遺伝子分布論 22K

「承」( 5 / 20 )

ヘンリクの話5

  そろそろサクティへ行こう。
 
 控え室を片づけて端末をもって店を出ると、
 もうすぐ前だ。外のテーブルですでに
 ボッビボッビの3人がデザートを前に
 談笑している。
 
 軽く挨拶して、店の中のカウンター席へ。
 
「ゴシさん、ミソカリーヌードルをハーフで」
「あいよ」
 
 店長のゴシ・ゴッシーだ。
 
「今日は米の麺だからミソカリーフォウだな」
 
 レストラン・サクティはふだん17時から20
 時ぐらいまで、学生で混雑する。
 
 サクティはもともと香辛料をふんだんに使った
 カリーと呼ばれるスープをメインに提供する
 レストランだったが、最近はもう色々な
 料理を学生のリクエストに応えて低価格で出す。
 
 今はもうすでに20時なので、学生の姿は
 まばらになってきたが、イベントのお客さん
 らしき人たちが増えてくる。
 
 サクティはそれほど大きなレストランでは
 ないが、特徴がある。店舗の奥側にある
 スペースの机は、流し台もついた調理
 スペースになる。
 
 週末などに主に学生を相手にした料理教室を
 やっているのだ。
 
 ミノー駅から歩いていける距離にサウス
 マゼランユニバーシティのどちらかと
 いうと少しマイナーな学問をやるための
 キャンパスがあり、
 
 ミノー駅周辺にも一人暮らし、あるいは
 ルームシェアの学生がけっこう住んでいる。
 
 サクティの料理教室にしっかり通えば
 卒業するころにはかなりの数のレシピを
 実際に作れるようになる。
 
 ヘンリクの得意料理も、親から習ったもの
 が半分、サクティで習ったものが半分だ。
 
「ヘンリク!今日も演るの?」
「やりますよ、今日はビジュアルですけど、
 サネルマさん!」
 カウンターの向こうから声をかけてきたのは
 ゴシ・ゴッシーの妹のサネルマ・ゴッシーだ。
 
 夜は基本的にこの二人が店を切り盛りして
 いて、昼のランチ時は彼らの両親が店に
 出ている。
 
 もう少しサネルマさんと話していたいところ
 だったが、軽い打ち合わせがある。
 
 さっき頼んだカフィーエスプレッソの小さな
 カップを持って、ボッビボッビのところへ行く。
 今日の映像のイメージをざっくり伝える。
 
 ゲルググでイベントをやるときは、事前に
 細かい打ち合わせなどはしない。そして、
 各バンドは毎回何か新しいことをやる。
 
 そして、高い確率でそれが失敗に終わる。
 ゲルググはそれが許される雰囲気だった。
 

「承」( 6 / 20 )

ヘンリクの話6

  ボッビボッビの3人といると不思議と
 落ち着く。
 
 弦楽器を演奏するビンディ・マクナマラ、
 キーボードのメリンダ・リトカ、ボーカルの
 タリア・アキワンデの3人だ。
 
 3人とも、うすい褐色の肌をもつ美人だ。
 とくにタリアはかなりの美人で、駅近くで
 雑貨店を営むタリアの母も美人で有名だ。
 本人は背が低いことを気にしてるらしいが。
 
 ビンディは音楽家の親をもつ。その世界では
 けっこう有名なリュート奏者らしい。
 
 メリンダは少しふくよかな印象で、いつ
 話しかけても少し照れたような話し方
 をする。実家は農家。
 
 3人のほかの共通点は、かなりの歴史好き。
 旧世紀の歴史にも詳しく、最近僕がハマって
 いる島国のセンゴクブショウの名前が
 彼女らの口からバンバン出てくる。
 
 カンビーを教えてくれたのも彼女らだ。
 
 なので、普通に接していると、とても
 ステージにあがってパフォーマンスをやる
 ようには見えない。学校の図書スペースで
 静かに読書しているのがとても似合うのだ。
 
 3人のなかで比較的活発な印象のタリアで
 さえ、ほかのバンドのメンバとくらべると
 ぜんぜん大人しい。
 
 いや、たぶん大人なのだ。とても優しい。
 
 彼らは民族楽器を使って、メリンダは
 民族楽器の音をキーボードに取り込んで、
 過去の歴史の、先住民族の弾圧や民族差別
 について歌う。
 
 その曲調はときに激しく、また、ときに
 切なく、悠久の昔から響いてくる哀詩の
 ようだ。
 
 彼女ら自身が、そういった弾圧を受けてきた
 民族の末裔だとも聞く。
 
 彼女たちから感じる優しさが、そういった
 弾圧の歴史の結果だとすると、それは
 それで悲しい物語なのかもしれない。
 
 そんなことを心に感じながらも、彼女らと
 する話は男の子が好きな大陸のスリーキング
 ダムスや島国のセンゴクの話だった。
 
 なんでも、スリーキングダムズとセンゴクは
 時代的にかなり開きがあるが、ウェイの
 カオカオの書いたサンツが、カンビーや
 ハルノブに大きな影響を与えた。
 
 ハルノブに影響を受けたモトヤスが島国を
 統一したのは歴史書が示すとおりである。
 サンツの背景にはタオ教があり、
 ラオジーの哲学が伝説の人物たちを
 つなげ、泰平をなさしめたというのだ。
 
 といいつつも、彼女らは大学で歴史学を
 専攻していない。ビンディは数学、メリンダ
 は化学、タリアは経済学だった。
 

「承」( 7 / 20 )

ヘンリクの話7

  そうだ、エンゾさん手伝う仕事があった!
 
 あわてて3人にそう告げて、ゲルググ店内に急ぐ。
 40歳、独身、ヒゲの巨漢だ。
 
「おうヘンリク、遅いな」
 
 エンゾ・グラネロ、バーゲルググの店長だ。
 
 この店を一人で運営している。
 というと聞こえが良いが、出演者や客に
 けっこう手伝わせている。
 
 今日も最初に来て鍵を開けて中を少し片づけて
 くれたのはボッビボッビの3人だ。
 
 とりあえずあるていど片付いているのを見て、
 自分の分のセッティングを済ませておく。
 端末をビジュアルミキサーに無線で接続し、
 今日使う分が3つのフォルダに入っているの
 を確認する。
 
 それから照明機材の確認をしたら、ドリンク
 や軽食の類がすぐ出せるようになっているか
 確認。
 
「エンゾさん、前切れてたリキュール」
「おう、買っといたよ、そこそこ」
 
 外が少し騒がしくなった。
 マッハパンチが到着したようだ。
 
 ちなみに今日の出演順は、21時から
 アラハント、そこから1時間づつで
 22時からマッハパンチ、トリが
 ボッビボッビで0時に終わる。
 
 開始20分前だがアラハントはまだ
 来ていない。
 
「エンゾさんこんちわー」
 太い声が聞こえてくる。
 
 とにかくこの4人はでかい。4人とも
 180センチ以上ある。基本的にステージ
 ネームでしか呼んでいけないことに
 なっているので、
 
 ボーカルのキング、身長182センチで
 この中では一番低い、髪もこの中では一番
 短いが整髪料でうしろへ撫でつけている。
 
 ギターのプリンス、身長なんと195センチ、
 痩せ型、長髪、父親は郵便局員で、プリンスも
 年末年始たまに局でバイトしている。
 
 ベースのクイン、身長187センチ、長髪
 美形であるが、男性だ。家はお寺でお酒
 が飲めない。
 
 ドラムのナイト、身長185センチ、長髪、
 実家は道場で、キャポエイラという
 古武術らしいが、この4人ともこの道場で
 習っているらしい。一番筋肉がごつい。
 
 4人はステージ横の扉から控え室へ抜けて
 いく。控え室といっても、そこはサクティだ。
 店同士がつながっていて、そのスペースに
 それっぽく衝立を立てて控え室という
 ことにしている。
 
 通りぎわに4人とも無言でヘンリクの肩を
 ガシっとつかんでいくが、これが地味に痛い。
 今日もお互い頑張ろう、という意味らしい
 のだが。
 

「承」( 8 / 20 )

ヘンリクの話8

 「アラハントはまた遅れてるのか」
 控室の椅子に座ってキングが嘆くように
 呟くが、よく見ると顔がニヤニヤ笑っている。
 
 言っているうちに二人到着した。
 
 管楽器とラップ担当のエマド・ジャマルと、
 ドラムスのフェイク・サンヒョクだ。
 フェイクはくるなりそそくさとドラムの
 準備を始める。
 
「おっすヘンリク!最近どうよ!?」
 こいつとは昼にキャンパスで会ったばかりだ。
 
 適当に返事しておいて準備を手伝う。
 残りの3人がどうしてるのかあえて聞かない。
 
 エマドとは、ガッダーフィという名の
 ユニットも二人で組んでいて、DJ Kanbee
 名義で僕もプレイする。ビジュアルジョッキー
 ではなく、ディスクジョッキーとしてだ。
 アラハント結成前からやっている。
 
 フェイクが叩き始めた。
 エマドのマイクパフォーマンスが始まる。
 
 ここ最近だが、もう少し大きなハコ、つまり
 ライブハウスでは、アラハントの時間が
 スタートするときはいつもこの二人から
 始まる。
 
 そして、エマドがマイクパフォーマンスで
 客をいじったり煽ったりするので、
 まずはエマドへの「帰れ」コールから
 始まる。
 
 しかし、ここゲルググでは、その帰れコール
 も気の抜けたいい加減なものだった。
 フェイクのドラムが鳴り始めてからフロアの
 客も増えだしたが、まだまだこれからだ。
 
 エマドの下手うまダンスとマイクによる煽り
 が続く。もっと返してこいというジェスチャー
 をするが、客はまだ乗ってこない。
 
 まだメンバーはそろっていないが、
 アラハントの特徴は、まあ一言でいうと
 未来オタクの集まりだ。
 
 彼ら個々もそうだが、バンドの設定上も
 メンバーがテンジクという未来都市に住んで
 いて、そこからやってきて演奏している、
 ということになっている。
 
 だからエマドの客いじりも、その帽子は
 どこで買ったんだテンジクにはもうそんな
 ものは売ってない、だとか、いい加減その
 古典的なダンスをやめろ古い、といった
 感じだ。
 
 彼自信は身体能力抜群で、ダンスの
 キレもいい。現存するほとんどの踊り方
 を知っている。しかし、ステージでは
 テンジクのダンスしか踊らないらしい。
 
 ウイン・チカが入ってきた。彼女の
 学生友達らしき数人から歓声がおきる。
 今日は小さめのキーボードを肩から
 下げている。
 
 それに笑顔で答えながら、
 メロディーが足されていく。
 
Josui
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