ピース

 猫山は、笑顔でアルバムのピースに目を落とすと言葉を発した。「ピースは、体調がよろしくないのですね。それは、ご心配でしょう。期待していた通り、とっても、かわいい美ネコですね。血統書付きのペルシャですね。このレベルのネコは、数少ないと思います。コンクールで賞を取られていませんか?こんなに気品のあるネコが、日本にもいたんですね。お写真を拝見させていただいただけでも、感動いたしました」たとえ社交辞令のお世辞だったとしてもピースをほめてもらい、亜紀は嬉しかった。

 

 「お姉さんもそう思うでしょ。ピースは、チョ~美ネコなの。コンテストで、グランプリをとったかも。ヒフミンが好きになるはずよね」猫山は、美ネコを育てた亜紀に興味がわき、ピースについてのエピソードを聞いてみたくなった。「今まで、これほどまでの最上級の気品とつやのある毛並みは、見たことないわ。亜紀ちゃんが、いつもお世話してるの?グランプリをとったかも、といってたけど、コンテストに出されたことはないの?」亜紀は、返事に詰まった。ピースが庭に迷い込んできた猫だとは言いたくなかった。

 

 嘘はよくないとは思ったが、やはり本当のことは言えなかった。「公園で遊んでいたらね、ネコを抱っこした貴族のようなフランス人が、亜紀に言ったの。帰国するから、このピース、もらってくれる?って。それで、とってもかわいかったから、もらったの。だから、ピースはフランスでは、有名なネコだったかも。きっと、ピースはフランスで、グランプリをとったと思う。こんなに、毛並みがよくて、気品のあるネコ、ピースだけよ」

 

 猫山は、うなずき日本のネコではないことに納得した。一般家庭がこれほどの気品あるネコを育てたとは思えなかったからだ。トップレベルのネコを育てるには、血統書付きのネコを高額の値段で購入し、栄養バランスを考えた高価な食事を与え、手間とお金のかかる飼育をしなければならなかった。「へ~~、もらわれたの。でも、健康そうで、毛並みもいいから、エサも高級なものを与えられたんでしょうね」

 

 

 自慢したくなったアンナは突然口をはさんだ。「それはもう。最高級のエサをあげますよ。私たちよりも贅沢させてますから。育ちがいいネコには、いいエサじゃないとだめって、亜紀が言うものだから」猫山は、車庫にベンツが停めてあるのを思い出た。おそらく、ピースを預けたフランス人は、この家庭が金持ちだと知っていたに違いないと思えた。「ところで、ヒフミンとピースの出会いといいますか、馴れ初めを聞かせていただけませんか?」

 

 ヒフミンに関しては、亜紀にしかわからなかったので、アンナは、亜紀に視線を向けた。なんといって切り出していいか、ちょっと迷ったが、小学4年生の夏休みのことを話すことにした。「出会いはね~~、ヒフミンが小学4年生のころだったと思う。家に遊びに来た時、ピースを見て、一目で、気に入ったみたい。そのころから、家に来ては、ピースと遊ぶようになったの。ピースもヒフミンが気に入ったみたいで、ヒフミンに抱かれると、にっこりしてたよ」

 

 猫山は、指先を素早く動かしスマホにメモをしていた。時々、うなずいては、亜紀の顔を見つめた。「なるほどね。小学四年生の時に、ピースに一目ぼれ。それからお付き合いが始まった。よくある、恋愛パターンだわね。ヒフミンの自宅は、近くですか?確か、ヒフミンの故郷は、糸島でしたよね」ニコッと笑顔を作った亜紀は、即座に答えた。「はい、曽根の幹線道路を南に向かって、ここから500メートルほど歩いたところ。オリーブ園があるところ」

 

 猫山は、真剣なまなざしでさらにメモをしていた。ヒョイと顔をアンナのほうにむけると笑顔で話し始めた。「ピースにお会いできないのは、残念ですが、写真をいただけるということであれば、やってきたかいがありました。ヒフミンとピースが、めでたくゴールインできて、幸せになるといいですね。この写真があれば、立派な表紙ができます。5月の愛猫週刊を期待しておいてください。一刻も早く、ピースの体調がよくなるといいですね。それでは失礼いたします」

 

 アンナは、一つ目の苦難を乗り越えることができたことで少しほっとした。できれば、午後の取材を最後に、今後の取材をピースの体調不良を理由に断りたかった。午後に約束した取材は、アニマルウエディングプランナーだった。一部の超資産家たちの中には、猫は神の使者だといって、猫の結婚式にもかかわらず、人間以上の高額な披露宴パーティーを催しす愛猫家たちがいた。アンナは、高額な結婚プランを押し付けられるのではないかと不安になっていた。

 

 

午後2時過ぎにベントレーが甘党茶屋の駐車場に停車した。次に約束していたアニマルウエディングプランナーではないかと思われたが、営業マンが乗る車にしては似つかわしくなかった。しばらくすると、30歳前後のベージュのスーツを着こなしたファッションモデルのような小顔でスリムな女性が助手席から降りてきた。家の周りと車庫に目をやり、一回うなずいた。彼女は、玄関のインターホーンを鳴らし、背筋を伸ばした。「どうぞ、おはいりくださ」とアンナの返事を聞くと笑顔でドアを開けた。

 

キッチンに案内された彼女は、席にゆっくりと腰掛けた。警戒心をあらわにした面持ちのアンナは、紅茶をそっと差し出した。そして、見劣りしない美貌のアニマルウエディングプランナーの出現に、アンナは少し対抗心が起きた。あくまでも、ピースの結婚は、ヒフミンがついポロッと口に出したにすぎず、人間のように結婚式を挙げるなどとは、一言も言っていなかった。それなのに、大富豪を相手にしてるアニマルウエディングプランナーが、なぜ、庶民のうちにやってきたのか、不思議でならなかった。

 

 一口すすった彼女は、ブルーのファイルを取り出し、アンナの前に差し出し一枚目を開いた。「こちらが、イラク王族の方が開かれたネコ・ウエディングパーティーのお写真です。いかがですか。ウエディングケーキ、キャンドルサービス、花束贈呈のサービス以外は、オプションとなっております。ウエディングドレスは、約10万円から約1000万円、婚約ネックレスは、約100万円から約1億円、ご自由にお選びください」アンナは、信じられない豪華なウエディングドレスをまとった猫を生まれて初めて目の当たりにした。また、猫の婚約ネックレスなるものを初めて聞かされた。

 

 アンナは、あまりの豪華さに度肝を抜かれ、言葉が出てこなかった。隣の亜紀も目を点にして、ダイヤのネックレスをした猫の写真に見入っていた。我に帰ったアンナは、返事した。「申し訳ないんですが、電話でも申し上げましたように、我が家では、ネコの結婚式を挙げるつもりはありません。しかも、結婚式は、ヒフミンが決めることであって、また、ヒフミンが名人になった暁ということになっているのです。そういうことなので、わざわざ、お越しいただいたのですが、挙式をする予定はありません」

 

 ウエディングプランナーは、全く悲観する様子はなく、平然とした顔で話を続けた。「お相手のヒフミン様には、すでに、了解をいただいております。今回のプランは、婚約パーティーということで執り行わせていただきます。また、無料で致しますので、ご心配はなさらないでください」アンナと亜紀は、目を丸くして、顔を見あった。いったい、どういうことなのか、二人にはさっぱりわからなかった。

 

 「どうして、無料で婚約パーティーをしていただけるのですか?信じられません。しかも、大阪の高級ホテルで。夢みたいな話です」彼女は、ちょっと首をかしげた。この婚約パーティーの件は、すでにピース家に伝わっていると思っていた。「婚約パーティーの件は、初めてお聞きになられますか?」アンナは、大きくうなずいて即座に答えた。「はい、初めてです。ヒフミンからも婚約パーティーをするなど、一言も聞いていません」

 

 彼女は、意外な展開に面食らった。彼女は上司から婚約パーティーについて次のように聞いていたからだ。ヒフミン様とピース様の婚約パーティーの依頼を桂コーポレーションから受けた。費用は、約1000万。招待客については、将棋界、国際愛猫家協会、愛猫芸能人、愛猫作家、愛猫ミュージシャン、愛猫国会議員、などを招待してほしい。また、ピース家の要望を十分聞き入れること。などなど。

春日信彦
作家:春日信彦
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