、美緒に対しては、責任を取りたい。だから、美緒が結婚したいというのならば、俺は、美緒を選ぶ。とにかく、シングルマザーは認めない。二人にとって、一番いいのは、二人の結婚じゃないだろうか。今でも、絶対結婚したくないというのなら、俺は、今付き合っている彼女と来春結婚する。美緒、わかってくれないか?」美緒は、聞いているのか聞いていないのか読み取れない表情で窓からぼんやりと青空を見つめていた。

 

 

 

  


 美緒は、言葉で説明できなかったが、一生結婚をしたくなかった。シングルマザーになれば、苦労するのはわかっていた。でも、結婚生活をやっていく自信が全く起きなかった。できれば、後、一年でいいから沢富とセックスフレンドでいたかった。今は、安らぎを与えてくれる中年男性とセックスを続けたかった。心も体もそう願っているのを感じ取っていた。「そう、来春、結婚するの。美緒は、邪魔ってことか。美緒がいて、サワちゃん、困ってるってわけ。そうよね。美緒と関係を持てば、不倫だもんね。そんなの良くない。でもね~~、サワちゃん、あと一年、ダメ。でも、彼女にばれたら、大変なことになるか。サワちゃんの人生をダメにしたくないし」

 

 美緒の気持ちに変化が出てきたと内心ほっとした。うまくいけば、きっぱりと別れられるのではないかと小さな期待を抱きやさしく話し始めた。「二人の将来のためだ。このままセックスフレンドを続けていても幸せはやってこない。美緒は、20歳じゃないか。もっと若いイケメンの男子と恋愛して、幸せをつかんでほしい」美緒は沢富に振り向くと小さくうなずいた。オレンジジュースを一口すすり納得したかのように返事した。「そうね、美緒はまだ20歳だもんね。サワちゃんとは違いすぎるのか。サワちゃんには重荷になるってことね。若い男子の彼氏ね~~。それができれば、一番いいんだろうけど。よし、美緒も勇気を出してアタックするか」

 

 うまく説得できたと思った沢富は、決意を確認することにした。ブラックをグイッと飲み干し美緒を見つめた。「それじゃ、今日できっぱり、別れよう。それでいいんだな」美緒は、即座に返事しなかった。残りのオレンジジュースををチュチュと飲み干し、自分を納得させるかのように一回大きくうなずき返事した。「わかれることに決めた。若い彼氏を作る。でも、今月までは、今のままでいたい。ダメ?サワちゃん」沢富は、返事に迷った。今日できっぱり別れたい気持ちでいっぱいだったが、今日で別れよう、と言えば美緒を怒らせてしまうようないやな予感がした。そうなれば、今までの努力が台無しになってしまう。最後のお願いを聞いてやることにして、承諾してやることにした。

 

 

 

 


 

 沢富は、すっと立ち上がりカウンターに向かった。ブラックを注文し、大きく深呼吸した。ついにここまでたどり着いた、やっとここまで、今度こそ、決着がつく、と心の底でつぶやいた。沢富の心は安らぎを感じていた。笑顔のかわいい女子店員からブラックを受け取るとニコッと笑顔を返してテーブルに戻った。男は黙ってブラックとちょっと気取ってググッと半分ほど飲んだ。もう一度深呼吸すると美緒を見つめ返事した。「わかった。今月までだな。それで、きっぱりと別れるんだな。約束だぞ」

 

 美緒も最後の返事を迫られ、顔が引きつった。いつになくマジな顔つきできっぱりと返事した。「約束する。今月で終わりにする」沢富は、やっと牢獄から解放されたようなすがすがしい気分に浸った。大きくうなずいた沢富は、明るい声でこれからの予定を話し始めた。「よし、決まりだ。ドライブにでも、行くとしよう。まずは、昼飯だ。肉でも食うか。な、美緒」美緒はニコッと笑顔で返事した。「上場亭(うわばてい)ね。ほんと、佐賀牛、最高。しっかり精をつけで、今夜、頑張ってね」今夜もかと一瞬気落ちしたが、今月までの辛抱だと自分を慰め苦笑いして立ち上がった。主人を待っていたかわいいクロスビーは、主人と美緒を乗せると国道202を唐津方面へ走っていった。

 

 


             パワハラお見合い

 

 108日(月)体育の日、沢富は伊達家の会食に呼ばれた。いやな予感がしていた沢富だったが、結婚の話ではありませんようにと心の底で願いながらテーブルに着いた。ナオ子はいつものようにビールを注ぐと沢富に話しかけた。「ちょっと、肌寒くなってきたわね。ビールより、熱燗が良かったみたいだけど、まずは、ビールで乾杯しましょう」沢富は、いったい何の乾杯なのかと不安げにナオ子の天に向かって大きく開いた鼻の穴をちらっと覗きグラスを持ち上げた。ナオ子のカンパ~~イという甲高い声が響き渡ると三人はグググ~~と喉を鳴らした。上唇に泡を乗せた伊達は、笑顔で話し始めた。「おい、もうそろそろ結婚したらどうだ。ひろ子さんもプロポーズ待ってるんじゃないか?な~~。ナオ子」

 

 ナオ子は、ここぞとばかり、ピクピクと鼻の穴を振るわせ賛同の声をあげた。「そうよ、もう、いい加減に結婚しなさいよ。ひろ子さんは待ってるんだから。サワちゃんのプロポーズ」やはり結婚の話のために会食に呼んだとわかり、一気に気持ちが冷めてしまった。美緒の件が片付いたのもひろ子のおかげだと思ったが、いざ、結婚を迫られると返事に困った。というのも、確かに、36歳になったこともあり結婚したいという気持ちはあったが、実は、母親からお見合いを迫られていたからだ。お見合いはきっぱり断りたかったが、むげに断ることができない相手だった。話を持ってきたのが、法務大臣の夫人だったからだ。内心、母親も断りたかったみたいだったが、やむなく写真と履歴書を受け取っってしまった。

 

 青ざめた顔でビールを飲みほした沢富は、あいまいな返事をした。「いや~~、結婚は~~。まだ、早いような。ひろ子さんの気持ちもはっきりしていないことだし。ちょっとぉ~~」煮え切らない沢富に伊達は、ビールをグイッと飲み干すとハッパをかけた。「おい、女々しいやつだな~~。男だったら、勇気を出して、アタックしろ。断られたときは、その時だ、潔くあきらめればいい。ひろ子さん、意外と、ウンと言うかもしれんぞ?そう悲観するな」ナオ子も身を乗り出して追い打ちをかけた。「そうよ。プロポーズしてみなきゃ、相手の気持ちはわからないじゃない。いつまでも、黙っていたら、ひろ子さん、突然、結婚するかもよ。長崎で、お見合いしたって言ってたじゃない」

 

 

 

 


春日信彦
作家:春日信彦
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