赤い糸

 

 沢富は、すっと立ち上がりカウンターに向かった。ブラックを注文し、大きく深呼吸した。ついにここまでたどり着いた、やっとここまで、今度こそ、決着がつく、と心の底でつぶやいた。沢富の心は安らぎを感じていた。笑顔のかわいい女子店員からブラックを受け取るとニコッと笑顔を返してテーブルに戻った。男は黙ってブラックとちょっと気取ってググッと半分ほど飲んだ。もう一度深呼吸すると美緒を見つめ返事した。「わかった。今月までだな。それで、きっぱりと別れるんだな。約束だぞ」

 

 美緒も最後の返事を迫られ、顔が引きつった。いつになくマジな顔つきできっぱりと返事した。「約束する。今月で終わりにする」沢富は、やっと牢獄から解放されたようなすがすがしい気分に浸った。大きくうなずいた沢富は、明るい声でこれからの予定を話し始めた。「よし、決まりだ。ドライブにでも、行くとしよう。まずは、昼飯だ。肉でも食うか。な、美緒」美緒はニコッと笑顔で返事した。「上場亭(うわばてい)ね。ほんと、佐賀牛、最高。しっかり精をつけで、今夜、頑張ってね」今夜もかと一瞬気落ちしたが、今月までの辛抱だと自分を慰め苦笑いして立ち上がった。主人を待っていたかわいいクロスビーは、主人と美緒を乗せると国道202を唐津方面へ走っていった。

 

 


             パワハラお見合い

 

 108日(月)体育の日、沢富は伊達家の会食に呼ばれた。いやな予感がしていた沢富だったが、結婚の話ではありませんようにと心の底で願いながらテーブルに着いた。ナオ子はいつものようにビールを注ぐと沢富に話しかけた。「ちょっと、肌寒くなってきたわね。ビールより、熱燗が良かったみたいだけど、まずは、ビールで乾杯しましょう」沢富は、いったい何の乾杯なのかと不安げにナオ子の天に向かって大きく開いた鼻の穴をちらっと覗きグラスを持ち上げた。ナオ子のカンパ~~イという甲高い声が響き渡ると三人はグググ~~と喉を鳴らした。上唇に泡を乗せた伊達は、笑顔で話し始めた。「おい、もうそろそろ結婚したらどうだ。ひろ子さんもプロポーズ待ってるんじゃないか?な~~。ナオ子」

 

 ナオ子は、ここぞとばかり、ピクピクと鼻の穴を振るわせ賛同の声をあげた。「そうよ、もう、いい加減に結婚しなさいよ。ひろ子さんは待ってるんだから。サワちゃんのプロポーズ」やはり結婚の話のために会食に呼んだとわかり、一気に気持ちが冷めてしまった。美緒の件が片付いたのもひろ子のおかげだと思ったが、いざ、結婚を迫られると返事に困った。というのも、確かに、36歳になったこともあり結婚したいという気持ちはあったが、実は、母親からお見合いを迫られていたからだ。お見合いはきっぱり断りたかったが、むげに断ることができない相手だった。話を持ってきたのが、法務大臣の夫人だったからだ。内心、母親も断りたかったみたいだったが、やむなく写真と履歴書を受け取っってしまった。

 

 青ざめた顔でビールを飲みほした沢富は、あいまいな返事をした。「いや~~、結婚は~~。まだ、早いような。ひろ子さんの気持ちもはっきりしていないことだし。ちょっとぉ~~」煮え切らない沢富に伊達は、ビールをグイッと飲み干すとハッパをかけた。「おい、女々しいやつだな~~。男だったら、勇気を出して、アタックしろ。断られたときは、その時だ、潔くあきらめればいい。ひろ子さん、意外と、ウンと言うかもしれんぞ?そう悲観するな」ナオ子も身を乗り出して追い打ちをかけた。「そうよ。プロポーズしてみなきゃ、相手の気持ちはわからないじゃない。いつまでも、黙っていたら、ひろ子さん、突然、結婚するかもよ。長崎で、お見合いしたって言ってたじゃない」

 

 

 

 


  あまりの攻撃にどう反撃していいかわからず、沢富はお見合いの件を話すことにした。「実を言いますと、お見合いを迫られているんです。しかも、断れないようなお見合いなんです。母親も困っているんですが、一度はお見合いしないとまずいんです。とにかく、このお見合いをうまく断ることができれば、ひろ子さんへのプロポーズを考えます。それまで、ちょっと、待ってもらえますか。とにかく、僕は、このお見合いのことで頭が痛いんです」思ってもいなかった事情に伊達夫妻は、目を丸くして口をポカ~~ンと開けて見つめあった。ナオ子は、万が一、このお見合いが成功しては一大事とお見合いについて聞きだした。「いったい、どんな方。良家のお嬢様?年齢は?」

 

 あまりお見合い相手のことは話したくなかったが、黙っていてはますます伊達夫妻に興味を持たせてしまうようで、わかってる範囲を話すことにした。「年齢は、35歳。T大卒の才女です。このお見合いは、法務大臣の奥さんが持ってきた話で、むげに断るわけにはいかないんです。まあ、そういうことで、勘弁してください」突然、目を吊り上げたナオ子は、何としても妨害しなければ、今までの努力が水の泡になってしまうようで気持ちが高ぶってしまった。顔を真っ赤にしたナオ子は、ヒステリックな声で話し始めた。「え、T大卒の35才。ダメよ、絶対、結婚を押し付けられるに決まってるわ。35歳よ。誰にも相手にされないから、サワちゃんのところに回ってきたのよ。一度、お見合いしたら、もうおしまい。地獄行き。あなたも、そう思うでしょ」

 

 ちょっと言い過ぎみたいだったが、35歳を考えると、ナオ子が言っていることが正解のように思えた。伊達は、年齢より容姿に興味があった。「おい、顔はどうだ。美人か?」沢富は、これ以上具体的な話はしたくなかったが、できれば、二人からお見合いをしなくてもことを丸く収められる名案が聞けるのではないかと期待し、話すことにした。「それが、ちょっと、今一つなんです。僕好みではありません。T大の講師をなされているそうですが、なんと、資格が10以上、趣味は20以上もあるんです。僕も、本当は、お見合いなんてやりたくないんです。でも、断れば、きっと、まずいことになるような気がして。本当に、困っているんです」伊達は、沢富の気持ちが手に取るように分かった。ナオ子も最強の敵が現れたと気持ちがブルーになってしまった。

 

 


 頭が真っ白になったナオ子は、のそっと立ち上がり、幽霊のようにふらふらとキッチンに向かった。しばらくすると、気持ちを切り替えたのか笑顔で鍋を運んできた。「熱燗に鍋。くよくよしても始まらないじゃない。今日は、パ~~とやりましょう。ね、あなた」伊達も、深刻に考えても名案が浮かばないと思い、明るくふるまうことにした。「サワ、そう、深刻になるな。俺たちに任せとけ。要は、お見合いをぶち壊せばいいってことだ。な~~ナオ子」2本の徳利(とっくり)と3つのお猪口(ちょこ)をお盆にのせやテーブルにやってくると笑顔で腰掛けた。「サワちゃんは、このお見合いに乗り気じゃないんでしょ。だったら、相手に嫌われたらいいのよ。そうだ、ガサツな男を演じればいいのよ。相手って、良家のお嬢さんでしょ、ガサツな男は、嫌いなはずよ。これって、名案じゃない」

 

 

 沢富もなるほどと思った。要は、相手に嫌われればいい。いったいどうすればいいのか?沢富は、ナオ子に尋ねた。「ガサツって、どうやればいいんですか?是非、教えてください。今のままでも、結構ガサツなんですけどね」ナオ子は、大きくうなずき教師になったかのように胸を張って話し始めた。「いい、要は、下品なマナー。そうね、例えば、チューチューと音を立ててお茶を飲むとか、ムシャムシャと音を立ててご飯を食べるとか、ほかに、片肘ついて食べるとか、ため口で話すとか、いろいろあるじゃない。下品であればいいのよ。良家のお嬢さんだから、がっかりして、断ってくるわよ。サワちゃん、やってみなさい」なるほどと思い早速やってみることにした。

 

 お猪口のお酒をチュ~チュ~と音を立てて飲んでみた。次に片肘をついて湯豆腐をムシャムシャと音を立てて食べてみた。ナオ子が笑顔でほめた。「その調子。やればできるじゃない。きっと嫌がられるから。あ、そうだ、極めつけは、食べ終わったら、クチュクチュってお茶でうがいをするといいわ。間違いなく、嫌われる」伊達もここまで下品であれば、嫌われると思った。「いいぞ、サワ、その調子だ。徹底的に嫌われろ。さすが、ナオ子。こんないい手があったとは」後輩のお嬢さん相手に下品な真似はやりたくなかったが、この際恥を忍んでやってみることにした。「わかりました。できる限り、下品な振る舞いをやってみます。要は、相手に嫌われればいいんですよね」

 

 


春日信彦
作家:春日信彦
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