ピース

 アンナは、いやいやながら2社のメディアに取材のOKを出した。なるべく近所迷惑にならないように午前と午後に一社ずつ取材に応じることにした。翌日の月曜日の朝、10時に甘党茶屋の駐車場にピンクのラパンが停まった。カメラを左肩に担いだ若い女性記者が、アンナの家の玄関に向かって軽やかな足取りで歩いてきた。彼女はドアの前に立つとピンポーン、ピンポーンとインターホーンを響かせ、笑顔を作った。ついにやってきたかとしかめっ面のアンナは、よっこらしょと腰を持ち上げ、重い足取りで玄関に向かった。

 

 踊り場に正座すると声をかけた。「どうぞ、お入りください」開いたドアから245歳の女性が顔を出した。「お邪魔します。初めまして、わたくし、愛猫週刊の猫山と申します」とあいさつするとアンナに名刺を手渡した。名刺を一瞥したアンナは、「どうぞ、おあがりください」といってリビングに案内した。カメラを担いだ女性記者は、アンナの後をゆっくり歩いて続いた。キッチンテーブルの席を勧められた彼女は、笑顔で腰掛けた。

 

 テーブルには、亜紀がすでに腰掛けていた。さやかの姿はなかった。さやかは、二階の亜紀の部屋で寝ているピースに付き添っていた。猫山の姿が現れると亜紀は立ち上がり元気な声で「こんにちは」とあいさつをした。お茶を差し出したアンナは猫山の正面に腰掛けた。上品に湯飲みに唇をつけてほんの少しお茶をすすると猫山は口火を切った。「早速で恐縮ですが、ご結婚相手のピースを拝見させていただけますでしょうか?」アンナは、即座に返事しなかった。

 

 言いにくそうな表情でアンナは、小さな声で返事した。「わざわざ、起こしいただいて、申し上げにくのですが、ピースは、ここ一週間ほど具合が悪くて、寝込んでいます。できれば、そっとしておいてあげたいのです。面会は、ご遠慮願いませんか。写真であれば、ここにたくさんありますので、お好きな写真をお持ち帰って結構です」アンナは、ピースのアルバムを猫山の前にさしだした。猫山は、一瞬気落ちしたような表情を見せたが、アルバムを開くと笑顔を見せた。

 

 

 猫山は、笑顔でアルバムのピースに目を落とすと言葉を発した。「ピースは、体調がよろしくないのですね。それは、ご心配でしょう。期待していた通り、とっても、かわいい美ネコですね。血統書付きのペルシャですね。このレベルのネコは、数少ないと思います。コンクールで賞を取られていませんか?こんなに気品のあるネコが、日本にもいたんですね。お写真を拝見させていただいただけでも、感動いたしました」たとえ社交辞令のお世辞だったとしてもピースをほめてもらい、亜紀は嬉しかった。

 

 「お姉さんもそう思うでしょ。ピースは、チョ~美ネコなの。コンテストで、グランプリをとったかも。ヒフミンが好きになるはずよね」猫山は、美ネコを育てた亜紀に興味がわき、ピースについてのエピソードを聞いてみたくなった。「今まで、これほどまでの最上級の気品とつやのある毛並みは、見たことないわ。亜紀ちゃんが、いつもお世話してるの?グランプリをとったかも、といってたけど、コンテストに出されたことはないの?」亜紀は、返事に詰まった。ピースが庭に迷い込んできた猫だとは言いたくなかった。

 

 嘘はよくないとは思ったが、やはり本当のことは言えなかった。「公園で遊んでいたらね、ネコを抱っこした貴族のようなフランス人が、亜紀に言ったの。帰国するから、このピース、もらってくれる?って。それで、とってもかわいかったから、もらったの。だから、ピースはフランスでは、有名なネコだったかも。きっと、ピースはフランスで、グランプリをとったと思う。こんなに、毛並みがよくて、気品のあるネコ、ピースだけよ」

 

 猫山は、うなずき日本のネコではないことに納得した。一般家庭がこれほどの気品あるネコを育てたとは思えなかったからだ。トップレベルのネコを育てるには、血統書付きのネコを高額の値段で購入し、栄養バランスを考えた高価な食事を与え、手間とお金のかかる飼育をしなければならなかった。「へ~~、もらわれたの。でも、健康そうで、毛並みもいいから、エサも高級なものを与えられたんでしょうね」

 

 

 自慢したくなったアンナは突然口をはさんだ。「それはもう。最高級のエサをあげますよ。私たちよりも贅沢させてますから。育ちがいいネコには、いいエサじゃないとだめって、亜紀が言うものだから」猫山は、車庫にベンツが停めてあるのを思い出た。おそらく、ピースを預けたフランス人は、この家庭が金持ちだと知っていたに違いないと思えた。「ところで、ヒフミンとピースの出会いといいますか、馴れ初めを聞かせていただけませんか?」

 

 ヒフミンに関しては、亜紀にしかわからなかったので、アンナは、亜紀に視線を向けた。なんといって切り出していいか、ちょっと迷ったが、小学4年生の夏休みのことを話すことにした。「出会いはね~~、ヒフミンが小学4年生のころだったと思う。家に遊びに来た時、ピースを見て、一目で、気に入ったみたい。そのころから、家に来ては、ピースと遊ぶようになったの。ピースもヒフミンが気に入ったみたいで、ヒフミンに抱かれると、にっこりしてたよ」

 

 猫山は、指先を素早く動かしスマホにメモをしていた。時々、うなずいては、亜紀の顔を見つめた。「なるほどね。小学四年生の時に、ピースに一目ぼれ。それからお付き合いが始まった。よくある、恋愛パターンだわね。ヒフミンの自宅は、近くですか?確か、ヒフミンの故郷は、糸島でしたよね」ニコッと笑顔を作った亜紀は、即座に答えた。「はい、曽根の幹線道路を南に向かって、ここから500メートルほど歩いたところ。オリーブ園があるところ」

 

 猫山は、真剣なまなざしでさらにメモをしていた。ヒョイと顔をアンナのほうにむけると笑顔で話し始めた。「ピースにお会いできないのは、残念ですが、写真をいただけるということであれば、やってきたかいがありました。ヒフミンとピースが、めでたくゴールインできて、幸せになるといいですね。この写真があれば、立派な表紙ができます。5月の愛猫週刊を期待しておいてください。一刻も早く、ピースの体調がよくなるといいですね。それでは失礼いたします」

 

 アンナは、一つ目の苦難を乗り越えることができたことで少しほっとした。できれば、午後の取材を最後に、今後の取材をピースの体調不良を理由に断りたかった。午後に約束した取材は、アニマルウエディングプランナーだった。一部の超資産家たちの中には、猫は神の使者だといって、猫の結婚式にもかかわらず、人間以上の高額な披露宴パーティーを催しす愛猫家たちがいた。アンナは、高額な結婚プランを押し付けられるのではないかと不安になっていた。

 

 

午後2時過ぎにベントレーが甘党茶屋の駐車場に停車した。次に約束していたアニマルウエディングプランナーではないかと思われたが、営業マンが乗る車にしては似つかわしくなかった。しばらくすると、30歳前後のベージュのスーツを着こなしたファッションモデルのような小顔でスリムな女性が助手席から降りてきた。家の周りと車庫に目をやり、一回うなずいた。彼女は、玄関のインターホーンを鳴らし、背筋を伸ばした。「どうぞ、おはいりくださ」とアンナの返事を聞くと笑顔でドアを開けた。

 

キッチンに案内された彼女は、席にゆっくりと腰掛けた。警戒心をあらわにした面持ちのアンナは、紅茶をそっと差し出した。そして、見劣りしない美貌のアニマルウエディングプランナーの出現に、アンナは少し対抗心が起きた。あくまでも、ピースの結婚は、ヒフミンがついポロッと口に出したにすぎず、人間のように結婚式を挙げるなどとは、一言も言っていなかった。それなのに、大富豪を相手にしてるアニマルウエディングプランナーが、なぜ、庶民のうちにやってきたのか、不思議でならなかった。

 

 一口すすった彼女は、ブルーのファイルを取り出し、アンナの前に差し出し一枚目を開いた。「こちらが、イラク王族の方が開かれたネコ・ウエディングパーティーのお写真です。いかがですか。ウエディングケーキ、キャンドルサービス、花束贈呈のサービス以外は、オプションとなっております。ウエディングドレスは、約10万円から約1000万円、婚約ネックレスは、約100万円から約1億円、ご自由にお選びください」アンナは、信じられない豪華なウエディングドレスをまとった猫を生まれて初めて目の当たりにした。また、猫の婚約ネックレスなるものを初めて聞かされた。

 

春日信彦
作家:春日信彦
ピース
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