ピース

 自慢したくなったアンナは突然口をはさんだ。「それはもう。最高級のエサをあげますよ。私たちよりも贅沢させてますから。育ちがいいネコには、いいエサじゃないとだめって、亜紀が言うものだから」猫山は、車庫にベンツが停めてあるのを思い出た。おそらく、ピースを預けたフランス人は、この家庭が金持ちだと知っていたに違いないと思えた。「ところで、ヒフミンとピースの出会いといいますか、馴れ初めを聞かせていただけませんか?」

 

 ヒフミンに関しては、亜紀にしかわからなかったので、アンナは、亜紀に視線を向けた。なんといって切り出していいか、ちょっと迷ったが、小学4年生の夏休みのことを話すことにした。「出会いはね~~、ヒフミンが小学4年生のころだったと思う。家に遊びに来た時、ピースを見て、一目で、気に入ったみたい。そのころから、家に来ては、ピースと遊ぶようになったの。ピースもヒフミンが気に入ったみたいで、ヒフミンに抱かれると、にっこりしてたよ」

 

 猫山は、指先を素早く動かしスマホにメモをしていた。時々、うなずいては、亜紀の顔を見つめた。「なるほどね。小学四年生の時に、ピースに一目ぼれ。それからお付き合いが始まった。よくある、恋愛パターンだわね。ヒフミンの自宅は、近くですか?確か、ヒフミンの故郷は、糸島でしたよね」ニコッと笑顔を作った亜紀は、即座に答えた。「はい、曽根の幹線道路を南に向かって、ここから500メートルほど歩いたところ。オリーブ園があるところ」

 

 猫山は、真剣なまなざしでさらにメモをしていた。ヒョイと顔をアンナのほうにむけると笑顔で話し始めた。「ピースにお会いできないのは、残念ですが、写真をいただけるということであれば、やってきたかいがありました。ヒフミンとピースが、めでたくゴールインできて、幸せになるといいですね。この写真があれば、立派な表紙ができます。5月の愛猫週刊を期待しておいてください。一刻も早く、ピースの体調がよくなるといいですね。それでは失礼いたします」

 

 アンナは、一つ目の苦難を乗り越えることができたことで少しほっとした。できれば、午後の取材を最後に、今後の取材をピースの体調不良を理由に断りたかった。午後に約束した取材は、アニマルウエディングプランナーだった。一部の超資産家たちの中には、猫は神の使者だといって、猫の結婚式にもかかわらず、人間以上の高額な披露宴パーティーを催しす愛猫家たちがいた。アンナは、高額な結婚プランを押し付けられるのではないかと不安になっていた。

 

 

午後2時過ぎにベントレーが甘党茶屋の駐車場に停車した。次に約束していたアニマルウエディングプランナーではないかと思われたが、営業マンが乗る車にしては似つかわしくなかった。しばらくすると、30歳前後のベージュのスーツを着こなしたファッションモデルのような小顔でスリムな女性が助手席から降りてきた。家の周りと車庫に目をやり、一回うなずいた。彼女は、玄関のインターホーンを鳴らし、背筋を伸ばした。「どうぞ、おはいりくださ」とアンナの返事を聞くと笑顔でドアを開けた。

 

キッチンに案内された彼女は、席にゆっくりと腰掛けた。警戒心をあらわにした面持ちのアンナは、紅茶をそっと差し出した。そして、見劣りしない美貌のアニマルウエディングプランナーの出現に、アンナは少し対抗心が起きた。あくまでも、ピースの結婚は、ヒフミンがついポロッと口に出したにすぎず、人間のように結婚式を挙げるなどとは、一言も言っていなかった。それなのに、大富豪を相手にしてるアニマルウエディングプランナーが、なぜ、庶民のうちにやってきたのか、不思議でならなかった。

 

 一口すすった彼女は、ブルーのファイルを取り出し、アンナの前に差し出し一枚目を開いた。「こちらが、イラク王族の方が開かれたネコ・ウエディングパーティーのお写真です。いかがですか。ウエディングケーキ、キャンドルサービス、花束贈呈のサービス以外は、オプションとなっております。ウエディングドレスは、約10万円から約1000万円、婚約ネックレスは、約100万円から約1億円、ご自由にお選びください」アンナは、信じられない豪華なウエディングドレスをまとった猫を生まれて初めて目の当たりにした。また、猫の婚約ネックレスなるものを初めて聞かされた。

 

 アンナは、あまりの豪華さに度肝を抜かれ、言葉が出てこなかった。隣の亜紀も目を点にして、ダイヤのネックレスをした猫の写真に見入っていた。我に帰ったアンナは、返事した。「申し訳ないんですが、電話でも申し上げましたように、我が家では、ネコの結婚式を挙げるつもりはありません。しかも、結婚式は、ヒフミンが決めることであって、また、ヒフミンが名人になった暁ということになっているのです。そういうことなので、わざわざ、お越しいただいたのですが、挙式をする予定はありません」

 

 ウエディングプランナーは、全く悲観する様子はなく、平然とした顔で話を続けた。「お相手のヒフミン様には、すでに、了解をいただいております。今回のプランは、婚約パーティーということで執り行わせていただきます。また、無料で致しますので、ご心配はなさらないでください」アンナと亜紀は、目を丸くして、顔を見あった。いったい、どういうことなのか、二人にはさっぱりわからなかった。

 

 「どうして、無料で婚約パーティーをしていただけるのですか?信じられません。しかも、大阪の高級ホテルで。夢みたいな話です」彼女は、ちょっと首をかしげた。この婚約パーティーの件は、すでにピース家に伝わっていると思っていた。「婚約パーティーの件は、初めてお聞きになられますか?」アンナは、大きくうなずいて即座に答えた。「はい、初めてです。ヒフミンからも婚約パーティーをするなど、一言も聞いていません」

 

 彼女は、意外な展開に面食らった。彼女は上司から婚約パーティーについて次のように聞いていたからだ。ヒフミン様とピース様の婚約パーティーの依頼を桂コーポレーションから受けた。費用は、約1000万。招待客については、将棋界、国際愛猫家協会、愛猫芸能人、愛猫作家、愛猫ミュージシャン、愛猫国会議員、などを招待してほしい。また、ピース家の要望を十分聞き入れること。などなど。

 彼女は、一瞬、訪問する家を間違えたのではないかと思った。念のために、確認することにした。「こちらは、ヒフミン様とご結婚なされるピース様のおうちですよね。間違いありませんよね」アンナは、即座にうなずいた。「はい。ヒフミンは亜紀の友達で、ピースは我が家のネコです。でも、婚約パーティーのことは、初耳です」家は間違いなかったことに彼女はほっとした。

 

 胸をなでおろした彼女は、弊社への依頼について説明した。「すでに、桂コーポレーション様より、ヒフミン様とピース様の婚約パーティーの依頼を承っております。特に、ピース様のご意向を十二分に取り入れるようにとのことでした。したがって、費用の請求は、桂コーポレーションにさせていただくことになっています」すでに、契約段階で婚約パーティーの準備資金として、動物の冠婚葬祭会社であるラブラブアニマル社に桂コーポレーションより1000万円が振り込まれていた。

 

 アンナは、しかめっ面になって考え込んだ。いったいなぜ、多額の費用をかけてヒフミンとピースの婚約パーティーをするのか?どのようなメリットがあるのか?会長は、ヒフミンを将来何かに利用しようとしているのではないか。お金儲けしか考えない会長が、慈善行為をするはずがない。何か、あると思ったが、アンナには、どう対処していいかわからなかった。

 

 「桂コーポレーションからの依頼ですか。でも、そのようなご厚意を受けるいわれはありません。また、ピースの体調も芳しくありません。ここ数日、寝込んでいる状態なのです。パーティーだなんて。誠に申し訳ありませんが、婚約パーティーの開催はご遠慮したい、と桂コーポレーション様にお伝え願えませんでしょうか」彼女は、困った顔で黙り込んだ。すでに1000万円が振り込まれている大口契約なので、引き下がってしまうと上司に大目玉を食らうとおびえた。

春日信彦
作家:春日信彦
ピース
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